自己承認が、最初の他者(多くは親)による承認から生まれてくるのだとすれば、その親は誰に承認されたのか。──そのまた親から、ということになるのかもしれないが、このまま辿っていくならば、無限背進に陥る。最初に1をつくってしまえば、2、3、4を定義するのは簡単だ。しかし、最初に1をつくること。それが問題だ。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20071128/p1 この「無限背進」を肯定すること。つまり、現在私に聞こえる「承認」は本源的な〈承認の一撃〉の倍音の倍音の倍音であることを肯定すること。 別様に考えてみる。どのような辛い瞬間においても、その人の肉体は生きてある。いわば、肉体と肉体の置かれた世界の構造、ありとあらゆる自然界の法則は、そこにそのような存在者がいることを承認している。その場において、我思うゆえに我あり、なのだが、そのように我があることは、その場で可能