-フランス国民音楽のバックボーン- フランクたちフランス国民音楽派が目指そうとしたもの 『私にとって芸術とは“形”である。 表現、情熱――これらのものは何よりも素人を魅惑する。 だが芸術家にとってみれば話は別である。 優美な輪郭線、調和のとれた色彩、美しい和音の連続によって完全に満足させられないような芸術家は芸術を理解していないのである……。 16世紀には世紀を通じてあらゆる感情が締め出された称賛すべき作品が書かれていたのである。』 (フランス国民音楽の祖 カミーユ・サン=サーンスの言葉ーエマニュエル・ビュアンゾ著 田辺保訳「フランク」(1971年・音楽之友社刊)より) 1830年8月25日のベルギー、ブリュッセルのモネ劇場。 この日のだし物がある二重唱の場面にまで進んだとき、聴衆たちのうちの少なからぬ数の一団がにわかに興奮しはじめて劇場の外へ飛び出し、ネーデルランド(現在のオランダ)から