タグ

ブックマーク / note.com/syosin_kai (21)

  • 判決文を読んでみよう! ―3DS特許裁判編―|初心カイ

    0.はじめに 2011年2月、ニンテンドー3DSが発売されました。それに付随して「3DSは特許侵害である」という訴訟が起き、それを起こした人物が元ソニーの技術者ということがニュースになりました。これはそこそこ知っている人は多いと思います。 その訴訟は一度任天堂が敗北し、その後逆転勝訴をしたという経緯を持っているので、よく「任天堂最強法務部伝説」というネタで持ち出されることが多いです。youtubeの動画ネタにも使われています。 そんな裁判なのですが、どのようなところが問題となり、どのような流れを至ったのか、把握している人はどれだけいるでしょうか? おそらくほとんどいないと思います。私も知りませんでした。いい機会なので調べてみたところ、実はかなり難しい経緯を持っている裁判だということに気が付きました。ですので、ここに私が理解できた範囲で、その流れを記事化することにしました。毎度のことですが私

    判決文を読んでみよう! ―3DS特許裁判編―|初心カイ
    wata300
    wata300 2024/05/11
    けっきょく3Dスライダーが特許侵害になるという当初の判断がなんで覆ったのかがよくわからんなぁと思った。差し戻し審理の結果そうなったんだろうけど。特許問題は難しいなぁ…。
  • 野球ライセンスとゲームの歴史 ―コナミへの風評は正しいか?|初心カイ

    さて皆さんクイズです。「ゲームにおいての野球の実名ライセンスを独占契約した初の企業」はどこでしょう? ヒントは、コナミではありません。 …… …… …… はい、正解は「バップ」でした。 これをX上に投稿したところ結構な正解率で驚きました。皆さんはわかりましたか? この記事ではゲームと、日のプロ野球の実名ライセンスとの関わり合いと、コナミのやらかしについて深く解説していきます。よろしくおねがいします。 1.野球ゲームと実名選手の登場の歴史 まず、野球ゲームの大まかな歴史を辿ってみましょう。 日の野球ゲームといえばファミリーコンピュータ(以下ファミコン)の任天堂ベースボールが有名です。 これより前にセガがアーケードゲームで「チャンピオンベースボール」を稼働させており、その移植版としてSG-1000/SC-3000でも発売されました。 さらにこの前……となると、カセットビジョンで「ベースボー

    野球ライセンスとゲームの歴史 ―コナミへの風評は正しいか?|初心カイ
    wata300
    wata300 2024/03/25
    《選手会は裁判には負けましたが、コナミをイメージダウンさせることには大成功したのです。》ここの文面がおもしろくて笑っちゃったけどこれ誰も得してないな…。
  • どれだけ知ってる? スーパーファミコン時代のCD-ROM事情|初心カイ

    もともと「プレイステーション」という名称が、スーパーファミコンにくっつく拡張用CD-ROMオプションにつけられた名前だった、ということは、私のnoteを読みにくる方でしたら、だいたい知っていることだと思います。 それとは別に任天堂がフィリップスと提携して独自にCD-ROM機器を出すと発表し、プレイステーションの計画(このCD-ROM機器を後のPS1と区別するためプレイステーション0と呼称します)は破綻し、ソニーは独自路線を歩むことになります。そして任天堂はいつのまにかこのフィリップス系独自CD-ROM(これには正式名称がないのですが死ぬほどわかりづらいので、フィリップスシステムと呼称します)計画をぽしゃってしまい、スーパーファミコンはパワーアップせずそのままニンテンドウ64へと向かうこととなりました。 大雑把にこんな歴史を歩んでいたのですが、皆さん、このプレイステーション0とフィリップスシ

    どれだけ知ってる? スーパーファミコン時代のCD-ROM事情|初心カイ
    wata300
    wata300 2023/11/07
    「フィリップスシステム」(記事内の呼称)については完全に初耳だった。ハードはぽしゃったとしてソフトはなにか作っていたのだろうか?
  • 任天堂、ピザを焼く ―とあるアメリカの文化に対する一考察―|初心カイ

