タグ

ブックマーク / orange.zero.jp (2)

  • 意味と意義について

    相等性(1)は、それに結びついたそう簡単には答えられない問いによって、熟考を招き寄せる。それは何らかの関係なのか? 対象間の関係なのか、それとも対象の名称ないしは記号の間の? 私の概念記法においては、このうちの最後だと私は考えた。それを支持するように見える根拠というのは次の通りだ。a = a と a = b は明らかに相異なる認識価値〔Erkenntniswert〕をもつ文だ。a = a はアプリオリに成り立ち、カントによれば分析的と呼ばれ得る一方、a = b という形式の文は、しばしば我々の認識の非常に有益な拡張を伴い、アプリオリにいつでも根拠づけられ得る訳ではないのだから。毎朝ひとつづつ新しい太陽が昇るのではなく、いつも同じだということは、天文学における最も豊饒な発見のひとつだったのであり、今日においても、小惑星や彗星の再認はいつでも自明のことという訳ではない。ところが、相等性を名称「

  • 論理哲学論考

    *   *   *   *   *   *   * 訳者より ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考の文のはじめに次のような註を附している。 各文の番号としての小数は、当の文の論理的重要度、私の叙述においてその文に置かれているアクセントを示唆する。文 n.1、n.2、n.3 等々は No. n の文への註であり、n.m1、n.m2 等々は No. n.m の文への註、以下同様。 これに従って原文の一部とオグデンによる英訳全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(www.kfs.org/~jonathan/witt)があるが、それを真似て日語版をつくってみた。(なお、原文全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(tractatus.hochholzer.info)もある。) 翻訳に際しては、edition suhrkamp の Tractatus logico-philosoph

  • 1