前の記事 どんなバイクも操縦するロボット(動画) 絶滅危惧で価格が高騰するマグロと、養殖技術の現状 次の記事 『ファイナルファンタジー』音楽の植松伸夫氏、米国で大人気 2009年7月27日 Chris Kohler サンフランシスコの『カブキ・ホテル』の日本庭園でくつろぐ植松氏。Photo: Jon Snyder/Wired.com。サイトトップの画像は別の英文記事より 12分の「オペラシーン」が壮大なエンディングに差し掛かると、チケットが完売となったこのコンサートの観客たちはスタンディング・オベーションのために立ち上がる。ゲーム『ファイナルファンタジー』の音楽を作曲した植松伸夫氏が壇上に上がると、拍手はさらに大きくなる。 植松氏がスタンディング・オベーションを受けるのはこの夜で2回目だ。最初は同氏が登場した時だった。演奏が始まる直前に、同氏が舞台の袖から現われ、スポットライトの中、舞台の
アウディデザイン・グランド(AUDI提供)Audi Designのロゴが控えめに光る(AUDI提供)個性的な背面(AUDI提供)アウディA5カブリオレ。日本でも13日に発表された(AUDI提供)ベーゼンドルファーのフラッグシップ、全長2.9mの290インペリアル(BÖsendorfer提供) ■奏でるアウディ アウディは7日、オーストリアの名門ピアノ会社ベーゼンドルファーとの協力によるピアノ「アウディデザイン・グランド」を発表した。 グランドピアノの中でも、大ホールでの演奏に適したコンサート・グランドといわれるものである。ザルツブルク音楽祭のスポンサーなど、以前からクラシック音楽とつながりが深いアウディの創立100周年記念企画だ。 アウディ側でデザインを手がけたのは、ミュンヘンにある同社のコンセプト・デザイン・スタジオである。 担当デザイナーのフィリップ・シュレジンガーは、「自由な
音楽家の坂本龍一さん(57)が、仏政府から、芸術の分野で顕著な功績を残した人に与えられる芸術文化勲章の「オフィシエ」を授与され、16日、東京・南麻布の仏大使公邸で叙勲式が行われた。 坂本さんは、電子音楽の先駆けとなった、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の活動で世界的な成功を収め、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」などの映画音楽でも活躍。さらに、世界の様々な地域の音楽を自分の作品に取り入れ、各国の音楽家と共同制作をするなど、「文化の多様性を豊かにした」(仏大使館)ことが評価された。 坂本さんは「ドビュッシー、ゴダールなど、数え切れないほどのフランス文化の恩恵、影響を受けています。音楽活動を通じて、少しでも恩返しができればと思います」と感謝の言葉を述べた。
辻井伸行さんが幼いころに遊んでいた機種と同じミニピアノ。オルゴールのような音色が響く=浜松市中区の河合楽器製作所 米国の国際ピアノコンクールで優勝した全盲のピアニスト辻井伸行さん(20)が幼いころに親しんだおもちゃのミニピアノが、売れに売れている。辻井さんの優勝以来、製造元の河合楽器製作所(浜松市中区)には注文が殺到し、生産が追いつかないほど。我が子や孫に使わせたいと、父母や祖父母らからの問い合わせが引きも切らない。 ミニピアノは、河合楽器が84年に販売を始めた。主に幼児が対象の知育玩具で、弦の代わりに金属製のパイプをハンマーでたたいて音を出す。正確な音程と音の強弱をつけられることが特徴で、オルゴールのような澄んだ音色を奏でる。鍵盤の数やデザインの違いで8機種(4千〜1万8千円)を用意。辻井さんが遊んでいたのは、鍵盤が25あるタイプ(5775円)だ。 河合楽器によると、玩具メーカーな
ザ・ブルーハーツのベーシストだった河口純之助氏が先日、幸福実現党(宗教法人「幸福の科学」の政党)から次期衆議院選挙への出馬を表明。ミュージシャンと宗教の関係の深さをあらためて印象付けた。 1995年に解散したものの、今もCMソング等に多く起用されるザ・ブルーハーツ。彼らが絶頂期に解散した理由は、河口氏が宗教活動にのめりこんだことが一因とされる。 「ザ・ブルーハーツのメンバーではドラマーも阿含宗の信徒でしたが、河口氏の熱心さは常軌を逸していました。あるとき、ファンを幸福の科学へと勧誘しようとしたことが発覚し、ボーカルの甲本とギタリストの真島が激怒。メンバーチェンジを目的として、バンド解散、新バンド結成にいたったといわれています」(当時を知る関係者) 河口氏ほど表立った形ではないにしても、篤い信仰心をもつミュージシャンは数多い。なかでも、音楽界における一大勢力といえるのが創価学会の関係者だ。解
