大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろうのらん)は、江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂(現・大阪市)で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎(中斎)とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱である。大塩の乱[2][3]あるいは大塩事件とも言う[要出典]。 大塩平八郎 経緯[編集] 背景[編集] 前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発していた。大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者でもある大塩平八郎は[注 1]、奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書5万冊を全て売却し[注 2]、得た資金を持って救済に当たっていた[注 3]。 そのような世情であるにもかかわらず、大坂町奉行の跡部良弼(老中水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入した米を新将軍徳川家慶就任の儀式のため江戸へ廻送していた。このような情勢の
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