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訃報と死生観に関するushiwatatのブックマーク (3)

  • 黒柳徹子さん「仲良しだった野際陽子さんへ」:朝日新聞デジタル

    大好きだった、そして仲良しだった野際陽子さんへ NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。その頃からもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じお洋服屋さんで、お洋服を作ってもらったり。 私は、あなたの感覚が、好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。 長いことFAXでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのFAXは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のFAXは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう。 いつになったら、あなたが「やすらぎの郷」に沢山出ていらっしゃるかと、楽しみにしていました。あなたが病気で、それどころではない、なんて知らなかったのよ。一緒に芝居をやりましょうとか、よく話しあいましたね。 野際さん、胸がいっぱいで、悲しく、なんと言ったらいいのか、わかりません。転勤

    黒柳徹子さん「仲良しだった野際陽子さんへ」:朝日新聞デジタル
  • NHK NEWS WEB 水木しげるさん死去 その思いは

    水木しげるさん死去 その思いは 12月3日 21時20分 「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、先月30日、93歳でその生涯を閉じました。 妖怪漫画の第一人者として、水木さんの作品は、漫画だけにとどまらず、何度もアニメや映画になるなど、幅広い世代に愛され続けてきました。 その一方で、水木さんはみずからの戦争体験を漫画に書き続けてきました。漫画を愛し、妖怪を愛し、平和を愛した水木しげるさん。 水木さんの思いについて、科学文化部の小暮大祐記者が取材しました。 漫画家 水木しげるさん 水木さんは大正11年に大阪で生まれ、鳥取県の境港市で育ちました。 高等小学校を卒業後、新聞配達などをしながらデッサンの勉強を続けていましたが、昭和18年、21歳のときに召集されます。水木さんは、激戦が繰り広げられた太平洋のパプアニューギニアのラバウルへ送られました。

    NHK NEWS WEB 水木しげるさん死去 その思いは
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/12/08
    |「私の心の底には、絵が救ってくれるかもしれないと言ふ心が常にある。私には本当の絶望と言うものはない」|
  • 山内社長、ありがとう。さようなら。

    子供の頃から大好きな会社がありました。 今でも大好きです。 その会社が生み出す商品が、長い間、ぼくの心を掴み続けています。 父が買ってきてくれた魔法の箱。 それをつないだ小さな14インチのブラウン管は、無限の世界への窓になりました。 魔法の箱の名前はファミリーコンピュータ。 任天堂の、あなたの思いが詰まった玉手箱です。 少しおとなになって、しばらくゲームから離れていたけど、 NINTENDO64がまたぼくを任天堂の虜にしました。 当時、インターネットは今よりずっと狭い世界で、少数のファンが情報交換をしていました。 任天堂の魅力をもっとみんなに知ってもらいたい、そう思ってサイトを立ち上げたのは15年以上前の話です。 任天堂のこと、あなたのことをたくさん調べました。 大学在学中に花札の会社を継ぎ、何度も危機を乗り越えながらも、 世界的なエンターテインメント企業に育て上げたその手腕は誰もが認める

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