タグ

ブックマーク / www.aozora.gr.jp (38)

  • 図書カード:母を尋ねて三千里

    イタリア、リグリア地方オネーリア生まれ。道徳心・愛国心の強い子どもで、イタリア独立運動に参加しようとしたが、年齢のため断られたことがあるほど。成長して軍人となるがコレラにかかって戦線を離れ、イタリア統一を機に以前から行っていた作家活動を格化させる。1886年に出版した「クオレ」は博愛と愛国を描き、大ベストセラーとなった。日では「クオレ」の中の一挿話、「アペンニーノ山脈からアンデス山脈まで(わが母いずこ)」が「母をたずねて三千里」としてよく知られる。(大久保ゆう) 「エドモンド・デ・アミーチス」

    図書カード:母を尋ねて三千里
  • ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 はだかの王さま THE EMPEROR'S NEW SUIT

    はだかの王さま THE EMPEROR'S NEW SUIT ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。王さまはぴっかぴかの新しい服が大好きで、服を買うことばかりにお金を使っていました。王さまののぞむことといったら、いつもきれいな服を着て、みんなにいいなぁと言われることでした。戦いなんてきらいだし、おしばいだって面白くありません。だって、服を着られればそれでいいんですから。新しい服だったらなおさらです。一時間ごとに服を着がえて、みんなに見せびらかすのでした。ふつう、めしつかいに王さまはどこにいるのですか、と聞くと、「王さまは会議室にいらっしゃいます。」と言うものですが、ここの王さまはちがいます。「王さまは衣装(いしょう)部屋にいらっしゃいます。」と言うのです。 城のまわりには町が

  • 相馬愛蔵、相馬黒光 一商人として ――所信と体験――

    この書には中村屋創立当時から現在までの推移をほぼ年代を追うて述べているが、店の歴史を語る主意ではない。店員たちに平素抱いている私の考えを取りまとめて話したいと思い、すべて自分の体験に即して商人の道を語ろうとしたので、勢いこの体系をなすに至った。私の店は、累代のしにせでもなければ親譲りの商家でもない。元来私は農家出で、一書生として青年期を送り、たまたま志を商売に起し夫力を協せて今日に至ったのである。したがって私の言うところは素人の考えにすぎない。世間の人は私に向かって中村屋が繁昌する秘訣を話せと云い、商売のコツを教えてくれなどと云う人があって、そのつど私は当惑する。自分は商家に生れたのでないから、いわゆる商家伝来の秘訣も何も知らぬ、もし中村屋の商売の仕方に何か異ったものがあるとすれば、それはみな素人としての自分の創意で、どこまでも石橋を叩いて渡る流儀であり、また商人はかくあるべしと自ら信ず

  • 相馬愛蔵 私の小売商道

    私は商業に何の経験もなくて一商店主となったものであります。従って既往幾百年の間に、商人がその経験から受け継いで来た商売の掛引その他については、何の知識をも持っていないのであります。さらに在来の商人が伝来の風習によってかえって商人道の真髄に遠ざかる憾みあることを感じ、むしろ素人を以て誇りとするものであります。 また欧米諸国の商売振りについても、これを会得する機会を持ちませんでした。 されば私のやり方は外国の模倣でないことはもちろん、全くの自己流でまた純然たる日風を以て任ずるものであります。そういう意味で書を公にすることも、商売の道を辿るものにとって、多少の参考になろうかと思うのでありますが、何分毎日の仕事に追われがちで、一貫した系統を立てる余裕がありません。折に触れ事に臨んで断片的に記述したものを集めて、一冊にまとめ上げたのでありますから、前後の順序等もととのっておらず、また時には重複し

    whalebone
    whalebone 2018/02/11
    新宿中村屋
  • 宮沢賢治 よだかの星

    よだかは、実にみにくい鳥です。 顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。 足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方(ぽ)へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。 「ヘン。又(また)出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」 「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」 こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こ