クラシックCD業界に異変が起きている。村上春樹さんの小説に登場する音楽が異例の売り上げを伸ばし、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した盲目のピアニスト、辻井伸行さんのCDもオリコン上位にランクイン。一方、関西ではオケが楽員ソロCDを自主制作、発売を開始した。インターネットでの音楽配信やクラシック離れに悩んできた業界だが、活性化のチャンスが訪れている。 ♪ブーム到来 村上さんの最新作「1Q84」で、冒頭から登場し、読者に印象を残すヤナーチェックの「シンフォニエッタ」。ジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団版を発売するソニーミュージックによると、CD化した平成2年から今年までの出荷数は通算6000枚。ところが出版後問い合わせが相次ぎ、3週間で1万2000枚を出荷した。 通常、クラシックのCDは5000枚売れれば「成功」。だが、辻井さんのCDも破格の売れ行き。2枚のアルバムがオリコ
今回の「スリラー」のミュージックビデオ撮影で、ジャクソンさんと一緒に踊ったダンサーたち=米・ロサンゼルス近郊で、徳永さん提供徳永優子さん=Miki Horiguchi撮影 25日に急死したマイケル・ジャクソンさん(50)が亡くなる直前、7月のロンドン公演で披露するはずだった代表作「スリラー」のミュージックビデオの撮影に臨んでいた。その現場に、ロサンゼルス在住のヘアスタイリストの徳永優子さん(47)が立ち会って、ジャクソンさんの「最後の雄姿」を見届けていた。切れのあるダンスは健在。だが、撮影の合間は終始ガードマンに守られ、モニターの映像を見つめる姿は寂しげでか弱い印象だったという。 「明日の都合はいいかい? 面白い仕事があるよ」。5月31日、親友のメーキャップアーティストから突然、仕事の依頼を受けた。内容は分からないまま。スターの仕事では秘密が多く、8年前からハリウッドで活動する徳永さん
米歌手M・ジャクソンさん死去、復活コンサートかなわず2009年6月26日 印刷 ソーシャルブックマーク 6月25日、米歌手M・ジャクソンさん死去、復活コンサートかなわず。写真は2005年3月、米カリフォルニア州サンタ・マリアで(2009年 ロイター/Robert Galbraith/Files) [ロサンゼルス 25日 ロイター] 米歌手マイケル・ジャクソンさんが25日、ロサンゼルスで死亡した。50歳だった。子どものころからスターで、ポップ界の頂点に君臨したジャクソンさんだが、一方で奇妙な生活スタイルや性的なスキャンダルは、音楽の才能に影を落とした。 ロサンゼルス郡の検視官によると、ジャクソンさんは心肺停止状態でロサンゼルスの病院に運ばれた後、現地時間午後2時26分に死亡した。死因は明らかにされておらず、検視は26日に行われる予定だという。 ジャクソンさんの兄、ジャーメインさんは記者団に、
豪華クリエイター陣による、アニメ「ルパン三世」楽曲のカバー&リミックス集「Lupin The Third DANCE & DRIVE official covers & remixes」が8月26日にリリースされることになった。 この作品にはMONKEY MAJIK、Fantastic Plastic Machine、i-dep、COLDFEET、加賀美セイラ、DOUBLE、Q;indivi、quasimodeなどがカバー音源を提供。ハウスを基軸としつつ、ジャンルにとらわれない多彩なサウンドで「ルパン三世」の世界を楽しむことができる。 初回限定盤のDVDにはMONKEY MAJIKとルパンがコラボレートした、描き下ろしアニメによる「Lupin the Third<ルパン三世のテーマ>」のビデオクリップを収録。ジャケットは初回盤、通常盤ともに日本を代表するアニメーター大塚康生の描きおろしイラ
4日の決勝ラウンドで演奏する辻井伸行さん=米テキサス州フォートワース、バン・クライバーン財団提供米テキサス州で7日、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、写真撮影に応じる辻井伸行さん(中央)=AP 【ニューヨーク=田中光】生まれつき全盲の辻井伸行さん(20)が7日、米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。幼いころから「神童」と注目を集めてきたが、世界タイトルは初めて。中国人男性とともに2人が1位となった。辻井さんはテキサス州フォートワースの会場で「両親をはじめ、サポートしてくれたみなさんに喜びの気持ちを伝えたい」と語った。 コンクールでは、ショパンなどの曲目をこなし、「神業」と評価を得た。弦楽四重奏との演奏では、頭を振って息を合わせ、最終日の演奏が終わると、何度も「ブラボー」の歓声がわき起こった。 「とにかく自分の力が出し切れたので幸せです。お客さんが感動し
「イース」「英雄伝説」シリーズなどで知られる日本ファルコムは6月5日、自社タイトルで使用したBGMなどのゲームミュージック全曲について、使用料無料・許諾不要でユーザーが使えるようにする「ファルコム音楽フリー宣言」を発表した。 ドラマやCM、コンサートでの演奏など、一般的には音楽著作権管理団体に使用料を支払う必要があったケースでも、同社楽曲ならプロアマ問わず無料かつ無許諾で使用できる。ただし有償でのコンテンツ販売など、一部例外は除く。また楽曲を利用する際は、画像や印刷物などに指定のコピーライト表記を入れるよう求めている。 対象楽曲は6月時点で3453曲。古代祐三氏らが手がけてきた同社のゲームミュージックは名曲ぞろいで知られるが、楽曲はすべて自社で管理してきた。「これらの楽曲をゲームミュージックファンだけにとどまらず、今まで以上に多くの人々へ届けたいという思いを形にするべく、世界初の試みとして
