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ブックマーク / douyaramiso.blog59.fc2.com (59)

  • みそ文 問うてそして笑い合う

    薬学部の学生だった大学一年生のときに私は寮で暮らしていた。大学に付属する女子専用の学生寮で、部屋の作りは四人部屋。勉強机がよっつと、二段ベッドがふたつ、つまり寝台がよっつと、衣類用の開き戸と引き出しセットになったクローゼットがよっつ。私は二人部屋利用だったから、勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを上下二段使う。ルームメイトも同じように反対側の壁に面した勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを二段使う。 彼女と同室になったのは秋の学園祭のあとからだ。彼女の同室だった人と私と同室だった人が同時に退寮して一人暮らしを始めたため彼女と私は寮の部屋を一人で使う状態となった。いくら退寮者が多くて部屋がたくさん空いていても、二人部屋利用である限り一人部屋利用はできない。そもそも一人部屋利用という設定がない。 彼女は定期的に福岡のおかあさんに宛ててハガキを書く。福岡のおかあさまからもちょく

  • みそ文 半夏生は焼き鯖で

    日は半夏生(はんげしょう)。 現在わたしが暮らす地域では、この半夏生の日には、焼き鯖をべる文化風習がある。 くわしいことはよく知らないのだけれども、なんでも昔、この地方を治めていたお殿様が、この時期に焼き鯖をべて、体調を整えて、これから暑さが厳しくなる季節に夏バテすることなく暮らそうぜ、と、領民に御触れを出したとかで、その御触れに従って、老いも若きも赤子にいたるまで、一人あたり鯖一匹、丸ごと串刺し焼きサバ一べて、暑気払いの前哨戦に努める。 だから、半夏生の日は、品を売るスーパーマーケットの駐車場には、「半夏生」「焼きサバ」ののぼり旗がはためく。スーパーの建物の出入り口付近に、炭火焼の鯖の串焼きを売るテントを特設するお店もある。 野外での特設がない場合でも、店内の鮮魚コーナーの焼き魚の平台には、串焼きにされた鯖たちがパック詰めされて山積みになる。 わたしは焼き鯖は好きだから、よ

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/07/03
    ハンゲという妖怪が出る地域もあるみたいだし割りと奥深い日なのだなあと。
  • みそ文 慎重に自由奔放に

    「すこやか堂」で勤務していたとき。夕方五時が過ぎる頃だったか六時が近い頃だったか、同僚がお客様として来店する。この同僚は、朝から午後二時までの勤務契約だから、その勤務終了後の買い物時間を含めても、午後二時半か三時前にはいなくなる。夕方遅い時間帯に彼女とお店で会うのは、なんだか新鮮な感覚。 同僚の話によれば、彼女の子どもである小学生の女の子二人のうち、下の子はこの春一年生になったばかりなのだけど、その下の子が、下校途中に転倒して怪我をして帰ってきたという。 おねえちゃんと二人で歩いていて、横断歩道の真ん中で妹のほうがつまづいてこける。そして号泣。おねえちゃんは思いがけない出来事にびっくりして泣きそうになるけれど、ここで自分が泣き出したら妹はもっと不安になって泣くだろう、と判断して、とにかく歩行者信号が緑のうちに歩道へと妹を立ち上がらせてひっぱる。 大号泣する妹に「おうちに帰っておかあさんにみ

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/06/16
    こういう姉妹の差ってどこから生まれてくるんだろう。
  • みそ文 先の見えない安心

    十代の後半や二十代前半のあの頃、体も心も若くて、ぴちぴち、というよりは、何かをもてあますほどに、たぶん、体も頭も、すべてが、むちむち、としていて、そのもてあます何かを、消費して吐き出すかのように、ああ、そうだ、小さな子どもが意味もなく、走り回ってひたすらにエネルギー放出するみたいに、あの頃の私達は、しょっちゅうどこかに集まっては、夜遅くまで、べたり飲んだり、喋ったり笑ったり、何かで落ち込んでみたり、びーびーと泣いてみたり、誰かの誕生日が近いといっては、手料理を持ち寄って、誕生日パーティーを行い、誰かの誕生日だといっては、また料理を持ち寄って、再びお祝いパーティーを開き、何もなければ、ただそれぞれが住む部屋に互いに遊びに訪れて、べて飲んで、喋って笑って、そして眠くなったなら、昏々と眠リ続けて、英気を養い、目を覚まし、またべて飲んで、喋って笑う。 あの頃の私達は、あの頃の出来事とそれに伴

