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山形県に関するyamaigaのブックマーク (49)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第167回 山形県道252号木地山九野本線 長井ダム付替道路

    2011/7/19 5:25 【周辺図(マピオン)】 直近では去年(平成22年)の10月にも訪問(【レポート】)した「長井ダム」に、今年7月再々訪してきた。 前回はちょうどダムが完成したあとの試験湛水中だったが、今ならもう通常運用に入っているはず。 大勢の工事関係者がいて近付くことが出来なかった「水没旧道」を、あわよくば探索したい。 そんな下心目的を持って、夜明けと共にやってきたわけだが… 果して 肝心の水位は、 どうだったかというと……。 ↓↓↓ ほぼ満水! コナ――イ!! これは、ぜんぜん来ないな。 残念ながら。 これでは、味も素っ気もないただのダム湖ですよね…。 ちなみに、この写真の橋は竜神大橋である。 竜神大橋からは、以前ならば“さまざまなモノ”が見えたのだが…。 【下流(ダムサイト)方向の眺め】 汀線の3mほど上まで緑の木々が茂っているから、現状はほぼ満水位である。 雨が降って

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-167>謎が謎を呼ぶ、広すぎる路肩の正体は?
  • 【山さ行がねが】隧道レポート 山形県道252号木地山九野本線旧道 管野隧道

    このたび rinsei氏よりもたらされた、「今を逃したら、おそらくもう二度と見るチャンスのない景色」という言葉に誘惑され、やって参りましたのは【ここ】。 山形県は南西部、置賜(おきたま)盆地の西北端に位置する長井市だ。 木地山(きぢやま)山中に源流を持ち、深い渓谷を縫って長井市九野(くのもと)で置賜盆地へ流れ出る野川(最上川支流)は、昔から季節的な水量の変動が激しい典型的な急流河川として、下流域の住民生活に多大な影響を与えてきた。 そのため、管理者である山形県も治水と発電利用に多大な関心を持ち、昭和29年には県内最初の多目的ダムとして中流に管野(かんの)ダムが、同36年には上流に木地山ダムが相次いで完成した。 そして、この2つのダムの建設に必要な輸送を一手に担ったのが、当初はダム工事道路として建設された県道「木地山九野線」(路線認定は昭和34年)であった。 こうして山形県による置賜野川

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋

    今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。 と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。 これまで当サイトや「日の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。 その代表的な物は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日の廃道)である。 今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。 その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。 2010/10/18 7:11 【現在

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道 

    山形県内陸部には山形盆地という日有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日有数の酷暑の地となる。 そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。 これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。 そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。 ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。 羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。 だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。 それは当たり前のことであるが、時に

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    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-152>心に沁みる、山裾の旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第113回 大森山林鉄 明神川橋梁

    山間のいで湯、宮城県鳴子町鳴子温泉郷から西へ、国道47号を進む。 鳴子峡に架かる巨大な橋を渡り、中山平温泉を過ぎると、やがてあたりは高原的な疎林の風景となる。 しばらく緩やかな登りが続くが、ここは奥羽山脈のなかでも最も低い峠の一つである。 やがて下りに転じる頃には、そこは山形県の東の端、最上郡最上町だ。 更に進み、松尾芭蕉の句で有名な山刀伐峠方面へ行く県道最上尾花沢線との分岐を過ぎると、そのすぐ先で左手に大きな鉄橋が見えてくる。 ここまで、鳴子温泉から約20kmの道のりである。 鉄橋は国道からも見えるが、車通りの多い国道では落ち着いて見られない。 国道から下り、川との間にある田んぼの畦道へ。 それは、ご覧の通り巨大な鉄橋だ。 私がここを訪れたのは、2006年の七夕の日。 夕暮れ時だった。 この場所に鉄橋があると言うことは、前に東北のオブローダー仲間の間で話題となったことがあり知っていたが、

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    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-113>田園を渡る橋 東北最長?
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第106回 枡沢隧道

    山形県北東部、北に秋田県と接する最上郡金山町の南縁に、桝沢ダムがひっそり水を湛えている。 昭和36年に完成した同ダムは、全国でも比較的数の少ない、農林水産省直轄ダムの一つである。私も今回のレポを書くために調べるまで、そのようなものがあることを知らなかった。 管轄省からも予想が付くとおり、このダムの目的は農地灌漑にある。 そして、現在は東北農政局が管理しているこのダムへ行く道には、一つの隧道がある。 地図上ではとても小さく描かれ、ダムへ行く以外にはどこへも通じていない隧道である。 見に行ってみた。 金山町中心部から舗装路を約5km、金山川が形作る扇状地の南端である下明野地区から、その支流である枡沢川を遡って東へ進むと、やがて眼前に一つのダムが現れ、谷をめいいっぱい塞いでいる。 ダムサイト上にまるで飛行場の管制塔のような建物が目立つ桝沢ダムで、重力式コンクリートダムの堤高は60mある。 湖畔へ