    1.魅惑なるピザピザは熱ければ熱いほど、良い 初心カイ 2023年10月ゲームとピザは縁が深い。1ピース欠ければパックマンになるし(ただし欠けたピザがパックマンのヒントになった、というのは完全な創作である)、ファイナルファイトではマッドギアの攻勢に圧されボコボコになったコーディの体力を大幅に回復してくれるし、マザー2でもネスのHPを回復してくれる(しかもマッハで届けてくれる)。 そんなピザであるが、かつて任天堂がピザ屋を経営していた時期があったことをご存じだろうか? この話はすでに老舗ファミコン解説サイト「ファミコンのネタ!」内にて詳しく解説されているが、この記事では別方向の切り口で解説していくことにする。 まず、この事実に至るまでの歴史をなぞっていこう。任天堂という縦軸の歴史に対して、もう一つ横軸の歴史が必要となる。そのキーマンが、ノーラン・ブッシュネルである。 2.ブッシュネルとピザ

    任天堂、ピザを焼く ―とあるアメリカの文化に対する一考察―|初心カイ
    wata300
    wata300 2023/10/22
    オロチさんの「任天堂はピザ屋をやっていた!!」の初心カイさんバージョン。おもしろかった。文中に出てくる「最高峰のアニメーション」ってのはピザ屋でやってたという機械の人形劇のことでいいのかな?
  • とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ

    2023年は任天堂がファミリーコンピュータを世に出してから40周年にあたります。おめでとうございます。 まだ動く個体のファミコンが存在することに驚きます。私はファミコンと同世代なのですが、最近は体にガタがくるようになりました。どれだけ耐久力あるんでしょうね、ファミコン。 それほど長い歴史を有しているファミコンなのですが、おかげで少しばかり誤解の種が存在しているようです。それは「ファミコンは厳しい任天堂チェックを行っていたので、クソゲーは発売できなかった」というものです。これが誤解であることは、当時のファミコンソフトをランダムにいくつか触ってみればわかることなんですが(私リアルタイムでエルナークの財宝をプレイしたことがあるんですが、当にどう遊んで良いのかわからなかったです)、たまにそういったシステムを敷いていたと思い込んでいる人の言説に出会うことがあります。 しかし「そう思ってしまいかねな

    とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ
  • 判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ

    0.はじめに 2001年7月、任天堂が裁判所に対してとある訴訟を起こしました。 相手先はファミ通の発売元であるエンターブレインと、有限会社ティルナノーグ。目的はとある一ゲームの販売差し止めと、賠償金支払い。そのゲームソフトの名前は「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」。 これが有名なエムブレムサーガ裁判の発端です。これは一部任天堂が勝訴しつつもかつ、「クリエイターが別会社で似たような作風の作品をつくっても問題がない」という判例が下ったことで有名です。ある種、ゲーム歴史のターニングポイントともいえる裁判であります。 そんな裁判でありますが、実際に判決文を読んだことがある人はどれだけいるでしょうか? あんまりいないと思います。私もようやく読みました。必死になって。大変でした。 この記事はエムブレムサーガ裁判の流れを追いつつ、どのようなやりとりがあり、具体的にどこが認められ、どこが認められ

    判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ
  • 「ゲームの歴史」を読みました / PS1に任天堂のDNAは宿っているのか?|初心カイ

    岩崎夏海氏・稲田豊史氏共著の「ゲーム歴史」1-3巻を読みました。 このは「ゲーム歴史」を謳っていますが、歴史教科書的に事実の羅列で済ますのではなく、ある程度出来事とそのリアクションを掘り下げ、そこから自身の主張を搦めて一つの大きな物語を紡ぐ読み物になっています。いうなれば私の書いている記事の、もっともっと先をいった進化版のようなものです(プロの作家さんは当に凄まじいですね)。 その上でその絡めた主張というのもなかなか面白く、「ゲームの根はハッキングである」という主張には目からうろこでした。なるほど、来の用途とは別方向のアプローチをしかけることがそもそものゲーム(=ハッキング)なのだ、という主張はゲーム歴史を覆って面白い物語に仕立てるのに相応しい、とても素晴らしいアイデアだと思います。(2023/2/9追記 そもそもゲームはコンピューターの来の用途の内に入っておりハッキングで