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    y-yoshihide 2011/06/15
    若いという事。「きっとあの頃の私達は、「先(未来)が見えない」からこそ、いつも心底安心して、あんなふうに、泣いたり笑ったりすることができたのだ」
  • みそ文 あの夏、ハムのサラダを

    あの夏、キッチンでわたしたち三人が並んで作業しているのを見て、一号ちゃんが「わたしも料理できるんだけどなあ」「料理したいなあ」「エプロンも持っとるよ」と言って、丸亀友人に「ねえねえ、おかあさん、わたしも何か作りたい」と言う。一号ちゃんとしては、小学校入学前の男児ふたりの相手をするのにも少し飽きてきた頃だったのだろう。 丸亀友人が「うーん。一号にできることがあるかなあ」と言うから、わたしが「あ、じゃあ、わたしの代わりに、ハムのサラダ作ってくれるかな」と提案する。ハムのサラダは、丸亀友人が「冷蔵庫にいただきもののおいしいハムがあるやつで、ハムサラダも作りたいんだけど、わたしそこまで手がまわりそうにないけん、みそさんと芦屋友人にお願いしてもいいかな」と言っていたメニュー。 一号ちゃんはすごくはりきって、「わたし、それ作る。できる」と言って、自分のエプロンを引き出しから取り出して身につける。「では

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    y-yoshihide 2011/06/15
    一人きりの食事は何か味気ないしねえ。「自分が作った料理を誰かとともに「おいしいね」と言い合いながら食べるのはうれしい。それは人類としての食事というものの醍醐味であると同時に自由のひとつでもあると思う」
  • みそ文 あの夏、宮崎の冷や汁

    あの夏の土曜日の夕ごはんは、いろいろとごちそうだったのだけれど、印象に残っているのは、宮崎出身の芦屋友人が作った「冷や汁」と、丸亀友人ちの一号ちゃんが作った「ハムのサラダ」。ハムのサラダは、一号ちゃんと芦屋友人とわたしの合作だけれども、一号ちゃんが「わたしが作ったハムのサラダ」とその後ずっと言っていたから、あれは一号ちゃんが作ったハムのサラダだと思う。 わたしは今でも夏になると「冷や汁風」をよく作る。しかし、わたしが作るものとは異なり、芦屋友人が作る冷や汁は、場宮崎仕込みならではのちゃんとした作り方だ。 わたしが最初に「冷や汁」なるものをべたのは、二十歳を過ぎて間もないころ、宮崎旅行に行ったとき。そのころ大学生だった丸亀友人とわたしは、大阪からブルートレインという寝台夜行列車に乗って、宮崎にたどり着いた。当時宮崎に帰省中の芦屋友人が宮崎駅に迎えにきてくれて、彼女の自宅に泊めてもらう。そ

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/06/15
    「おいしくて、そして、にぎやかでたのしくて、だから、あの夏の冷や汁は、特別で格別な記憶」
  • みそ文 あの夏、婚約指輪が

