東の空がうっすら明るくなって、 コンビニまでご飯を買いに行く。 その間に誰ともすれ違わず、 自動販売機の押しボタンの明かりが、 強くなったり、弱くなったり、ほのかに揺れている。 新聞配達のバイクが小刻みにブルルンと言うのが遠くに聞こえて、 自分以外の人間が、そこにいることがわかる。 本当はこれくらいが丁度いいと思うんです。 明るくなると、箱の中から人がどんどん溢れ出て、 足で歩いたり、顔で喋ったり、脳で考えたりするから、 たまらず私は、家に帰って、次の夜明けを祈ります。
東の空がうっすら明るくなって、 コンビニまでご飯を買いに行く。 その間に誰ともすれ違わず、 自動販売機の押しボタンの明かりが、 強くなったり、弱くなったり、ほのかに揺れている。 新聞配達のバイクが小刻みにブルルンと言うのが遠くに聞こえて、 自分以外の人間が、そこにいることがわかる。 本当はこれくらいが丁度いいと思うんです。 明るくなると、箱の中から人がどんどん溢れ出て、 足で歩いたり、顔で喋ったり、脳で考えたりするから、 たまらず私は、家に帰って、次の夜明けを祈ります。
藤村シシン氏のツイートから始まるTL上の解読と特定班のみなさまのツイートをまとめさせて頂きました。 ※2016年3月22日、後日談追記 (まとめに掲載の許可を下さった方々、どうも有難うございます。)
ことし9月、京都大学と住宅メーカーが開発した木造の人工衛星が打ち上げられます。従来の衛星が環境に影響を及ぼす懸念がある中、宇宙での木材利用の可能性を考えます。
▽ 「ねむりのもりのはなし」長田弘 いまはむかし あるところに あべこべの くにがあったんだ はれたひは どしゃぶりで あめのひは からりとはれていた そらには きのねっこ つちのなかには ほし とおくは とってもちかくって ちかくが とってもとおかった うつくしいものが みにくい みにくいものが うつくしい わらうときには おこるんだ おこるときには わらうんだ みるときには めをつぶる めをあけても なにもみえない あたまは じめんにくっつけて あしで かんがえなくちゃいけない きのない もりでは はねを なくした てんしを てんしをなくした はねが さがしていた はなが さけんでいた ひとは だまっていた ことばに いみがなかった いみには ことばが なかった つよいのは もろい もろいのが つよい ただ
「谷川俊太郎さんってオタクなんだよね」 風のうわさにそんな話を聞いた。谷川さんって詩の人? そうそう、詩の人。 谷川俊太郎さんは現在83歳。1948年、17歳から詩の発表をはじめ、21歳で書いた「二十億光年の孤独」でデビュー。誰でもわかる言葉で現代的な詩を書きつづけてきた。最近は萩原朔太郎などと並んで「国語の教科書の人」という感じになっている。 そんな詩の人がオタクって本当なのか。真相を追求すべく、連休のよく晴れた日、都内某所の谷川さん宅におじゃましたのであった。 ●MacBook Proで詩を書いている 「これなんだけどね、Palmがなくなったとき買ったやつで※1」 谷川さんはこちらがソファに座るなり、なにやらいろいろ机に広げはじめてしまった。ああ、これはソニーのPDA『CLIE』ですかね……ってええと待ってくださいね。まず、詩を書くのにパソコンを使ってるって話ですけど。 「いまメインで
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年9月) 歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。現代では主に中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが、『万葉集』などから、うかがい知ることができる[1]。 歌垣の風習は、日本の他に、中国南部からベトナム、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある。 現代の中国南部および東南アジア北部で見られる歌垣を概観すると、祝祭日(多くの
「このような音ではない」という言葉が何を否定しているのかは、いろいろな捉え方がある。まず、直接的に3つの楽章を否定していくのは終楽章冒頭の低弦のレチタティーヴォだ。ノッテボームなどの研究によれば、ベートーベンのスケッチではこの器楽によるレチタティーヴォの旋律に歌詞が書き込まれている。スケッチの旋律はまだ未完成であるものの、最終的なレチタティーヴォと次のような対応関係がある: 1楽章が回顧されたあとのフレーズには「o nein, dieses nicht, etwas anderes gefälliges ist es was ich fordere(いや、これではいけない、もう少し違ったものを、快いものだ、私の求めているのは)」 2楽章の断片のあとでは「auch dieses nich, ist nicht besser, sondern nur etwas heiterer(これもだめだ
『IDEA』(誠文堂新光社)の第367号は、オルタナ編集者・郡淳一郎さんの構成・文による特集「日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律」。 表紙には、英文で"An Alternative History of Poetry in Japan 1945-1969 or A Gutenberg Elegy in a Thousand and One Steps"とある。ここで「文学」とは「詩」を意味していることが示唆されている。小説は? という向きは、「第2章 書物の王としての詩集」の扉に置かれた文をお読みいただくとよいだろう。 例によって選び抜かれた書物の姿や書誌を眺める楽しみはもちろんのことながら、随所に配された郡淳一郎さんの言葉が実にいい。目にして変な気分になる言葉には、確かに力が籠っている。『映画史』で、次々と繰り出される、どこかぶっきらぼうでありながら、一度目/耳にす