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    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-106>ダムへの小隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第95回 主要地方道酒田温海線 由良トンネル旧道

    秋田から山形県の酒田を経て新潟県村上までの約150kmを日海の海岸線に沿って走ると、途中何度か国道をバトンタッチすることになるのだが、そのなかの約8kmだけが国道が内陸を経由するために、かわりに県道を利用することになる。 それが、山形県鶴岡市の加茂から由良までの区間であり、主要地方道酒田温海線がこの任に当たっている。 現在、この海岸線の道路は前後の国道と見紛うばかりの立派な整備がなされており、快適に通過することが出来る。 区間の南端に位置する由良トンネルには、かつてこの道がどのような道であったのかを今に伝える貴重な旧道区間が僅かに残されている。 由良トンネルの南口は、県道の終点である由良地区のはずれにある。 旧道の入口はこの南口では坑門のすぐとなりにあり、非常に見つけやすい。 私は、まだ日の明けぬうちに車でこの場所へ辿り着き、この日の探索の始まりをこの小さな旧道に決めると、坑口の海に面し

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-95>トンネルのありがたみ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-85>山行が特選怪奇譚シリーズ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    山チャリ活動を続ける中で得られる楽しみは多いが、そのなかでも、街のなかに融けこんだ現役の古物件を見つけた時の、なにか愛おしい気持ちは、なんだろうか。 「 ああ、 まだ頑張っていたのか 」 そんな声を、思わずかけたくなってしまう。 全然派手ではないが、私の悦びには欠かせない存在。 それが、地図を眺めただけでは決して分からない、小さな街の古物件 。 国道47号線を酒田から新庄へと向かう途中、余目町廻舘交差点を通過時に、なんとなく右手の県道の入り口に違和感を感じた。 このような違和感が、小ネタ発掘のきっかけとなることは、多い。 今回も、そのうちの一つである。 青看には、 →県道342号(西袋) ←県道358号(小出新田) とある。 この地点は、県道342号線の終点であり、358号線の起点でもある。 違和感の正体をつかむため、右折して県道342号線に入る。 この道は西袋廻舘線といい、同町内の羽越線

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-77>蜃気楼橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    この小国町界隈の国道113号線には、かなりの数の旧橋・旧旧橋が存在しており、しかも、それらの多くが何らかの遺構を今に残している。 それらのうち主な物を表したのが、上図である。 このレポを執筆している段階では、東から見て行って、宇津峠・上杉橋・下杉橋、そして少し飛んで松栗沢橋を紹介している。 そして、今回は、明沢橋とその前後の旧道区間を紹介したい。 一連の旧道は、国道113号線を西進する時、現道の沼沢トンネルの手前で左に別れる。 この先はJR米坂線羽前沼沢駅を中心とした沼沢の集落であり、旧道は生活道路として大切に利用されている。 旧道に折れると即座に線路を渡る。 そして、間瀬川に迫り出した巌を切り取ったカーブの向こうに集落が見えてくる。 この場所の景色は、少しばかり目を惹く。 もともとは山際から続いていたはずの尾根が鉄道と旧国道に連続して切り取られており、尖塔のような小山を残しているのだ。

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-67>隠しアーチ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道113号線はこれまでも数度紹介してきた。 例えば、宇津峠旧道や旧旧道、それに八ツ口の旧道などだ。 また、アクシデントによりレポ化できない状況にある“片洞門”は、この国道に数ある旧道の白眉といって良い名勝である。 今回紹介する小さな小さな旧道は、片洞門のすぐ西側である明沢地区の路傍に埋もれている。 短いレポだ。 気楽にご覧頂こう。 小国町の唯一の幹線と言って良い国道113号線は3桁の国道にしては良く整備されており、新潟・山形の最短ルートであることもあり、通行量も多い。 片洞門は綱取地区にあるが、この一つ東側にあるのが、明沢地区だ。 それらの中間付近に、この小さな旧橋はある。 現国道の松栗橋からは、北側に平行する旧橋の姿を発見できる。 旧橋と、前後の旧道は、合わせても僅か30mほど。 完全に見捨てられた存在である。 橋へ接近するには、徒歩ならばどちらからも可能だが、通常は西側からだ。 東側