    「ゲームの歴史」を読みました / PS1に任天堂のDNAは宿っているのか?|初心カイ
  • 特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ

    こんな形であったりします。自社生産も委託生産も、ユーザー側からしたら「カセットの形状がちょっとだけ変わってる」くらいの意味合いしか持ちません。 しかしメーカー側には重大な違いがあります。委託生産の場合、任天堂が製造する都合、任天堂がどれだけ生産するか決めることができます。 「どうして任天堂が委託する生産量を制限する必要があるんだ?」と思われるかも知れませんが、任天堂が認定したROM工場は多くはなく、毎月百万単位のROMがその少ない工場内で振り分けられ作られていました。もし、複数のソフト会社の大作がぶつかった場合、その製造ラインのほとんどをそれらに奪われ、その他の中小への割り当てが少なくなってしまうのです。その割り当てを決める権利は任天堂にありました。 またナムコvs任天堂でも解説したとおり、任天堂への委託生産の場合は任天堂から厳しい表現チェックが入ります。直接的な残酷表現、性表現、宗教表現

    特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/11/19
    おもしろい。「みんな委託生産に変更してますよ」っていう建前だけど実情はちょっと違ったと。
  • ナムコvs任天堂 あとがき|初心カイ

    ごめんなさい(初手謝罪二回目です)。 肝心要の部分の多数を私の脚色で補っています。毎度のことですが、今回は当に、当に思惑の部分がさっぱりわからないので、整合性がつきそうな説明を勝手に此方で行っています。以下、脚色部分の解説です。 1975年のアタリジャパン買収で、中村製作所との仲が悪くなったわけではない、という解説は、翌年要人の行き来が行われ記念撮影も行われているために書いたのですが、当に仲が悪いわけじゃなかった、というのはちょっと疑問符がつきます。 なぜならアタリジャパンを買収して専売権を有しているのにもかかわらず、Breakoutのライセンスをタイトーにもアタリは売ってしまっています。ここらへん、なんでこんなことをしてしまったのかさっぱりわかりません。中村製作所も怒って良いと思うんですが。 また、Breakoutのコピー問題が発生した際、中村社長はブッシュネルに対して法的措置を取

    ナムコvs任天堂 あとがき|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/11/15
    《今回ナムコのファミコンのロイヤリティ料も数十円と記載しています。私は以前100円説を取ったのですが、変えた理由として「日本デジタルゲーム産業史」にはっきり「10円」と書かれてしまっているからです》
  • 二大企業大激突! ナムコvs任天堂 後編 -戦いの先にあるものへ-|初心カイ

    進まぬ海外展開と、関係悪化 1988年頃の国内市場はファミコンブームが冷めたわけではないのだが、一時のような熱狂的な加熱はなくなってきた。成長が鈍化しつつあったのだ。任天堂はかわりにアメリカに注力する。海外展開に成功し、アタリショック後のアメリカ市場を切り開き、大きな利益を得るようになったのだ。 コナミはこのビッグウェーブに乗り遅れないよう、すぐさまNintendo Of America(NOA)と契約し、NES向け用ゲームソフトを発売し、売上を伸ばした。 コナミと比較して、ナムコの海外展開は遅れていた。今まではアタリと協調し海外展開を進めていたのではあるが、アタリは経営悪化の影響でワーナーの傘下に入っていた。しかもアタリショック後、経営的に決定的に大きなダメージを受けてしまい、家庭用ゲーム機部門がアタリコープとして体のアタリゲームズと分裂してしまっていた。 1985年にナムコは親会社で