改訂された君が代(第二の君が代:現在の国歌) 1876年(明治9年)、海軍軍楽隊隊長永倉祐庸(すけつね)(後に中村と改姓)は、「君が代」の改訂を上申した。しかし世情安定せず翌年(1877年(明治10年))西南戦争が起こるなど、改訂作業は進展しなかった。この年フェントンは任期満了のためイギリスに帰国した。 翌1878年(明治11年)、海軍軍楽隊は様式をイギリス式からドイツ式に改めることになり、1879年(明治12)年春、ドイツから音楽教師フランツ・エッケルト(前独国海軍軍楽隊長)が来日した。当初2年契約であった彼の任期は結局21年という長期にわたるものとなった。 1880年(明治13年)1月、海軍省から宮内省に対して正式に君が代の作曲が依頼された。同6月、宮内省から海軍省に数種の楽譜が届けられたが、応募作品の数、応募者氏名などは明らかにされていない。そして7月、楽曲改訂委員に任命された
Shane Koyczan "To This Day". Help this message have a far reaching and long lasting effect in confronting bullying. Please share generously. Find Shane on Facebook - http://on.fb.me/Vwdi65 or on Twitter - http://www.twitter.com/koyczan I send out one new poem each month via email. You might like to join us. http://www.shanekoyczan.com "My experiences with violence in schools still echo througho
”ほっこり感動系の泣けるイイ映画”ではない。もうやりたい放題。すさまじいエゴの嵐。それを「だって仕方ないでしょ、美しいものが好きなんだもん」でぐいぐい押していく。ワクワクするようなドラマの面白さもない。観ている間中、不快だった(いい意味で)。 飛行機のプロペラ音や地鳴りの音などに充てられた異様な「人の声」に、「ほれ、ぜんぶ人力だぞ。ぜんぶ人が作ってるんだぞ」という監督のドヤ顔が目に浮かぶ。そしてメカのディティールの舐めるようなフェチな描写の官能性。ヘアスタイルといい深窓の令嬢という設定といいクラリスを思わせつつ、積極的で健気でエロいヒロイン*1 。まるで鳥のようになまなましく羽ばたく(紙)飛行機。 作り手の抜き難い”業”、というか監督の”体臭”が凝縮されて隅々にまで濃厚に立ち籠り、窒息寸前。 今さら私などが言うまでもなくこれは「宮崎駿」による「宮崎駿」のための「宮崎駿」自身の映画だ。つまり
2013年5月16日 東京新聞 筆洗 〈黒竜江に近い駐屯地に/遅い春が来たころ/毛虱(けじらみ)駆除の指導で慰安所に出向いた〉〈オンドルにアンペラを敷いた部屋は/独房のように飾り気が無く/洗浄の洗面器とバニシングクリームが/辛(つら)い営みを語っていた〉 ▼陸軍の衛生兵として、旧満州の慰安所で薬を配って歩いた経験を基にした河上政治さん(92)の「慰安婦と兵隊」という詩である。十数年前に読み強く心に残った。続きを紹介したい ▼〈いのちを産む聖なるからだに/ひとときの安らぎを求めた天皇の兵隊は/それから間もなく貨物船に詰め込まれ/家畜のように運ばれ/フィリッピンで飢えて死んだ〉 ▼〈水銀軟膏(なんこう)を手渡して去るぼくの背に/娘の唄(うた)う歌が追いかけてきた 〉。女性の出身地は分からない。薬を届けて帰ろうとした河上さんの耳に、彼女が口ずさんでいる歌が飛び込んできたのだろう ▼〈わたしのここ
9月30日の夜10時からEテレで放送したETV特集「映画にできること 園子温と大震災」で、園監督が創作した詩をご紹介しました。番組終了後、この詩の全文を知りたいという要望が多数寄せられました。 そこで、園監督の了承を得て、全文を掲載します。 なお、この番組は、10月7日(日)午前0時50分~再放送されます。(土曜日の夜遅く) まずは何かを正確に数えなくてはなら(な)かった。草が何本あったかでもいい。全部、数えろ。 花が、例えば花が、桜の花びらが何枚あったか。それが徒労に終わるわけない。まずは一センチメートルとか距離を決める。一つの距離の中の何かを数えなくてはならない。例えば一つの小学校とか、その中の一つの運動場とか、そこに咲いている桜が何本とか、その桜に何枚の花びらがあったとか、距離と数を確かめて、匂いに近づける。その距離の中の正確な数を調べれば匂いと同調する。たぶん俺達の嗅覚は、数を知
管理人:cyberbloom ■FRENCH BLOOM NET (FBN) は10名あまりのライターの投稿によって運営されている共同ブログです。フランスの映画や音楽、ファションや料理の話題を共有しつつ、そこに政治や経済、環境やテクノロジーの問題を織り込みながら、新しいフランス学を模索しています。 ■カテゴリーにあるのは各ライターのコーナーです。詳しくは「ABOUT & PROFILE」をご覧ください。 ■毎週フランス関連ニュースを紹介、解説している情報ブログ INFO-BASE、映画専門サイト、音楽専門サイトもご覧ください。 ☆FBN INFO-BASE ☆FRENCH BLOOM MUSIC ☆FRENCH BLOOM CINEMA ABOUT & PROFILE(2) サイバーリテラシー(257) extra ordinary #2(86) どうってことない風景(62) SUPER
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く