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-66>新しすぎる旧橋と…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.5.12撮影 山形県西置賜郡小国町 国道113号線は、福島県相馬市に端を発し、山形県南部を通り、新潟県新潟市にいたる一般国道である。 私も、その全線を走ったわけではないが、その旧道密度、つまり旧道が現在の道とは別に存在する割合としては、他のどの国道よりも高いと言う実感を持った。 特に、山形県飯豊町から宇津峠を経て小国町、荒川にそって県境を越え、新潟県関川村に至るまでの約50kmについては、その殆ど全線に何らかの旧道が付随していると言っても過言でないほど、とにかく旧道が多い。 それら旧道の由来については、今回のミニレポでは紙幅が足りないので割愛するが、とにかく明治期から使われてきた道が、その時代時代に応じて、徐々に姿を変えてきたと言うことだ。 今回紹介する橋は、そんな道の一つである。 特異な光景を見せてくれているが、あとどれだけ存続できるかは、誰にも分からない。 国道の長いトンネル

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-52>橋を守った橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-35>肘折カルデラを一望、絶景廃道!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2003.6.5撮影 山形県最上郡大蔵村 南山 東北を代表する“酷”道といわれる国道458号線は、山形県内陸部を南北に縦断する路線である。 この道が、「酷道」などというありがたくないレッテルを貼られている最大の原因は、起点からそう遠くない最上郡大蔵村から寒河江市にかけての山越え「十部一峠」の存在である。 砂利道を交えつつ延々と山を越えるこの峠は、確かに国道としては異例のショボさであるのだが、個人的には、真に”酷”というほどの物かといわれると疑問が残る。 「国道なのに砂利の区間が残る」というインパクトはあるのだが、それ一発勝負というか。まあ、ぶっちゃけ走行感は、よく整備された林道と大差ないと感じられ…、なんというか期待以上ということはない道であった。 当初は、このほぼ50kmにも及ぶ長大な峠越えを「道路レポート」として紹介するつもりであったが、ちょっとテンションがもたなそうだと思ったのだ。

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    yamaiga 2010/06/06
    <ミニレポ-34>崖下に消えた国道…
  • 小ネタ集

    2003.3撮影 山形県西田川郡温海町 大沢 新潟市から概ね日海に沿う形で北上、山形県の沿岸部を経て、秋田県秋田市に至る、国道7号線。 海沿いの狭隘な土地を縫うように走る場面が多く、都市部を除いては迂回路の少ない国道である。 その巨大な通行量に対応するために、古くから至るところでバイパスが設置されてきた、そしてその度に旧道が生まれている。 山形県の温海町、新潟県に接するその南端近く小岩川の集落にも、例によって旧道がある。 最も海に近い場所を現道が走り、その山側に集落と旧道が残るという、よくあるパターンの道だ。 その旧道で、私の前に現れた橋が、「巌橋」だった。 橋を渡ってまっすぐ集落の中を進む道が旧国道である。 集落に溶け込んでおり、余り存在感のある橋ではないのだが、ぱっと見に「古いなコレ」と感じさせた。 気になって、親柱に埋め込まれた白い銘板を確認してみると…。 半ば消えかけたその名は『

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    yamaiga 2010/06/05
    <ミニレポ-12>発見! “大正国道”の名残
  • 小ネタ集

    2003.3撮影 山形県温海町 温海温泉 場所は、新潟県温海町のJR温海温泉駅近く。 国道7号線の旧道に、そのトンネルはある。 その名を、釜谷坂隧道という。 生活道路として現役で利用されており、なかなか車通りの多いトンネルだ。 ただですら2車線ぎりぎりいっぱいの決して広くないトンネルの上部には…、 「トンネル内せまい  注意」 3列に配置された白色の内部灯は、コンビニ店内のような明るさを醸し出している。 昭和12年竣工というかなりの年代物だが、さすがに一級国道に供されていたトンネルだけあって、矍鑠としている。 しかし、先ほど入り口で見た気になる注意は、なんだったのか? 155mの全長の真ん中付近、そのトンネルはまるでパチンコ屋のような電飾に彩られていた?! 半円形の断面は、中央付近の30mほどに渡って、ひとまわり狭くなっている。 一体何ゆえにこのような状況になっているのか? 昭和10年代の

