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2014年5月22日のブックマーク (6件)

  • 自転車で蔵王登ってきた。 - かくいうもの

    蔵王ヒルクライムに参加してきました。 ◆日の蔵王ヒルクライム・エコ2014 ロードバイクに乗り始めた人なら誰しもが一度は憧れる(よね?)蔵王エコーライン。1年半前に跳ね返されて以来ずっと心にひっかかっていたので、再挑戦してきました。 またまた跳ね返されてるけど!つーか天気が悪すぎて寒すぎた。。 実に1年ぶりの自転車。ブログに書くのは1年半ぶり。 ◆自転車で蔵王登ろうと思って跳ね返された話。 - かくいうもの ブランクが開きすぎた。リハビリに選んだのが蔵王とは我ながらドM。もうドMブログってことにしてもいいんじゃね? 言い訳をすると仙台に来てから社畜っぷりを遺憾なく発揮しており、去年も実は申し込んでいたものの、仕事のせいで実現しなかったという。。 それでも定期的に自転車乗りた意欲は湧き上がり、もうしっかりと体のなかに根付いているんだな、と思うわけで。 長い東北の冬を越え、春になったら自転車

    自転車で蔵王登ってきた。 - かくいうもの
  • aozorablog » 電子の本が燃やされるとき

    カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:OKUBO YuAuthor: OKUBO Yu About: 青空文庫には高校生のとき参加して、今や翻訳家・翻訳研究者。しばらく青空文庫をお休みするつもりだったのにそうも言ってられなくなってしまっててんてこまいの日々。ここでは電子のことをしゃべったり、物語を書き散らしたり、はたまた青空文庫批判をしてみたり、自由にやっていくつもり。See Authors Posts (55) | 投稿日:2014年5月22日 | が青空の棚から消えてなくなる、という事態は、単に図書が閉架になることでも、禁帯出になることでもない。 著作権法上、データベース上にアップロードしてアクセスだけ禁じる、という形で残すこともできない。また青空であることは館内がないということだから、まさにを棚から消すことしかできないわけだ。 それは青空の棚の実務に携わる者からすれば

  • 満鉄調査部 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年6月) 満鉄調査部(まんてつちょうさぶ)は、1907年(明治40年)に設立された南満洲鉄道内の調査機関である。なお、満鉄内の当該部局の名称は時期によって「調査部」「調査課」「調査局」などと異なっているため、ここでは諸部局の活動を一括して述べる。 概要[編集] 1906年に南満洲鉄道(満鉄、総裁後藤新平)が発足した翌年、満鉄調査部が設置された。当初は満鉄の経営のための調査をはじめ中国東北部などの政治、経済、地誌等の基礎的調査・研究を行なったが、その後の日中国進出の拡大に呼応してその対象を広げ、中国そのものを対象とした格的な調査研究も行うようになっていった。 他方、多数の調査スタッフを必要としたことも

  • ず・ぼん3●特集:図書館人が植民地でやったこと 図書館人の戦争責任意識 「満洲」に渡った三人の場合 | ポット出版

    '; doc += ''; doc += ''; doc += ''; winimg.document.writeln(doc); winimg.document.close(); } //]]> 文●東條文規 とうじょう・ふみのり●1948年、大坂生まれ。1975年から四国学院大学・短期大学図書館勤務。誌編集委員。 はじめに 図書館界で戦争責任がはじめて問題にされたのは戦後八年も経てからである。 裏田武夫は、「図書館員の立場」(『図書館雑誌』第四七巻第六号、一九五三年六月号)で、自分も「またわけも分らず侵略戦争に駆りたてられたのを心から痛恨に思っている中の一人であるから、或る意味では自ら五十歩百歩の同罪とも考えないでもない」と断りながら、次のように書いた。 「今日のヴェテランを以て自他共に許している人たちの口から、今からでも遅くない、はっきりと戦時の後始末をつけて出直してもらいたいこと

  • 寺田寅彦 災難雑考

    大垣(おおがき)の女学校の生徒が修学旅行で箱根(はこね)へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流(けいりゅう)に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋

  • 科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記

    ○寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫) 講談社 2011.6 引き続き、明治人の著作を読む。「天災」と「国防」は、どちらも2014年現在の日にとって、大きな課題である。「天災」は、2011年の東日大震災と福島原発事故が解明も解決もしておらず、日に日に混迷を深めているように見えるし、「国防」については、解釈改憲による自衛隊のあり方の変更が(実現してほしくないが)焦眉の急として迫っている。 書は、寺田寅彦(1878-1935)の著作から、災害に関するものを集めて再構成している。冒頭の一編が「天災と国防」と題した昭和9年(1934)11月発表のエッセイ。昭和9年といえば、前年に日軍(関東軍)の熱河省侵攻、国際連盟からの脱退があり、「非常時」が合言葉になった年だ。その同じ年に、函館の大火(1934年3月)や室戸台風(同9月)などの激甚災害が日の国土を襲っていたことは、あまり認識になか

    科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記