2014年2月26日 7時0分 by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 伝説を作った浅田真央だが、その陰で浅田側とスケート連盟は揉めていたという 連盟側は最終調整の場所を勝手に決めたり、高圧的な態度をとっていた 関係者は、幹部は遊びに来ているのと同じだったと話した 自己ベストをマークした舞いに、「これが自分がやろうと思っていたこと」と、演技終了直後に頬を濡らした(23)。敗れてなお、多くのファンの記憶に残る伝説を作った。その陰で、ソチへの最終調整の場に関して、浅田側とスケート連盟は揉めに揉めていた。 「真央には、精神的にもっとも落ち着ける場所で最終調整をさせてあげたい」と、佐藤信夫コーチ(72)は、スケート連盟幹部に(練習拠点の)中京大リンクで調整したい思いを伝えたという。だが連盟は、ソチへ移動が数時間でできる隣国アルメニアのリンクを確保していた。 そこで、浅田側と連盟の“対立”の