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    yamaiga 2010/06/05
    <ミニレポ-10>ひょっこりひょうたん型隧道
  • 小ネタ集

    2003.3撮影 山形県西田川郡温海町 温海町の五十川いらがわは、日海に面した小さな集落だが、国道7号線とJR羽越線という幹線が、並走している。 写真は、山間部から五十川に下ってきた県道61号線が、国道7号線の旧道に合流する地点。 この五十川の河口部が、五十川集落の中心部である。 鉄道の架線が見えているが、その向こうに現国道が、海岸線ぎりぎりを通っている。 先ほどの場所のすぐ傍、五十川を渡る鉄道の橋梁の下をくぐるとき、五十川駅側に、気になるものが見えた。 気になったので、接近してみて撮ったのが、この写真。 ここは、小ネタ集だが、個人的には、大ネタ級の驚きがあった! 確かに、こいつは一発ネタだろう。 でも…、 でも、線路と車道が一体になったトンネルって、…前代未聞!! 興奮に身を任せ、トンネル前の急登攀を一息で乗り越えて、進入。 やっぱり、鉄道と道路が、一つのトンネルを仲良く共用しており

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    yamaiga 2010/06/05
    <ミニレポ-08>鉄道と道路が共有する隧道
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 山形県道375号 十里塚遊佐線

    このタイトルなのに「橋梁レポート」? 何かの間違いじゃないの?? そう思われるかも知れない。 だが、この県道の近くには、是非とも紹介したい橋が2つある。 この県道、一般県道375号十里塚遊佐線は、右の地図の通りの短い路線である。 遊佐町の役場所在地である遊佐と、海岸沿いの十里塚とを結ぶ、わずか5km足らずの道だ。 だが、この道は2つの顔を持ち合わせている。 一つは西の海岸線近く、砂丘の防砂林を越える小さな峠区間。 残る東側は広大な田園風景である。 僅かばかり、遊佐の街並みの景色もある。 そして、私が紹介したい橋は、ちょうど路線の中程の江地(えち・えぢ)地区にある。 レポートは、終点である遊佐より始まる。 時は夕暮れ。 ご覧頂こう。 霊峰鳥海の南の一角を占める遊佐(ゆざ)町。 平成の大合併でも、巨大化した酒田市に呑み込まれることを回避し、観光に根ざした独自の町作りが模索されている。 鳥海山の

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-14>なぜ橋梁レポ?!
  • 隧道探険隊

    山形県酒田市にあり最上川に架かる両羽橋は、2004年より解体工事が始められている。 計画では、3年がかりで完全に撤去されるという。 押しも押されもせぬ日海岸第一位の幹線・国道7号線にあり、50年以上もその交通を支え続けた両羽橋。 その歴史は、昭和11年に始まる。 一級国道7号線に、それまであった木橋に代わり竣工した2代目両羽橋は、当時の長大橋を象徴するワーレントラスが誇らしげな全長713.9m。 その長さは、竣工当時東北一、全国でも第6位に数えられるものであった。 戦後、交通量の増大や大型化、橋自体の老朽化など、同時期に架けられた橋の多くと同様の問題が顕在化し、さらに悪いことに、橋の南側の袂がちょうど国道47号線の起点の交差点になっていることから、致命的な渋滞に見まわれ続けた。 将来の4車線化が計画されることとなり、まずは現在使われている新・両羽橋のうち上り2車線分が、昭和51年に完成し

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-09>恐怖のスケートリンク
  • 【山さ行がねが】隧道レポート 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編

    山形県北部、秋田県境に接する丁(ひのと)山地の一角に、かつて真室川森林鉄道はその役目を全うした。 真室川町は森林鉄道の保存に積極的で、同町の真室川町資料館では当時の機関車の動態保存が行われており、休日には多くの人で賑わっている。 保存運転が行われているのは、元来の線路とは全く別の新設された小さな周回コースであるが、かつての路線跡もまた、町内にはよく残っている。 その現状は、今から3年ほど前に何度か当サイトでもレポートしており、駆け足ながらもその概要を紹介している。 (参考レポ:廃線レポ「真室川森林鉄道(安楽城線)」・「一号隧道」) 真室川林鉄安楽城線には合計3、小又線には1の隧道が確認されているが、うち安楽城線の2号隧道は内部が水没しており、坑口から20m程度しか判明していない。 貫通しているかどうかも不明なままであったが、3年ぶりに再訪を果たしたので、そのレポートをお伝えしよう。 前