■「いいかげんなのが最高だな」 --CDが売れない時代。「音楽業界の軸足はライブ(公演)に移っている」と最近の取材に答えていましたが… 坂本 もともと昔は(音楽家は)食えなかったでしょ。 --昔の音楽家にはパトロンがいましたよね 坂本 20世紀の約100年間が特殊な時代でね。結局、元に戻ったみたいなもんですよ。(音楽家にとって)結局まだ、お金になるのはライブじゃないですか。エジソンが(蓄音機を)発明する前は、音楽は全部ライブ。むしろ、健全な姿に戻っているのかもしれません。 --世界の多くの文化人が9・11(米中枢同時テロ)に影響を受けたと語っています。ご自身も変化があったということですが、音楽が世界に対して果たせる役割とは何でしょうか 坂本 あまり「音楽で世界や人を変えよう」とか、言いたくない。むしろ、しないほうがいいと思っているんです。音楽は「楽しむ程度に聴いてほしいな」と思います。 僕
■「感情的音楽」で変わった --映画音楽を手がけられ、世界に認められていきます。映画監督ベルナルド・ベルトルッチとの出会いが大きいようですね 坂本 一番影響を受けたのは音楽ですね。それまでは「音楽は音による感情表現だ」ということに抵抗があったんです。大学ではもうちょっと“数字的な音楽”を作ろうと勉強していたけど、それを見事にベルトルッチに打ち砕かれました。理論的にじゃなく、現場で。 --どの作品でですか 坂本 「ラストエンペラー」です。ロンドンのスタジオで録音していたら、本番中にベルトルッチが飛び込んできて「モールトエモーショナル(もっと感情的に)、モールトエモーショナル」って一人で怒鳴ってるんです。つまり感情の閾値(いきち)(最小値)みたいなものがあって、それを超えないと響いてこない。イタリア人はかなりそれが高いんでしょうね。 --それであの曲に? 坂本 そうですね。2回目の「シェルタリ
■幸運な出会い…いい仕事 3年前の晩秋、自動車月刊誌「エンジン」(新潮社)でひっそりと始まった個人史連載。世界の一線で常に走り続けている音楽家が、いきなり半生を語り始めたことに驚いたファンは少なくなかったのではないか。その連載が『音楽は自由にする』(同)として出版された。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の活動、映画音楽の作曲から、少年時代や家族のことまで、かなり私的なことにも踏み込んだ詳細な内容だ。還暦にも届かない57歳での初の本格的自伝。「教授」は何を語りたかったのか-。 --なぜ自伝を? 坂本 本当は全然語りたくないんです(笑)。(出版社の)熱意に押されてしまいました。ただ、本を作って分かったことがあるんですよ。若いときは誰でも自分一人で生きていると思っているんですね。「自分の才能で仕事している」と、僕も思っていた。でも今振り返ると、いろんな人の力で「坂本龍一という一人の人間
─新アルバムのタイトルは「out of noise」です。「ノイズ」とは、坂本さんにとってどういう存在? 坂本 タイトルについては説明しないことにしてて、考えてもらいたいというか、想像力にお任せしたい。ただノイズということでいえば、音のノイズのほかに、メタファー(暗喩(ゆ))としての意味もありますね。 ─とても映像的な曲で構成されていますが。 坂本 作るときは風景や絵、言葉から発想しても、聞く人に想像の余地を残す方がいいと思っています。メッセージ性も音楽にとってはじゃまです。音楽に、はっきりした映像やメッセージを補てんするものがあると、聞いている人は想像力が働かないんですよ。想像を働かせたいときは目を閉じるでしょ。 ─ネット上で「一日一言」を公開中です。先日は「毎日弾くのはほんと大切だなあ。一日弾かないと、もう指が固くなってる」と…。 坂本 普段はピアノ、ほとんど弾かな
大物テクノバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が26年ぶりに日本で「復活」することになった。これまでメンバー3人が一緒に活動することはあったが、「YMO」の名前は封印していた。なぜ復活なのか、ネットではいろいろ憶測も出ている。 「YMO」という名前は日本では使っていない 「YMO」は高橋幸宏さん(56)、細野晴臣さん(61)、坂本龍一さん(57)によるテクノバンドで1978年に結成。楽曲「テクノポリス」「ライディーン」と続け様に大ヒットを飛ばし、彼らが奏でる電子音はもとより、その髪型、服装まで真似る若者が続出。社会現象にまでなった。「散開(解散)」したのは83年だが、日本の音楽に与えた影響は非常に大きく、以降、メンバーの3人はソロでも活躍してきた。 そんな3人が、26年ぶりに日本で「YMO」として登場することが決まった。09年8月9日に東京・夢の島公園陸上競技場で開催される
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