東部方面隊第311装輪車野整備隊所属の一場哲雄士長(当時21歳)は21日、午前一回、午後一回の動哨任務を行い、20時30分に三回目の動哨任務に就いた。動哨中は途中に設置されている警備電話で30分毎に警衛司令に連絡する事になっていた。当夜、一場士長は20時40分に「異常なし」と連絡を入れたが、その後、連絡が途絶えた[2]。 22時過ぎ、警衛司令は一場士長からの連絡が途絶えたことから、次の歩哨を少し早めに交代場所に派遣した。22時30分、交代の時間になっても一場士長は交代場所に現れなかった。警衛司令はラッパ手1名を交代場所に派遣し、2名で捜索を開始した。23時30分、捜索隊から発見できずの報を受け、警衛司令は休憩中の歩哨4名を捜索に追加した。午前0時過ぎ、警衛司令は捜索隊に警衛所で仮眠していた7名を捜索に追加した。合計13名での捜索から30分後の午前0時30分、捜索隊の一人が血まみれで倒れてい