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2011年9月11日のブックマーク (10件)

  • 公文書にみる発明のチカラ : 国立公文書館

    人力車、乾電池、オルガン、蚊取り線香、電球、氷砂糖、ビタミン・・・今ではすっかりお馴染みのこれらは、すべて明治時代に発明されたものばかりです。今回の特別展では、こうした明治期に考案された発明の数々を発明家や特許に関する公文書を通してご紹介いたします。 発明家たちの記録を綴った公文書は、発明家・技術者たちの華々しい活躍を伝えると同時に挫折や失敗を乗り越え発明に精励する彼らの姿を浮かび上がらせています。また、詳細な発明品の図面や特許明細書などからは、次第に機械化し近代化する明治の工業の成長と技術の進歩を感じることができ、発明の歴史を通して近代産業の発展過程を辿ることができます。 日技術発展を支え続けてきた「発明のチカラ」を、貴重な公文書や発明をめぐる様々な物語とともにお楽しみください。 ※デジタル展示「公文書にみる 発明のチカラ」は、平成22年秋の特別展「公文書にみる 発明のチカラ」を再構

  • 「知らないこと」は「必要ないこと」か

    「知らないこと」は「必要ないこと」か ロバート・リケット◎文学科助教授 はじめに 他者・他民族への理解は、たとえ小さなことであっても、「知る」ことからはじまります。その一歩さえ踏み出せない、いや踏み出させない「われわれ」。 「わたくし」を包摂する「われわれ」、「われわれ」 の中で揺れ動いている「わたくし」、「わたくし」の中の「われわれ」。人生をほぼ半分に、日アメリカに分けて生きてきた僕は、「わたくし」と「われわれ」を区別する難しさをつくづく感じます。 しかし、事情によって、場合によって、両者の区切り方によって、「われわれ」に入らない、あるいは入れてもらえない「わたくし」もいます。障害、性別、人種、民族、国籍などとなると、この線がよりはっきりと引かれます。 民族と国家の場合には、国家のあり方や社会・経済体制にも、もちろん原因がありますが、それ以上に、他民族への抑圧を通して形成されてきた自

  • 「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■ナチスの「25カ条綱領」は日人必読では http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program ■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。 ■誰がナチスを支持したのか? ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数の議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党

    「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去
  • ぶた屋フォトギャラリー

    前面の木製デッキデッキ部分は濃いグリーンの色で仕上げています、アプローチ部分のレンガ色とのコントラストが美しい

  • 結核の街・清瀬を歩く。結核療養所のすべて[絵文録ことのは]2009/04/15

    結核の街として知られる清瀬を歩いてきた。埼玉県との境に位置する清瀬市は、日でも多くの結核療養所が集中して建てられている「結核の街」だった。東京府立清瀬病院を皮切りに、公営・民営の結核療養所が集まり、最終的には15の療養所を数えることとなったとされている。 ここでは俳人・石田波郷や、吉行淳之介が療養生活を送っていたことでも有名だ。 これらの療養所は、今は結核専門ではない。結核の治療法が変わり、結核が「薬を飲めば治る病」になって、療養所は役目を終えたといえる。しかし、あるものは廃院となり、あるものは一般病院となったとはいえ、結核の街の記憶は消えるわけではない。 そんな清瀬の「ゲニウス・ロキ」をたどるべく、現存する病院すべてを実際に訪ねてみた。 関連記事:結核経験者から見たハリセンボン箕輪はるかの結核感染[絵文録ことのは]2009/04/08 ■『サナトリウム残影』をテキストに歩く テキストは

  • 『カムイ伝講義』 - Arisanのノート

    カムイ伝講義 作者: 田中優子出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/10/01メディア: 単行購入: 4人 クリック: 42回この商品を含むブログ (27件) を見る 去年後半に出版された話題のだが、江戸時代に関して瞠目するようなことが、いっぱい書いてある。 たとえば、江戸時代は日でも綿花の栽培がたいへんさかんで、一大産業になっていたことなどは、まるで知らなかった。 養蚕(生糸)のイメージはあるが、綿花の栽培がそんなに盛んだったとは。 正直、綿花と生糸の区別も、よく分かってなかった。 前半ではとくに、当時の農村のことに焦点があてられてるのだが、とくに注目されるのは、江戸時代の、とくに農村がいわゆる「自給自足」の経済ではなく、貨幣経済(商品経済)によって(媒介として)成り立っていた、ということである。 当時の農村は、驚異的な技術開発によって「循環型」ともいわれる無駄のまったくな

    『カムイ伝講義』 - Arisanのノート
  • アラカルト-大山(雨降山)と藤沢(調査報告)-: みゆネットふじさわ

  • 移民の世紀

    ようこそ「移民の世紀」へ みなさんは「移民」という言葉になにを感じるでしょう。移民に共通するのは、生まれた国や故郷・家族・友人などとの「別れ」があり、見知らぬ国や人との「出会い」があることです。そんな長い海外移住の経験をもつ人々が、それぞれの人生の哀しみと喜びを胸に刻みつづける歴史が移民そのものといえるでしょう。 みなさんは沖縄と移民をどう結びつけるでしょうか。このサイトは日でも有数の移民県・沖縄を紹介しています。沖縄県の移民が盛んであった証拠にボリビアの地図に実際今でも「オキナワ」の地名がありますし、また、フィリピンには「バゴ・オオシシロ」という沖縄県出身者の地名も残っています。これらの例は、まだほんの一部分です。沖縄の移民100年の時間の流れには激動と愛の歴史が星の数ほどあります。 このサイトで沖縄の移民の世紀を体感し、移民のおりなす人間ドラマを感じてもらいたいと思います。 【監修・

  • 大泉町観光協会

    大泉町観光協会 〒370-0517 群馬県邑楽郡大泉町西小泉4-11-22 TEL:0276-61-2038 FAX:0276-61-3078 営業時間:月~土 8:30~17:30 休日:日曜・祝日

  • 藪本雅子『ゲゲゲの鬼太郎とハンセン病』

    ハンセン病の国賠訴訟で、原告団長をつとめていた谺さんいわく、 ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじは、ハンセン病であったとか。 初期の作品の「幽霊一家」に鬼太郎誕生の巻があり、それによるとこうだ。 売血を輸血した患者が幽霊になる事態が発生していて、 血液銀行につとめる水木が調査を命じられた。 調べてみると、自分の家の番地の古寺の者の血だということがわかり、 訪ねると、そこに幽霊夫婦が住んでいた。 夫は、「不治の病」でその治療費がかかるためにが血液を売っているのだった。 はそのとき、妊娠していた。 数ヵ月後、水木が再度古寺に行ってみると、夫婦は死んでいた。 水木が墓を掘ったが、夫は身体が崩れていて運べず、 だけ墓に埋めて帰る。 墓の中で、幾多郎は自力で生まれ、墓穴から這い出してきた。 すると、死んでいる筈の父親が突然目を見開き、子供を励まそうと 目玉ひとつだけが顔から転がり出て、鬼太郎のそばに駆

    藪本雅子『ゲゲゲの鬼太郎とハンセン病』