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  • 【亀の瀬龍王社】地を這い、暴れる巨大龍の頭か?シッポか?【役の行者と葛城修験】 - ものづくりとことだまの国

    朱い大鳥居が目印の #亀の瀬龍王社。ここは #役の行者 が開いた #葛城修験 28番目、最後の経塚(巡礼地)。#亀の瀬 は古来より #地すべり 地域。修験の和泉山脈のほぼ直下を #中央構造線 が通ります 目次 亀の瀬大鳥居 亀の瀬龍王社 大暴れする巨大龍の頭か?シッポか? 文 www.zero-position.com 亀の瀬大鳥居 亀の瀬の亀岩あたりから東の方を見ると、亀の瀬龍王社の朱い大鳥居が見えます。。 亀の瀬の亀岩と亀の瀬龍王社の朱い大鳥居 扁額に「阿字門」と書かれています。 「阿」は、始まりと終わりをあらわす阿吽(あうん)の、はじまりの「阿」。 亀の瀬大鳥居。扁額に「阿字門」 亀の瀬龍王社は役の行者(えんのぎょうじゃ、役小角)がひらいた 葛城修験 28ヶ所の経塚(巡礼地)の28番目、最後の経塚になりますが、 その順番(順峯は一番経塚から入る、逆峯は二十八番経塚から入る)とは関係

    【亀の瀬龍王社】地を這い、暴れる巨大龍の頭か?シッポか?【役の行者と葛城修験】 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/06/11
    亀の瀬、近くて遠い場所の一つなので、是非機会を見つけて足を踏み入れたいですー
  • 残し逝く幼子のために【近江の昔話】を描き残した夭折の画家【三橋節子】 - ものづくりとことだまの国

    最晩年 #近江の昔話 をモチーフに、残し逝く幼い二人の子どもたちのために幾枚かの名作を残した画家 #三橋節子 さん。彼女の行跡を展示する #三橋節子美術館(滋賀県大津市)来年の没後50年を記念したプレ回顧展が始まりました 目次 三橋節子美術館(滋賀県大津市) 画家・三橋節子さん 近江八景・三井の晩鐘 長等(ながら)の菩提樹 文 三橋節子美術館(滋賀県大津市) (35.0074482, 135.8572347)/滋賀県大津市小関町1−1/京阪電車京津線・上栄町駅から徒歩15分(京都地下鉄東西線・三条駅から浜大津駅行で上栄町駅まで直通) 京都方面から上栄町駅を出て、坂道を上がったところに三橋節子美術館への案内板。 上栄町を下車、長等(ながら)の丘に坂を上がってゆくと美術館への案内板 長等(ながら)の丘沿いの一道道を進むと美術館に着きます。 長等(ながら)の丘から大津市内。琵琶湖が見えます

    残し逝く幼子のために【近江の昔話】を描き残した夭折の画家【三橋節子】 - ものづくりとことだまの国
  • 地すべりエリア・亀の瀬の亀岩と明日香の亀石伝承の奇妙な一致【ヤマトの大洪水】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。JR大和路線・河内堅上駅から #大和川(#龍田川)に沿った #龍田古道 を歩いて約20分。鉄橋が川向うを越えたあたりから #亀の瀬。ここの #亀岩 が動くと奈良盆地(大和の国)が水没するという言い伝えは #明日香村の亀石伝承 と奇妙に一致します 目次 龍田古道・亀の瀬 人や車が通れない鉄橋 亀の瀬 亀岩の伝説 亀の瀬の亀岩と明日香の亀石の一致 文 www.zero-position.com 龍田古道・亀の瀬 人や車が通れない鉄橋 龍田古道 明神山を遥拝 (前回からの続き)JR大和路線・河内堅上駅から、右側(南側)に明神山を遥拝しながら、亀の瀬(地すべりエリア)まで1キロほど歩きます。 写真の奥、JR大和路線が大和川の向こう側に渡る鉄橋(第四大和川橋梁)あたりから亀の瀬の地すべりエリアに入ります。 下部の白い三角形のトラス構造は、昭和初期の大規模な地すべりで、こちら側にあった線

    地すべりエリア・亀の瀬の亀岩と明日香の亀石伝承の奇妙な一致【ヤマトの大洪水】 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/06/03
    実際に大和川が閉塞したら、三郷、王寺の低地部はたちまち水没しちゃって大変なことになりそうです。
  • 【龍田古道】かつて【龍田川】と呼ばれた県境の【大和川】巨大な龍のようにうねうねと流れる - ものづくりとことだまの国