  • 寺田寅彦 ルクレチウスと科学

    緒言 今からもう十余年も前のことである。私はだれかの物理学史を読んでいるうちに、耶蘇紀元(やそきげん)前一世紀のころローマの詩人哲学者ルクレチウス(紀元前九八―五四)が、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵(みじん)の混乱状態を例示して物質元子(1)[#「(1)」は注釈番号]の無秩序運動を説明したという記事に逢着(ほうちゃく)して驚嘆の念に打たれたことがあった。実に天下に新しき何物もないという諺(ことわざ)を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。 その後に私は友人安倍能成(あべよししげ)君の「西洋哲学史」を読んで、ロイキッポス、デモクリトス、エピクロスを経てルクレチウスに伝わった元子論の梗概(こうがい)や、その説の哲学的の意義、他学派に対する関係等について多少の概念を得る事ができた、と同時にこの元子説に対する科学者としての強い興味を刺激され

  • 小林一三 宝塚生い立ちの記

    四十年前の宝塚風景 私が宝塚音楽学校を創めてから、今年でちょうど四十一年になる。今日でこそ、大衆娯楽の理想郷としてあまねく、その名を知られている宝塚ではあるが、学校をはじめた当時は、見る影もない寂しい一寒村にすぎなかった。 そして宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日のような地名ではなく、しかもその温泉は、すこぶる原始的な貧弱極まるものであった。その温泉の位置はやはり現在の旧温泉のある附近ではあったが、ずっと川の中へ突き出した武庫川の岸にささやかな湯小屋が設けられていて、その傍らに柳の木が一植わっていた。そして塩尾寺へ登って行く道の傍らに、観世音を祀った一軒の小屋があって、尼さんが一人いた。湯に入るものはそこへ参詣をしてから、流れの急な湯小屋の方へ下りて行ったものだ。その湧出する鉱泉を引いて、初めて浴場らしい形を見せたのは、明治二十五年のことであり、それ以後保養のために集って来

  • 小林一三 アーニイ・パイルの前に立ちて

    ネオンの中に明滅する追憶 私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。眼がしらが熱くうるおいそめて、にじみ出して湧いてこぼれて来る涙を拭く気にもなれない。誰れも見て居らない、泣けるだけ泣いてやれ、という心持ちであったかもしれない。私は、頬のあたりまで持っていったハンカチを再び下げて、唇を押えたまま、暫らくジッと佇んで居ったのである。 『何という綺麗な、立派になったことであろう』掃除の行届いた劇場前の人道は水に洗われて、並木の黒い影は涼風にうごいて居る。私がこの劇場を支配しておった頃は、並木の一、二は必ず枯れたり、ぬき取られたりしていた。碁盤目のブロックには凹凸があり、欠けて掘り出されたままに放置されていたり、砂煙が低くつづいて舞うなど、その頃の光景を思い浮べて、空虚な、敗戦気分の意気地ないというのか、我ながら、心は

  • カレル・チャペック Karel Capek 大久保ゆう訳 RUR――ロッサム世界ロボット製作所 R.U.R. (ROSSUM'S UNIVERSAL ROBOTS)

    RUR――ロッサム世界ロボット製作所 R.U.R. (ROSSUM'S UNIVERSAL ROBOTS) カレル・チャペック Karel Capek 大久保ゆう訳 ハリィ・ドミン…………RUR代表取締役 スラ………………………ロボット(♀) マリウス…………………ロボット(♂) ヘレナ・グローリィ……RUR会長の娘 ガル博士…………………RUR生理研究局主任 ファブリ技師……………RUR技術担当主任 ハレマイヤ博士…………ロボット心理教育研究所所長 アルクイスト建築士……RUR労働局主任 ブスマン部長……………RUR営業部部長 ナナ………………………ヘレナの乳母 ラディウス………………ロボット(♂) ヘレナ……………………ロボット(♀) プリムス…………………ロボット(♂) ロボットA ロボットB ロボットC 執事ロボット その他適宜たくさんのロボット 第一幕 RURロボット製造工場、社

  • アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 あのときの王子くん LE PETIT PRINCE

    あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこのをひとりのおとなのひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。そのおとなのひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どものもわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけがほしいのなら、このひともまえは子どもだったので、ぼくはその子どもにこのをささげることにします。おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書きなおしましょう。 ぼくが6つのとき、よんだにすばらしい絵があった。『ぜんぶほん

  • 小倉金之助 黒板は何処から来たのか

    アメリカ数学史を調べている途中、黒板の来歴という問題に触れたので、少しばかり書き付けて見よう。ただこれは主として数学の面のみからの考察に止まるので、中には大きな誤りを冒しているかも計り難い。各方面の識者の御示教をお待ちする次第である。 わが国で黒板が盛んに使用されるようになったのは、何といっても明治初年に、アメリカ人による教育上の指導からである。明治五年(一八七二)九月師範学校(東京高等師範学校(1)の前身)が開かれたとき、大学南校(2)の教師であったスコット(M. M. Scott)を招いて、小学校に於ける実際の教授法を伝えて貰った。スコットは母国の師範学校出身者であり、東京の師範学校では、主として英語と算術を教えたが、教科用書や教具器械の類は米国からの到着を待って使用したという。更に翌年には、ラトガース・カレッヂの数学・天文学教授マーレー(David Murray)が聘されて文部省学監

  • 作家別作品リスト:小島 烏水

    名久太。登山家、随筆家。高松生まれ。横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行に勤務、以後定年まで在籍。 明治29(1896)年、評論『一葉女史』の注目により文筆活動に入る。明治32年、勤務先の休暇を利用した浅間山から木曾への山旅が契機となり登山へ傾倒。未開の南・北アルプスなど日中部の山々を踏破。日の近代登山に先駆的な役割を果たす。明治38(1905)年、日山岳会創立、初代会長。著書には『日アルプス』(全4巻)ほか『浮世絵と風景画』など美術研究書がある。『小島烏水全集』全14巻(大修館書店)参考図書:『アルピニストの手記』小島烏水 平凡社ライブラリー(平凡社)『山岳紀行文集 日アルプス』小島烏水 近藤信行編 岩波文庫(岩波書店)などが現在でも比較的入手しやすい。 「小島烏水」 公開中の作品 梓川の上流 (新字新仮名、作品ID:221) 奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名、作品ID:58

  • 宮沢賢治 猫の事務所 ……ある小さな官衙に関する幻想……

    軽便鉄道の停車場のちかくに、の第六事務所がありました。ここは主に、歴史と地理をしらべるところでした。 書記はみな、短い黒の繻子(しゆす)の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若いは、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがつてばたばたしました。 けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまつてゐましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やつとえらばれるだけでした。 事務長は大きな黒で、少しもうろくしてはゐましたが、眼などは中に銅線が幾重も張つてあるかのやうに、じつに立派にできてゐました。 さてその部下の 一番書記は白でした、 二番書記は虎(とらねこ)でした、 三番書記は三毛でした、 四番書記は竃(かまねこ)でした。 竃といふのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何でもいいので

  • 寺田寅彦 茶わんの湯

    ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物(みもの)です。 第一に、湯の面からは白い湯げが立っています。これはいうまでもなく、熱い水蒸気が冷えて、小さな滴になったのが無数に群がっているので、ちょうど雲や霧と同じようなものです。この茶わんを、縁側の日向(ひなた)へ持ち出して、日光を湯げにあて、向こう側に黒い布でもおいてすかして見ると、滴の、粒の大きいのはちらちらと目に見えます。場合により、粒があまり大きくないときには、日光にすかして見ると、湯げの中に、虹(にじ)のような、赤や青の色がついています。これは白い薄雲

