エルンスト・カール・アッベ(Ernst Karl Abbe HonFRMS、1840年1月23日 - 1905年1月14日)は、ドイツの物理学者・光工学者・実業家・社会改革者である。 オットー・ショットやカール・ツァイスとともに、数々の光学機器を開発した。また、顕微鏡、天体望遠鏡、プラネタリウムなどの高度な光学システムを製造するドイツのメーカー、カール・ツァイス社の共同経営者でもあった。 生涯[編集] アッベは1840年1月23日、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国のアイゼナハで生まれた[1]。父は紡績工場の現場責任者のゲオルク・アダム・アッベ(Georg Adam Abbe)、母はエリーザベト・クリスティーナ・バルヒフェルト(Elisabeth Christina Barchfeldt)で[2]、それほど裕福な家庭ではなかった。父の会社からの支援を受けて中等学校に通い、アイゼナハのギ