    あの夏、土曜日の夕方に、丸亀友人が暮らすマンションには、大人が六人と子どもが三人いた。子どもは、丸亀友人の上の子一号ちゃんと下の子二号くんと、芦屋友人の息子くん。大人は丸亀友人とその夫(どうだくん)、芦屋友人とわたし、それから、丸亀友人夫婦が勤務する調剤薬局の若手男性薬剤師と医療事務の若い女性。若手薬剤師の「カンくん」と医療事務の「みっちゃん」は、もうじき結婚する予定の婚約者同士。 夕時の歓談中、どうだくんとカンくんがそれぞれのパートナー(丸亀友人とみっちゃん)について、彼女たちの物忘れぶりはどうしたものだろうか、という話をしていた。丸亀友人とみっちゃんは「仕事や生活に重大な支障がない範囲のことは、そういう脳の仕様なのだと、あきらめていただきたい」という趣旨のことを、各自のパートナーに伝える。 その日は、夕を終えてしばらくしたら、みっちゃんの身体を貸してもらって、丸亀友人にアロマオイル

  • みそ文 あの夏、白杖の人と

    あらためて数えてみると、今から六年前のことになるのだな、と気づく。当時のわたしは、今のわたしと同じように、無職の旅人で、その夏、四国の香川県丸亀市にいた。友人(丸亀友人)宅に居候し、讃岐うどん三昧な毎日を過ごすという至福の日々。 丸亀で暮らす友人家族は、当時マンションを新しく購入して引っ越して間もない時期だった。わたしは丸亀に行く前日に、兵庫県芦屋市在住の友人宅に一泊させてもらう。そこで芦屋の友人(芦屋友人)親子と合流して、翌日一緒に瀬戸大橋を渡り、丸亀に向かう。 当時、芦屋友人の息子くんは、幼稚園の年長さんだった。丸亀友人の子どもたちは、上の一号ちゃんが小学校二年生、下の二号くんは保育園の年長さんで、芦屋友人の息子くんと同級生だ。 丸亀で過ごす週末は、子どもたちは子どもたちで、三人いることで、普段はできない遊びができ、わたしたち大人も、久しぶりに会って直接話して、みんなたくさん笑って過ご

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/06/15
    そうかそういう配慮も必要なのか。「白い杖を持っている人がいたら、まず、その人がすでに歩数カウント中じゃないかどうかを見定めてから、声をかけても邪魔にならなさそうじゃったら、腕をどうぞ、って声をかける」
  • みそ文 会津に向かうその前に

    先月の四月二十九日は祝日だったけれど、夫もわたしも出勤日で仕事に励む。翌日の三十日から、夫と旅に出る予定で、夫の会社カレンダーに合わせて、少し長めの連休を取得している。 わたしは二十九日の仕事で一緒になった同僚たちそれぞれに、「明日からしばらく長めのお休みをいただきますが、不在の間、どうぞよろしくお願いします」と挨拶をする。同僚たちは、それぞれ、みな、こころよく、「よいお休みを」と言ってくれる。 ある同僚は、「今回は、どのあたりに行くんですか」と訊いてくるから、「福島県を目指してみようと思ってるんです」と答える。同僚は「ああ、それは、いいことですねえ。おいしいものいっぱいべて、温泉にたくさん入って、福島経済に貢献してきてください」と言う。 また別の同僚は、わたしが福島旅行を予定していると話したところ、「もしかすると、あちらのへんは、まだ揺れるかもしれないですから、もし、あんまり揺れるよう

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/05/09
    「関西的ボケツッコミのインターナショナルな基本形の観点でに決まってるやろ。でも、あ、あれ? 関西的ということは、インターナショナルじゃ、ないか」 この発言自体が見本のような物じゃないですか。
  • みそ文 バナナとりららと怒りん坊

    夕方四時で仕事を終える同僚と、四時から休憩に入るわたしが、ロッカールームで一緒になる。わたしが同僚に「りららちゃん、や、るうとくん(同僚のお孫さんたち)の成長記録のおはなしも聞きたいのに、最近仕事が忙しすぎて、なかなかそんな話もできないのがちょっと残念」と話すと、同僚は「ほんとにねえ、人手が少ない時には仕方のないこととはいえ。あ、でも、せっかく、どうやら先生がちゃんと四時に休憩とれて、ここで話せるから見てもらおう」と言って、携帯電話を取り出す。 同僚が「見てみて。かわいいんですよ」と見せてくれる画面には、お孫さんのりららちゃんの姿が写っている。服装は、おそらく保育園の制服で、自宅の玄関で「ただいま帰りました」をしているところ。両肩に保育園の荷物を抱えていて、頭には、なんだろう、冠、みたいなんだけど、冠とは異なるかぶりものをかぶっている。頭にかぶった輪っかの前側(顔側)に黄色いような茶色いよ