    二大企業大激突! ナムコvs任天堂 後編 -戦いの先にあるものへ-|初心カイ
  • 二大企業大激突! ナムコvs任天堂 前編 -仁義ある戦い-|初心カイ

    はじめに 西に任天堂あり。京都に社を構える世界的娯楽企業である。 東にナムコ(現在バンダイナムコホールディングス)あり。東京に社を構える世界的娯楽企業である。 この二つの企業は、現在ゲーム業界で非常に大きな影響力を有している。同時に、まだ未成熟で小さかったゲーム業界を牽引し、今に至る歴史を支える重要なキーマンだ。 そんな二社であるが、かつて関係が最悪領域に到達し、裁判所を巻き込んだ大激突をしたことがあったことを把握している人はどれほどいるだろうか? この記事はそんな混乱の最中、何があったのかを詳しく解説するものである。 まずは二社、それぞれの歴史を大まかになぞっていこう。 任天堂とナムコは同じゲーム業界の企業ではあるが、誕生のベース自体はいささか異なっている。 任天堂は京都の老舗花札屋であるが中興の祖、三代目社長山内溥がおもちゃに手を出し名を馳せた。このおもちゃの延長線上として電子機器

    二大企業大激突! ナムコvs任天堂 前編 -仁義ある戦い-|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/11/05
    《『わけが分からないことが起こっている……。作れるということと,作っていいということは別だ』》本当に謎の理論なので笑ってしまった。山内社長なら言いそうだしw
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 後編|初心カイ

    現れた二人の天才。――そして悲劇は訪れる 松下も、三洋も、なりふりかわまずソフトメーカーに誘致をかけた。その多数はろくな結果を生んでいない。オープンプラットフォームを標榜し、規制も弱かったため、18禁の実写取り込み脱衣ゲームも出た。カプコンがストリートファイターⅡXの独占販売(このゲームは長らく3DO以外に移植されなかった)をしてくれたことがほぼ唯一の優位性であった。 しかしその姿勢は二人の天才を呼び込むことに成功した。一人は飯野賢治である。 飯野賢治。彼はそのときはまだ無名の1クリエイターでしかなかった。その彼が独立し会社を設立したあと、選んだプラットフォームが3DOだった。それには理由がある。 当時圧倒的シェアを誇っていたのはスーパーファミコンだ。しかしスーパーファミコンで売れる人気ソフト、といえば続編ものであったりキャラクタものであったり、もしくはアーケードの移植作だ。飯野賢治の手元

    3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 後編|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/09/23
    《結局のところ、消費者は『映像だけキレイな、中身のない駄目ゲー』には厳しかったのである。》
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 中編|初心カイ

    3DO REALの誕生 話が前後するが、1993年1月、北米最大の見市コンシューマ・エレクトロニック・ショーにて松下が提供する世界初の3DO規格プレイヤー、「3DO REAL」がお披露目された。そのデモで示された性能は当時のライバル、SNESとGENESISを凌駕し、GENESISのアップグレード機器SEGA CDをも上回っていた。 ただしこの段階ではあくまでAT&Tのモデムやセットトップボックスユニットというのは構想の一つ程度のものでしかなく、具体的なプランは上がってきていない。それにワーナーやMCAが期待していたビデオCDへの標準対応も見送られた。3DOの性能は高いものではあったが、そのビデオチップが肝心要のビデオCDのコーデックMpeg1に非対応だった。これはおそらくMpeg1にまで対応してしまうと、ただでさえ高性能で高コストな3DO体が、さらに高くならざるを得ない事情があったた

    3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 中編|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/09/18
    3DO中編! 山内元社長の「99%駄目」理論って3DOに対しての話だったのか。
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ

    はじめに ――3DO この言葉に反応できる者はオッサンゲーマーだろう。20代以下の若者は一度も聞いたことがないかもしれない。しかし、反応できるオッサンゲーマーでも正確に3DOがなんなのか、把握している者はさほど多くはないのではないか? 「ゲームに関わったことがない松下が、適当に出して大失敗したゲームハードだろ?」 くらいの理解でいる方が多いのではないだろうか。実はこの理解はいろいろと事実誤認を含んでいる。 実はこのハードを作るにあたって、多数のゲーマーと、ゲームゲーム業界に詳しい人らが幾人も深く深く関わっている。そもそもの規格提唱者はゲーム業界に大きな影響を及ぼしたレジェンドなのである。そして松下自身もゲーム業界に以前から深く関わっていて、さらにいうならば3DOはゲームハードではない。 この奇妙奇天烈なハードについて解説を行うにあたり少しばかり時間を頂きたい。このハードが生まれ、そして敗

    3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ
  • 「コナミの商標登録問題」のあとしまつ -暗黒メガコーポの誕生とその背景-|初心カイ

    記事は法律の専門家でもなんでもないアマチュア研究家が書いています。そこらへんをお含みおきの上、ご高覧ください) 1.暗黒メガコーポコナミの誕生の経緯 2022年5月、ネットの海を震撼させる事件が起きました。それは「ゆっくり茶番劇商標登録問題」。youtubeやニコニコ動画で広く使われる「ゆっくり茶番劇」という言葉が、全然無名の1ユーザーによって商標登録されてしまい、その上「商標の使用料として10万円支払え」と言い出したのです。 この事件の流れの解説は他の皆様の記事に任せることとして、ざっくりいうと最終的に権利放棄へと至りました。無事、ネットの海に平穏が戻ってきたのです。 しかしこういった商標絡みの事件が起きるたび、思い出したかのように叩かれる企業が存在します。 その名はコナミ(現コナミグループ株式会社)。1999年に実際に商標登録で問題を起こしたことがある企業です。その内容はなかなか入

    「コナミの商標登録問題」のあとしまつ -暗黒メガコーポの誕生とその背景-|初心カイ
  • 絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ

    はじめに 桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ が累計販売数350万を突破しました。おめでとうございます。 最新ニュースを掲載しました。 『桃鉄』と「日清焼そばU.F.O.」の異色コラボが実現! ~ 『桃鉄』 の累計販売数は350万を突破 ~https://t.co/AGox7AEIDw pic.twitter.com/8yPM7ozeRv — KONAMI 企業広報・IR (@Konami_PR_IR) March 22, 2022 この売上は驚異的なものです。日において300万以上売り上げたゲームソフトは、実は「任天堂/ポケモン関連」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」「妖怪ウォッチ」しかありません。とんでもない化け物IPたちに桃鉄が仲間入りした、ということになります(元から長年の歴史を組んだ化け物IPな気がしますが)。 さて、そんな桃鉄

    絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/06/10
    「日本において300万本以上売り上げたゲームソフトは、」のくだりの「任天堂/ポケモン」だけシリーズタイトルじゃなくてメーカー名ってとこで笑った。
  • もう一度立ち上がれ、Xbox -再建者フィル・スペンサー- 後編|初心カイ

    フィルは1990年、ワシントン大学を卒業した後そのままマイクロソフトに入社した生え抜きだった。ファイナンスソフトの開発や、エンカルタと呼ばれる電子百科事典の開発、そしてMSN(MSが立ち上げたポータルサイト)の立ち上げに携わった。 マイクロソフトがXboxでゲーム業界に参入したあと、フィルは社内ゲームスタジオStudioXに参加した。開発会社と連携し、そのゲームタイトルをマイクロソフト名義で発売するようになる。ライオンヘッドスタジオという開発会社が作ったFableという独特の世界観をもったRPGにフィルも関わった。Fableは日国内では無名に近いが、海外で260万というヒットを記録している。なお、他にはレア社(SFCのスーパードンキーコングを開発した会社である。この時点で売却され、マイクロソフトの子会社になっていた)のタイトルを管理し、発売していた。360ではあつまれピニャータ!!がレ