    和歌にうたわれた #龍田川 は、古代、大和と河内を結ぶ #龍田古道 に沿って流れる #大和川 のことでした。#JR大和路線 #柏原駅 から #河内堅上駅 を経由し #亀の瀬(地すべりエリア)まで歩きました 目次 和歌にうたわれた「龍田川」 龍田古道を歩く(柏原駅〜河内堅上駅付近) 文 和歌にうたわれた「龍田川」 平安時代、六歌仙(ろっかせん)に名を連ねた在原業平(ありわらのなりひら)の小倉百人一首に掲載された有名な歌。 千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは 一面の紅葉の鮮やかな紅色に染められた龍田川なんて、神代の昔でさえもそんな話は聞いたことがない! 龍田大社 和歌にうたわれた龍田川。実は、河内と大和の県境の大和川だったということを、龍田古道に足を運び、調べているうちに知りました。 古い時代、大和と河内の国境の大和川の流れを「龍田

    【龍田古道】かつて【龍田川】と呼ばれた県境の【大和川】巨大な龍のようにうねうねと流れる - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/06/01
    府県境の大和川が竜田川と呼ばれていたとは本当に勉強になりました。大和川沿いを走る現国道25線沿いのルートをかつて竜田越え奈良街道と呼びそして龍田大社がどうして今の位置にあるのか全て腑に落ちました!
  • 【龍田大社】風神が奏でる涼やかな音色。初夏の紅葉が鮮やかな境内 - ものづくりとことだまの国

    初夏らしい陽気の週末、風神の社 #龍田大社 に参拝。手水舎で涼やかな風鈴と水音にしばし聴き入り、鮮やかな青と赤の #龍田の紅葉 に彩られた境内を歩いているうちに心が軽く、祓い清められた気がしました 目次 風神の社・龍田大社 風の音、水の音 昇り龍の如きしめ縄 文 風神の社・龍田大社 (34.5930396, 135.6886448)/奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29−1/JR大和路線・三郷駅から徒歩10分。近鉄生駒線・信貴山下駅から徒歩20分。専用駐車場あり 龍田大社 御祭神:天御柱命(あめのみはしらのみこと)、国御柱命(くにのみはしらのみこと) 龍田大社境内の龍田古道ウォーキング案内板 龍田大社は、大和(奈良)と河内(大阪)の国境の龍田山(大阪府柏原市雁多尾畑)に創建され、古来より「風神」を祀る社とされてきました。 龍田山は大和の都と難波宮を結ぶ龍田古道の峠で、現在の龍田大社の西方の

    【龍田大社】風神が奏でる涼やかな音色。初夏の紅葉が鮮やかな境内 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/05/27
    毎年かみさんの実家に年末帰って初詣にお参りするお社ですが初夏もいい感じですね
  • 【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】 - ものづくりとことだまの国

    巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰 目次 「喪船」とされる準構造船の出土 広陵町文化財保存センターの展示 高田川と巣山古墳 文 www.zero-position.com www.zero-position.com 「喪船」とされる準構造船の出土 (1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。 準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳 広陵町文化財保存センターのパネルでは 喪船(もふね) とされています。 喪船とは棺や遺体をのせた葬送の船のこと。 巣山古墳。順構造船の出土地点と出土状況を紹介するパネル(広陵町文化財保存センター) ***** 準構造船とは、丸木舟

    【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/05/13
    今も昔も奈良県内を高速移動するのは川沿いが一番です^^
  • 【清荒神(きよしこうじん)】古い時代と今の時代が混ざる参道商店街【荒神ほうき】 - ものづくりとことだまの国

    兵庫県宝塚市 #清荒神(きよしこうじん)参拝。参道に並ぶお店の看板を眺め、露店を覗きながら歩いて約1キロで山門です。#荒神ほうき #荒神松 目次 清荒神(きよしこうじん) 参道の景色 文 清荒神(きよしこうじん) 阪急宝塚線・清荒神駅下車。 駅前から続く1キロ少しの参道は緩やかな登道。 三十分ほど歩いてお参りしました。 参道には、昔ながらのお店や露店だけでなく、今風のカフェやコーヒーショップも並びます。 清荒神 参道 参道の景色 時々小雨がパラつく祝日の朝早くに参拝したので、参道は静かでした。 妖しげな看板やのぼりを眺めながら参道を登ります。 かた焼きせんべいの、刺客や隠密剣士がかぶるような編笠の由来は何でしょうか。 編笠なんて時代劇を見たことがない若い人はわからないかも知れませんね。 荒神さんは台所などに御札を祀りますが、清荒神さんは松も飾るスタイル。 松の常若(とこわか)で 不老長寿