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    y-yoshihide 2011/04/16
    3、4歳児らしいなあ。
  • みそ文 トルコでパンダと温泉水

    もうじき十七年前になる初夏の少し前、夫とわたしは新婚旅行でトルコへと出かけた。往復の航空券と初日と最終日の宿泊先は確保して、あとは現地にて風のふくまま気の向くままに、行きたいところに行ってみて、泊まれそうなところで宿をとる。 行きと帰りの飛行機では、日からの団体ツアーのお客さんたちとも遭遇したから、日からトルコを訪れる人がわたしたち夫婦だけ、というわけではなかったのだろうけれど、わたしたちが訪れた場所と時間帯において、日からやってきた人物はわたしたちだけという境遇が多かった。 イスタンブールから長距離バスで、ぐっと南に移動したあたりに、エフェソスという町がある。昔の円形劇場や公衆浴場などのギリシャ風遺跡が有名で、外国からもトルコ国内からも多くの観光客がやってくる。わたしたち夫婦がエフェソスを訪ねたときには、白色人種の外国人観光客が最も多く、その次に多いのはトルコ国内の家族旅行風の方た

  • みそ文 飛び交う想いとヴィッテルテル

    関東地方やその周辺他、なんとなく遠いあたりのざっくりとしたひとかたまりの地域に住まう孫のために、ミルク調乳用の水をお求めくださるお客様がにわかに増える。それ以前に既にもう、震災の影響で、水類はほぼ底をつき、入荷も未定な毎日だから、ご希望のものをご希望の数ご用意することもかなわず、店頭にあるものだけでごめんなさい、と頭をさげ続けるのだけれども。 その年配女性のお客様は、横浜に暮らす娘の子(お客様にとってはお孫さん)がミルクを飲むから、と、「ミルクを作れる水はどれ?」とおたずねくださる。「硬水はだめで、軟水じゃないと、と聞いているのだけど」とも。 その時点で店頭にあるのは、ヴォルヴィック(軟水)500mL、クリスタルカイザー(軟水)500mL、ヴィッテル(やや硬水)1500mL、コントレックス(すっごく硬水)500mLと1500mL。来ならばベビーコーナーに調乳用の水がある。そのベビー調乳用

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/03/26
    震災関係なのに涙が出るほど笑ってしまった。
  • みそ文 東欧の言葉に聞こえる気がするよ

    最近何度もテレビの画面で見かけるオシム監督さんの言葉は何語なのだろうかと思い、傍らでネット囲碁にいそしむ夫にたずねてみる。 「ねえ、ねえ。オシム監督って、どこの出身の人なんだろう? 言葉の感じは東ヨーロッパっぽいのかなあ、と思うんだけど」 「なんで? 日生まれの日育ちやと思うけど」 「でも、名前が、イビチャさんなんだよ。東欧っぽい名前のような気がするんだけど。イビチャ・オシムの名前で、日生まれで日育ちでも別にいいけど、あの日語ではないスラブ系っぽい言葉をあれだけ自然に話してはるということは、どこか外国にゆかりのある人のような気がするんだけど」 「イビチャ? 誰、それ?」 「だから、テレビの広告に出てはる、イビチャ・オシムさん。たぶんサッカーの監督さんだった人でしょ?」 「ああ。はいはい。オシム監督ね。うん。オシム監督は、たしか、えーと、ユーゴスラビアの出身じゃないかな」 「そっか

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/03/21
    オシム監督、星野監督……確かに似てなくもないような気がする……
  • みそ文 それぞれにそれぞれを慈しんでほしいから