    もう一度立ち上がれ、Xbox -再建者フィル・スペンサー- 後編|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/06/04
    《フィルは何度も「コンソールウォーを辞めよう」と主張していた》
  • もう一度立ち上がれ、Xbox -再建者フィル・スペンサー- 前編|初心カイ

    「世界的な家庭用ゲーム機といえば?」と聞かれた場合、貴方は何と答えるだろうか? おそらくは「Nintendo Switch!」と答えるだろう。Switchは素晴らしいゲーム機であり、事実世界的にもとても良く売れている。 ところがである。そんなNintendoSwitchも、2022年3月時点では未だプレイステーション4の累計出荷台数に追いついていない。半導体不足や、発売日から5年しか経過していない(PS4は9年目である)ことを考慮するとそれでも凄いことではあるが、PS4が如何に売れていたか、実感できると思う。現時点でもっとも売れた家庭用ゲーム機は未だにPS2であるし、「プレイステーション」というブランドは世界的な地位を築いているのだ。Call Of DutyやAssassin CreedといったAAAタイトルを、皆はプレイステーション上で動かしている。 そんなプレイステーションにかつて戦い

    もう一度立ち上がれ、Xbox -再建者フィル・スペンサー- 前編|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/05/27
    Xbox史前編。中古売買制限騒動の話はなんとなくうっすら覚えてるなぁ。
  • 任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ

    2015年7月。任天堂社長、岩田聡死去。55歳。あまりに早すぎる死であった。 現役任天堂社長の死、という事態に驚いたのはゲーマーたちばかりではない。その当事者である任天堂は二ヶ月の社長空白期間をおくことになった。 その二ヶ月後、任天堂の社長になった男に、ゲーマーたちは驚いた。その男はクリエイター畑ではなく、今までマスコミに対して露出することがなかった、ほとんど無名といっていい人物だったからである。しかもゲームソフトの開発には一度たりとて携わったことはなかった。 知名度でいえばマリオの生みの親、宮茂がずば抜けて高く、次いでハード部門での責任者竹田玄洋が高かった。彼らを差し置いて会社の顔となった男は、いったい如何なる男なのか? 君島達己。 彼は元々銀行マンであった。ゲーム会社の経営とはとても無縁そうな経歴に見える。しかし彼は岩田社長や、山内元社長らの下で、任天堂の気質と娯楽産業のあり方をハイ

    任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/05/07
    《君島はWiiUに対しては「WiiU否定派」だった。彼はWiiUを見て直感的に「Wiiと比べて、如何に面白いか、どう違うのか伝えることはできないのではないか」と思った。》
  • 「金のマリオ像」とはなんだったのか -任天堂エンターテイメント-|初心カイ

    「金のマリオ像」というものがあったことをご存じだろうか。ゲーム屋や家電量販店の一角に置いてあった金色に塗られたマリオの模型(もちろん純金製ではない)で、そこの一角は「任天堂エンターテイメント」と書かれた看板が下がり、多種多様のスーパーファミコンソフトと公式グッズが並んでいた。当時の子どもたちは夢中で遊びにいったが、かつての小売店側からすると当時を思い出しなかなかに冷たい表情になってしまう、とされるものだ。 いわく、300万円の契約金を支払わされた。 いわく、それを買わないとゲームソフトが入ってこなかった。 いわく、近くの店が先に加入したため、うちは加入することができなかった。 怨嗟の声は四方八方から聞こえており、当時の任天堂・初心会流通に対する不信があったことを物語っている。 さて、いったい任天堂は何を目的としてこの「任天堂エンターテイメント」を始めたのであろうか? この記事ではより俯瞰的

    「金のマリオ像」とはなんだったのか -任天堂エンターテイメント-|初心カイ
    wata300
    wata300 2022/04/09
    《問題なのは「任天堂が何を目的として、このシステムを作り上げたのか」を具体的な説明を誰も上手くできないのだ。》