    【清荒神(きよしこうじん)】古い時代と今の時代が混ざる参道商店街【荒神ほうき】 - ものづくりとことだまの国
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    yamatkohriyaman 2024/05/11
    ミンチカツ美味しそー
  • 【巣山古墳(2)】「クニ」の水辺を拓き守る海人集団をイメージさせる水鳥型の「シマ」【島状遺構】 - ものづくりとことだまの国

    奈良県広陵町 #巣山古墳 2回目。#二上山 を眺める #島状遺構(出島状遺構)。今は周濠の水底に隠れていますが、ここからは #水鳥型埴輪(3体セット)のほか、何種類かの #形象埴輪 が多数出土しました。#広陵町文化財保存センター 目次 巣山古墳からの(二上山の)眺め 水鳥のカタチをした?島状遺構 島状遺構はクニが広がるイメージ 今城塚古墳の埴輪祭祀場の原型 文 前回・巣山古墳(1)/奈良県広陵町・馬見古墳群 www.zero-position.com 巣山古墳からの(二上山の)眺め 4世紀末築造(前期古墳と中に古墳の過渡期)、墳丘長200m超の巣山古墳。 馬見古墳群中、最大最古の巨大前方後円墳で、国指定特別史跡。 巣山古墳(前方後円墳、前方部正面) 王墓クラスの規模ではありますが、宮内庁からは治定墓はもちろん陵墓参考地にも指定されていません。 そのおかげ?で、学術調査が可能で、これまでの

    【巣山古墳(2)】「クニ」の水辺を拓き守る海人集団をイメージさせる水鳥型の「シマ」【島状遺構】 - ものづくりとことだまの国
  • 【巣山古墳(1)】水鳥形埴輪と準構造船が出土した馬見古墳群中、最大最古の巨大古墳 - ものづくりとことだまの国

    津堂城山古墳(大阪府柏原市、古市古墳群)で出土した #水鳥形埴輪(3体セット)が #巣山古墳(奈良県広陵町、馬見古墳群)でも出ていたことを知り #大和川 流域の二つの古墳が対を成すのではないかと見学に #広陵町文化財保存センター #準構造船 目次 ともに水鳥型埴輪3体セットが出土した同時代・同サイズの古墳 二上山はどのように見えたか? 巣山古墳(奈良県広陵町/馬見古墳群) 水鳥の一族(海人集団)のこん跡?準構造船が出土 文 3回シリーズで紹介した古市古墳群・最古級、二上山を見晴るかす津堂城山古墳(前方後円墳、4世紀後半、墳丘長200m超)からは水鳥型埴輪(3体セット)が、古墳に付随する祭祀場の島状遺構から出土しています。 【津堂城山古墳】 www.zero-position.com ともに水鳥型埴輪3体セットが出土した同時代・同サイズの古墳 ※地図中/「昔」古代の大和川の流れ。「今」江戸

    【巣山古墳(1)】水鳥形埴輪と準構造船が出土した馬見古墳群中、最大最古の巨大古墳 - ものづくりとことだまの国
  • 【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。摂津河内と大和の #阿部 を繋ぐこん跡を探して #柏原市安堂 へ向かう途中の #津堂城山古墳。親子三羽の #水鳥型埴輪 が祈ったものからうかがえる #ヤマト創世 の歴史。#海人族アド #春日 #鹿島 #安曇磯良 目次 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 海人族・安曇(アド)の動き 被葬者は海人族・安曇(アド)の長!? 河内と大和。二上山で繋がる鹿島と春日 文 前回 www.zero-position.com 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 大和川の河川敷を安堂(柏原市)まで歩いたのは、奈良県桜井市阿部(安倍寺跡、安倍文殊院)と阿部王子神社(旧安倍村、阿倍野区)を繋ぐ「何か」を探すため。 二つの阿部を繋ぐ「安堂」。大和川と古代河内湖の水域 阿部王子神社の由緒である阿倍権現縁記に「仁徳天皇の古墳中期、難波に都が設けられた時(第一次難波宮)に、大和桜井の阿部氏が移住し、

    【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国
  • 古墳に囲まれた中世山城・貝吹山城~越智谷散歩(2) - 大和徒然草子