    被害の程度が比較したときに大きくはないのだとしても、不便や不都合の度合いがそれほど大きいというわけではなくても、怖くて心細い思いを抱えたことにも、今なお抱えている各自の思いの大きさにも、順位や順列はないように思うから、それぞれがそれぞれにそれぞれの立場で、それぞれの怖かった気持ちや心細かった気持ちを、丁寧に抱きしめて慈しんで手入れをしていたわって、深くゆるやかに呼吸する身体とこころと安堵を整えていってもらえるといいなあ、と、強く深く願う。 いろいろ思うところはあるし、至らないところもあるけれど、とりあえず2008年分の校正作業は完了したことにしようと思う。 「とんこつを求めて」 「脳内こびとくん」 「お年玉の掟」 「人生の実験」 「おのろいの力」 「八つ橋の夢叶う」 「立派なお嬢様」 「黒い服の女」 「髪にエレメント」 「続エレメント」 「世界平和」 「心意気を携えて」 「「おはぎ」をおか

  • みそ文 停電の中でスイカを食べる

    幼かった頃、小学校の低学年のころまで、停電は、ずいぶんと日常的な存在だった。日常的でありながら、いつでもそれは突然で、短い時には数分程度、長い時には数時間以上から半日くらいは平気で停電は続いた。 なにごともないのに停電になることもよくあったのだけれども、台風がやってくるときには、停電になることはほぼ毎回のお約束だから、暗くなる前に、さっさとご飯をべて、さっさとお布団に入る。がたがたひゅうひゅうと台風の風の音がして、ばちばちびちびちと雨が屋根や壁や戸をたたく。ときどき雷が、ぴしゅっ、と光った後、ひょっごーん、と天と地を鳴らして揺らす。 その夜は少し大きな台風が来る日だったから、みんな早くに布団に入る。夜というには明るくて、夕方というにはもう暗い、そんな時間帯の就寝。祖母は自分の部屋で、妹は畳に敷いた小さな布団の上に、弟は二段ベッドの下の段に、わたしは二段ベッドの上の段に。父はそのころ県境を

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2011/03/18
    日常の中の非日常、その優しい記憶。
  • みそ文 非日常への祈りと日常の中での覚悟

    どこかでのたいへんななにかを知るたびに、誰かが大きく意ではない境遇に身を置いていることを思うたびに、そのときそんなに言うほどにはたいへんというわけではないと思える自分は、不意よりも意が多い境遇にあると思える自分は、自分の手元のこの「日常」を守って回し続ける責任と責務があるのだと、いつも強くそう思う。思いもよらず過酷な境遇に遭遇した人たちが、よりすみやかに日常を回復し日常に戻ってゆけるように、彼らの日常とどこかで繋がっているはずの自分のこの日常を、いつも以上に丁寧に取り扱いながら紡いで生きてゆくのだと誓う。 自分が意でない上にどうにも抗いようのない境遇にあるときには、自分以外の人たちがその人たちの日常を保ち続けてくれていることが、自分のそのときの境遇をなんとかやり過ごす勇気と、ふたたび自分を日常の中へと運んで連れてゆく気概を、支えてくれるものだから。 自分の日常を回しながらただ見守る

  • みそ文 タイヤのお礼の宴

    今朝、わたしが、すやすやと眠っている間に、車のタイヤ交換を、一人で済ませたという夫への感謝の気持ちをこめて、「どうやらくん、今日は、何がべたい? なんでも言ってみて」と声をかける。最初は「うーん、なにかなあ。考えとく」と言っていた夫と、夕方よりも少し早い頃に、一緒に出かける。 まずは、ガソリンスタンドで、ガソリンを入れる。給油してもらっている間に、タイヤの空気圧調整機を借りて、交換したばかりの冬用タイヤの空気圧を調整する。夫がタイヤから外した空気注入口部の蓋を私が手のひらで受けて、夫がタイヤの圧を一定の数値にし終えたら、私がきゅきゅっと蓋を閉める。四個のタイヤの空気をそうして全部調整し終えて、これで安心して冬の道路を運転できるね、と、安堵する。 それから、少し離れたところにある、個人商店の日酒屋さんに向かう。そこで、実家の父の誕生日プレゼントに日酒を選んで送る。夫は「おとうさんは、純

