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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (6)

  • 『日本の近代化と民衆思想』 - Arisanのノート

    の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー) 作者: 安丸良夫出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1999/10/14メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 67回この商品を含むブログ (23件) を見る今年に入って平凡社ライブラリーから「名著復刊」として新しい刷が発売された書は、もともと、歴史学者安丸良夫が、60年安保の国会議事堂を包囲した闘争に一学生として参加した体験を機縁として、60年代から70年代前半に書き継いだ論考を一冊にまとめたもの(74年出版)である。 「通俗道徳」の利用と日近代の民衆宗教 書の前半ではまず、近世から明治にかけての日の民衆闘争を支えた思想が、近代化や国民精神の形成と表裏をなす「道徳主義」にあったことが強調される。 これは、民衆の道徳主義を、江戸時代からの封建的遺制として否定的にのみ捉える、従来のマルクス主義史学や丸山真男などへの異議を、民衆史という

    『日本の近代化と民衆思想』 - Arisanのノート
  • 『福島の原発事故をめぐって』 - Arisanのノート

    著名な科学史家による、原発事故をめぐる省察。 福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと 作者: 山義隆出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2011/08/25メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 372回この商品を含むブログ (36件) を見る このを通読して実感したことは、「原子力」という訳語が日ではあてられている核工学や核産業というものが、いかに国家権力や、国家主権の思想と深く結びついて成立してきた、いびつな「科学」であり「産業」であるか、ということである。 書は三章からなっている。 「日における原発開発の深層底流」と題された最初の章では、この国における「原子力政策」が、そもそもの初めから一貫して、核兵器保有が可能な能力を持ちたいという支配層の意志に基づくものであったことが、詳しく述べられている。 潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、

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  • 『カムイ伝講義』 - Arisanのノート

    カムイ伝講義 作者: 田中優子出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/10/01メディア: 単行購入: 4人 クリック: 42回この商品を含むブログ (27件) を見る 去年後半に出版された話題のだが、江戸時代に関して瞠目するようなことが、いっぱい書いてある。 たとえば、江戸時代は日でも綿花の栽培がたいへんさかんで、一大産業になっていたことなどは、まるで知らなかった。 養蚕(生糸)のイメージはあるが、綿花の栽培がそんなに盛んだったとは。 正直、綿花と生糸の区別も、よく分かってなかった。 前半ではとくに、当時の農村のことに焦点があてられてるのだが、とくに注目されるのは、江戸時代の、とくに農村がいわゆる「自給自足」の経済ではなく、貨幣経済(商品経済)によって(媒介として)成り立っていた、ということである。 当時の農村は、驚異的な技術開発によって「循環型」ともいわれる無駄のまったくな

    『カムイ伝講義』 - Arisanのノート
  • 互酬的共同体の権力性についてのメモ - Arisanのノート

    きのうのエントリーに、柄谷の共同体批判について書いたが、そこで引用しようと思っていて、ややこしくなるのでやめた文章。 近年にいたるまで、世界各地の人口の大多数を占めるのは農民か、都市の貧民でした。彼らは商品交換の世界にさらされてはいるが、互酬の原理で生きている。誰かに金が入れば、みんなで使う。それは平等主義的で相互扶助的ですが、悪くいえば、怠惰で、社会的に上昇しそうな他人にたかり、その足を引っ張るような共同体です。したがって、労働力の商品化に抵抗するのは、いわば共同体の原理だといっていいでしょう。それが経済的な停滞の原因でもあり、同時に、資主義化に抵抗する基盤でもありえたのです。 一九九〇年まで、そのような世界は「第三世界」と呼ばれていました。(『世界共和国へ』p149〜150) 「第三世界」というものについて、これだけ実も蓋もない解説をする人も珍しいだろう。 この共同体のイメージは具体

    互酬的共同体の権力性についてのメモ - Arisanのノート
  • 介護にかかわる殺人と報道 - Arisanのノート

    朝、寝たきりになっている母親の世話をしながら、みのもんたの番組を見ていたら、60代の男性が、介護していた85歳のお母さんの首を絞めて殺してしまい、自分も首を吊って亡くなった、というニュースがとりあげられ、最近はこのように(おそらく)介護に疲れて老親を殺害してしまうというような事件が続いている、という話題になっていた。 こうしたニュースは、もちろん細かく見ていくとそれぞれ事情は違うのだが、たいがい「気の毒な事情」という感じでとりあげられる。ぼくも、もちろん気の毒であると思い、というより、自分がいつその立場になってもおかしくないという思いがあるので、なおさら批判する気にはならない。 しかし、報じられ方について、疑問に思うこともある。 ひとつは、「子が親を介護する」ということが、どこか美談のように語られている気がすること。こういう事件を起こす人が子ども(とくに、実の子)でなかったら、これほど(同

    介護にかかわる殺人と報道 - Arisanのノート
  • 成長、初期条件、格差 - Arisanのノート

    これまで二回、その内容に触れてきた『所有と国家のゆくえ』の巻末には、二人の論者、稲葉振一郎と立岩真也のそれぞれによる短い文章が収められている。 それらは、この対談の主要な論点のひとつになった「所得・富の再分配」と「経済成長(による富の総体的な増大)」とのどちらを優先するべきかという問題に関するものである。 その要旨については、を読んでもらうことにしたいが、後者の優先性を主張する稲葉の説に、ぼくは同意しにくいのだが、それでもなんとなく「分かるなあ」という部分はある。それは、たとえば環境破壊をい止めるには、むしろ経済成長にもとづく技術革新を進めることが必要だという論点。このことの理論的な妥当性は分からないけど、一度成長と技術的発達のレールに乗ってしまった以上、そこからたんに離脱してしまったのでは、もっと悲惨なことになるだろう、という直観はある。 これは、ぼく自身が基的に、貧しくなることと

    成長、初期条件、格差 - Arisanのノート
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