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ブックマーク / umiurimasu.exblog.jp (6)

  • 「すべての美しい馬」コーマック・マッカーシー | 族長の初夏

    「越境」がツボに入りすぎた勢いでこちらも読了。すばらしい。 この作品の一番のすごさはやはりその圧倒的な「馬描写」にあると思います。これはまわりくどい説明をするより文を読んでもらった方がわかりやすいでしょう。引用が長すぎるのはあまりよくないかもしれませんが、とりあえず二つほど例を挙げてみます。 ジョン・グレイディが両膝ではさむ肋骨の穹隆(くさかんむりに隆)の内側では、暗い色の肉でできた心臓が誰の意志でか鼓動し血液が脈打って流れ青みを帯びた複雑な内臓が誰の意志でか蠢き頑丈な大腿骨と膝と関節の処で伸びたり縮んだり伸びたり縮んだりする亜麻製の太い綱のような腱が全て誰の意志でか肉に包まれ保護されて、ひづめは朝露の降りた地面に穴をうがち頭は左右に振りたてられピアノの鍵盤のような大きな歯の間からは涎が垂が流れ熱い眼球のなかで世界が燃えていた。彼と馬たちが高い地卓を駆けると大地に蹄の音が響きわたり彼らは

  • 「越境」コーマック・マッカーシー | 族長の初夏

    これはものすごい。圧倒されました。メキシコの荒野をひとりで放浪する少年の体験を、まるで自分自身の体験と錯覚しそうなほど、リアルというか実感のともなった孤独感がもうなにこのすごいのわけわからない。いつも思うんですが、古今の高名な小説家たちはどうしてただの文章で、文章だけでこんなとてつもない芸当ができるんだろう。まるで魔法だ。高度に練達した文章技術は魔法と区別がつかない。 あらすじはシンプルで、牧童の少年ビリーがアメリカからメキシコへ旅をしていろいろなものを見たりいろいろな人に出会ったりいろいろな揉め事を起こしたり、という話です。「ザ・ロード」や「血と暴力の国」同様、どことなく神話的な趣のあるロードノベルという感じ。 作中のサブエピソードの中で特に印象的なのは、「崩れそうな教会に住んで神に議論を挑む男」、「眼球を吸いだされて盲目になった元革命軍兵士」、「山の上に墜落した二機の飛行機を運ぶジプシ

  • わずか6語の超短編SFいろいろ | 族長の初夏

    Wired: Very Short Stories ヘミングウェイにならって著名なSF・ファンタジー作家たちが「6語」という制限つきで書いた小説集がありました。クラーク、ル=グウィン、ギブスン、カード、ブリン他、メンバー豪華すぎです。いくつか選んで訳してみました。 【アラン・ムーア】 マシンを。偶然にも私は発明していた、タイム Machine. Unexpectedly, I’d invented a time 【デイヴィッド・ブリン】 真空衝突。 軌道分岐。 さらば、愛。 Vacuum collision. Orbits diverge. Farewell, love. 【ケン・マクラウド】 太陽光発電に切り替えた。太陽が新星化した。 We went solar; sun went nova. 【オースン・スコット・カード】 赤ん坊の血液型?人類さ、ほぼね。 The baby’s blo

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  • 「綺譚集」津原泰水 | 族長の初夏

    「心が折れる」小説とはこういうものだろうか。倫理と生理を総動員しての拒絶反応と幻想がもたらす快楽の板挟みによるサブミッション攻撃。津原泰水という人は、美しいものを醜く、あるいは醜いものを美しく表現する悪魔的な文才の持ち主なのだろうか。この異形のことばたちの前では、あの「妖都」もただの習作に思えるほどです。 しかもこの作品集、収録作15のほぼすべてがそれぞれ異なる文体で書かれているという凝りよう。短編一ずつに、ここまでするのか……。たまげ申した。 「天使解体」 幼女の死体を綺麗な写真が撮れるように「解体」しようとする男の壊れた精神を、純朴な語り口で描いた作品。圧倒的です。淡々とした描写と凄惨な光景のギャップが凶悪すぎる。ほんとうに嘔吐したくなりました。 「サイレン」 動物を殺すことで性的興奮をおぼえてしまう少年が、ふしだらな姉に祖父殺害を誘われる話。どろっとしたエロくささで窒息しそう。こ

  • ミナス・ティリス小町の謎 | 族長の初夏

    年明け早々から苦しんでいたしつこい風邪がようやく完治っぽくなってきたのでぼちぼち更新再開。養生中はを読む気力がなくて、もっぱら映画のDVDなどをぼけらーと眺めて過ごしておりました。結局、バットマン二と「燃えよドラゴン」と指輪三部作を消化。なんと、いかにも病気療養向きの映画ばかりではないか(頭を使わずに済む的な意味で。 「王の帰還」で出撃するファラミアを見送る群衆シーンに一カットだけ出てくる美少女さんの件。 単なるモブキャラなのにごっつい目立ってましたね。結局あれは誰なのか。キャストは不明。劇中に出てこない人物なら役柄としては何でもありうるので、そうさなあ、療病院のヨーレス婆さんが映画ではああなったというふうに脳内変換でもしておくか。 久しぶりに指輪映画を通しで見て、やっぱりファンタジーは小説向きの形式だ、という常からの思いを新たにしました。ファンタジーをリアルな映像や絵でやっちゃうと、

    ミナス・ティリス小町の謎 | 族長の初夏
  • ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏

    ガルシア=マルケスの「エレンディラ」を読み返していたら、あとがきに面白いことが。「2メートルのミミズにせよ、無数の蝶にすっぽり包まれた女性にせよ、われわれにとっては驚きであっても、そこに住んでいる人たちにとっては、ごくあたりまえの日常的なことでしかない。それを驚異と感じるためには、見慣れてしまって何の驚きも感じなくなっている魂を目覚めさせ、あらためてそれが驚異であることを発見しなければならない。」 (「エレンディラ」訳者あとがき 木村榮一)ここで僕が「あれ?なんか近いこと言ってそうだな」と思ったのが、トールキンの言葉、「馬や犬や羊に目をひらくためにはセントールや竜にであう必要がある」でした。これは「ファンタジーには見なれた現実からいったん距離をおくことによって、来驚異にみちている現実の姿を再発見させる力がある」というトールキンの考え方を端的にあらわした一言。らしいです。 南米マジックリア

    ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏
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