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    y-yoshihide 2010/12/06
    ほっこり。
  • みそ文 子どもと大人とみんなのカレー

    小さい頃、夕ご飯がカレーだと、やったー、と思った。少し大きな子どもになると、自分でも作れるようになって、やったー、の采配が、少しだけ自由になる。もっと大きくなって、県外の大学に通うようになり、一人暮らしをする頃には、その自由度はさらに高くなり、いろんなメーカーのいろんな種類のいろんな辛さのカレールーをべ比べたりするようになる。 小さい頃のカレーはいつも、ハウスバーモントカレー甘口。田舎の商店では他の選択肢はほとんどなかったとも言えるのだけど、十二分以上の至福感で、そのおいしさを堪能していた。中学生になって、高校生になって、もう少し辛いカレーべたいな、と思うときもあり、母にそうリクエストしてみたり、自分で中辛を購入して作ってみると、母は「あんまり辛いと、しめじ(弟)や、やぎ(妹)がべられんじゃろう」と、そっと言う。それならと、あまり辛くなりすぎないように、でも少しスパイシーさも楽しめ

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    y-yoshihide 2010/09/22
    そういえば甘口のカレーなんて何年食べてないんだろう……
  • みそ文 雨に学ぶ

    「雨に歌う」 おそらく上記記事のいきさつにより、傘をささずに雨に濡れて歌うことに味をしめた私は、気が向くと、雨が降っても傘をささずに帰宅して、熱いシャワーを浴びる至福を好む大人に成長した。 大学生のときに、授業が済んだ大学から、当時住んでいたアパートまで、その日はルームシェアしていたルームメイトと一緒に歩いて帰った。そのときに、彼女は傘を持っていて、私は傘を持っていなかった。たぶん、登校するときには、雨が降っていなくて、でも帰る頃には雨が降る予報があったから、彼女は傘を持っていたのではないかな。あるいは、もしかすると、私が私の時間割で登校した時には雨が降っていなくて、彼女が彼女の時間割で登校したときには既に雨が降っていたから傘を持っていたのかもしれない。 ルームメイトは、傘を持たない私に「みそさんも一緒に入ろう」と言いながら傘を開いてくれる。「ありがとう。でも、いいん。私、帰ってすぐに熱い

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    y-yoshihide 2010/09/18
    流石に大学生が雨の中傘さしてないと変な風に捉えられちゃうか。ましてや傘さしてる人間と一緒なら。
  • みそ文 雨に歌う

    あれは私が、小学校二年生の頃だっただろうか。 授業中、突然に雨が降りはじめる。その日の授業が全部終わっても、雨は降り止まない。「帰りの会」が終わる頃、同級生のお母さんたちが、傘を持って迎えに来る。 雨雨ふれふれかあさんがジャノメでお迎えうれしいな あの歌といっしょだ。だけど全員にお迎えがあるわけではない。学校のすぐ近くに住んでいる子たちは、さっさと走って帰っていく。近くじゃないけど、お迎えのない子どもたちは、学校の置き傘を借りて帰る。当時の学校置き傘は、大人用の大きくて黒い傘に、「○○○小学校」と、でかでかと、白毛筆で書いてあった。まだ体の小さい私にとって、その傘はとても巨大で、とても重く、お迎えのない寂しさを演出するのに充分すぎた。 帰宅してから母に少しだけ訴えるように「なんでお迎えに来てくれんのん?」と言ってみる。 「学校に傘あるでしょ。」 「重たいけん、子どもの傘のほうがいい。」 「

    y-yoshihide
    y-yoshihide 2010/09/18
    「さっきから雨が降ってきたじゃろう。いっぱい降っててやみそうにないけど、お風呂沸かして待っとるけん、雨にぬれて帰っておいで。雨にぬれて走りながら歌をうたうとたのしいよ。」素敵なお母様だ……