  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

  • 作家別作品リスト:中谷 宇吉郎

    公開中の作品 I駅の一夜 (新字新仮名、作品ID:53205) 赤倉 (新字新仮名、作品ID:57449) 「悪魔の足跡」 (新字新仮名、作品ID:59760) あすへの話題 (新字新仮名、作品ID:59761) 油を搾る話 (新字新仮名、作品ID:59572) 安倍さんとタゴール (旧字新仮名、作品ID:61428) アメリカ種の落語 (新字新仮名、作品ID:59210) アメリカの沙漠 (新字新仮名、作品ID:57314) アメリカの新聞 (新字新仮名、作品ID:59804) アメリカの旅 (新字新仮名、作品ID:56729) 雨を降らす話 (新字新仮名、作品ID:59187) アラスカ通信 (新字新仮名、作品ID:56730) アラスカの氷河 (新字新仮名、作品ID:53491) アラスカの氷河 (新字新仮名、作品ID:56731) 異魚 (新字新仮名、作品ID:57260) イグア

  • aozorablog » 電子の本が燃やされるとき

    カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:OKUBO YuAuthor: OKUBO Yu About: 青空文庫には高校生のとき参加して、今や翻訳家・翻訳研究者。しばらく青空文庫をお休みするつもりだったのにそうも言ってられなくなってしまっててんてこまいの日々。ここでは電子のことをしゃべったり、物語を書き散らしたり、はたまた青空文庫批判をしてみたり、自由にやっていくつもり。See Authors Posts (55) | 投稿日:2014年5月22日 | が青空の棚から消えてなくなる、という事態は、単に図書が閉架になることでも、禁帯出になることでもない。 著作権法上、データベース上にアップロードしてアクセスだけ禁じる、という形で残すこともできない。また青空であることは館内がないということだから、まさにを棚から消すことしかできないわけだ。 それは青空の棚の実務に携わる者からすれば

  • 寺田寅彦 災難雑考

    大垣(おおがき)の女学校の生徒が修学旅行で箱根(はこね)へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流(けいりゅう)に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋

  • 青空文庫編 青空文庫の提案

    電子出版という新しい手立てを友として、私たちは〈青空の〉を作ろうと思います。 青空のを集めた、〈青空文庫〉を育てようと考えています。 青空のは、読む人にお金や資格を求めません。いつも空にいて、そこであなたの視線を待っています。誰も拒まない、穏やかでそれでいて豊かなの数々を、私たちは青空文庫に集めたいと思うのです。 先人たちが積み上げてきたたくさんの作品のうち、著作権の保護期間を過ぎたものは、自由に複製を作れます。私たち自身がにして、断りなく配れます。 一定の年限を過ぎた作品は、心の糧として分かち合えるのです。 私たちはすでに、自分のコンピューターを持っています。電子作りのソフトウエアも用意されました。自分の手を動かせば、目の前のマシンで電子が作れます。できたはどんどんコピーできる。ネットワークにのせれば、一瞬にどこにでも届きます。 願いを現実に変える用意は、すでに整いました

  • 富田倫生 本の未来

    [#ページの左右中央] 友愛と熱で、いつも私たちをあたためた 平野欣三郎に [#改ページ] まえがき 新しいの話をしよう。 未来のの夢を見よう。 ずいぶん長い間、私たちはの未来について語らないできた。ヨハネス・グーテンベルクが印刷の技術をまとめたのが、十五世紀の半ば。だからもう、新しいを語るのをやめて、五百年以上にもなる。 あの頃天の中心だった地球は、太陽系の第三惑星になり果てた。光の波動を伝えていたエーテルも、今はきれいさっぱり消え去った。それほどの長い時が過ぎてなお、は変わらなかった。 時間をかけて練り上げた考えや物語をおさめる、読みやすくて扱いやすい最良の器は、紙を束ねて作った冊子であり続けた。 けれど今こそ、の未来について語るべき時だ。 私たちは、たいていの人が自分のコンピューターを持って、そのすべてがネットワークされる新しい世界に向かいつつある。国の境や距離の重みが薄

    whalebone
    whalebone 2013/08/17
    『 人を豊かにした科学は、原爆という残虐な兵器をもまた生み出した。しかし人類が争いによって自滅する前に、他ならぬ科学によって明日が開けるかも知れない。莫大な記録を集め、過去をもっと明確に振り返り、現在