    中世の大和国では、奈良の興福寺が事実上の守護として君臨し、在地の国人領主である武士は興福寺・春日大社の衆徒、国民として組織されてその傘下にありました。 しかし、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての戦乱で、国人たちは寺社領を蚕して勢力を蓄え、興福寺の制御から外れて独自の動きを取るようになります。 南北朝時代以降、大和で特に大きな力を持つようになった国人が、筒井氏、古市氏、箸尾氏、十市氏そして越智氏でした。 越智氏は大和源氏の一流を称して高市郡越智(現高取町)を拠に、吉野南朝の主力となって勢力を伸ばし、15世紀末の戦国時代初め頃までは大和における幕府(北朝)方主力として勃興した筒井氏をしばしば圧倒した国人です。 そんな越智氏の拠・越智谷に残る越智氏ゆかりの旧跡を、前回は越智氏の足跡とともにご紹介しました。 今回ご紹介するスポットは、越智氏の築いた中世山城、貝吹山城です。 15~16世紀に

    古墳に囲まれた中世山城・貝吹山城~越智谷散歩(2) - 大和徒然草子
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/04/28
    奈良県高取町の中世山城・貝吹山城の紹介記事です。戦国時代に大和南部を本拠として勢力を扶植した越智氏の築いた山城です。
  • 【津堂城山古墳(2)】忘れられた河内の古代勢力のこん跡地名【恵我(えが)】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。全国的にも珍しい #水鳥形埴輪 が出土した #津堂城山古墳 考察。#古市古墳群 中の最古級、最大の応神天皇陵に次ぐサイズ。さてどのような人物が埋葬されていたのでしょうか。#消された河内の古代史 #恵我5か村 目次 津堂城山古墳・考 津堂八幡神社(旧 深居神社) 「恵我、えが」地名は古代勢力のこん跡? 忘れられた河内の古代勢力 文 前回(津堂城山古墳)の続き。 www.zero-position.com 津堂城山古墳・考 津堂城山古墳 後円部の墳丘 応神天皇陵(誉田御廟山古墳、惠我藻伏崗陵/5世紀初頭=古墳中期)を中核とした世界遺産・古市古墳群の最北に位置し、 津堂城山古墳 墳丘から前方部。このラインの先に二上山(大鳥)を眺望 応神天皇陵に先行する4世紀後半築造の津堂城山古墳(リンク先に出土品一覧)は、銅鏡・碧玉多数・円筒埴輪とともに、水鳥形の形象埴輪を出土するという 津堂城山

    【津堂城山古墳(2)】忘れられた河内の古代勢力のこん跡地名【恵我(えが)】 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/04/22
    南河内地域も古代ヤマト政権の成立過程で見逃せない地域ですね。謎の四世紀は考古学の独壇場となるので、未発見の墳墓や古代遺構の発掘調査が進むことを期待したいですね
  • 南和の雄・越智氏の本拠・越智城界隈を巡る~越智谷散歩(1) - 大和徒然草子

    戦国時代の大和国(現奈良県域)では南北朝の争乱以来、激しく抗争する二つの国人がいました。 一つは添下郡筒井(現大和郡山市)を拠として、戦国後期に大和の覇権を握る筒井順昭・順慶父子を輩出した筒井氏。 そしてもう一つが、高市郡越智(現高取町)を拠とした越智氏です。 越智氏は大和南部を中心に勢力を伸ばし、南北朝時代には南朝方主力として活躍した他、応仁の乱では西軍・畠山義就軍の中核兵力として大和、河内、京都を転戦し、一時は筒井氏ら東軍勢力を大和から駆逐して北和にも勢力を広げました。 戦国後期には一族間の争いもあって衰退し、近世初頭に筒井順慶の策謀と家中の混乱により滅亡しましたが、越智氏は筒井氏と並んで大和を代表する武家であり、越智氏なしでは大和の中世史は語れない重要な一族です。 越智氏が拠とした越智は、西に曽我川、東は高取川にはさまれた、標高約200mほどの山塊からなる越智岡丘陵の中央を東西

    南和の雄・越智氏の本拠・越智城界隈を巡る~越智谷散歩(1) - 大和徒然草子
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/04/20
    戦国大和の南和の雄・越智氏が本拠とした越智谷で越智氏ゆかりの旧跡を巡りながらその足跡を紹介します。
  • 根来寺・新義真言宗とは~その② 平安末期に流行した、2つの思想「浄土思想」と「末法思想」(下) - 根来戦記の世界

    平安後期に流行した「浄土思想」。これを象徴するのが「この世をば~」の歌で有名な、わが娘を3代に渡って天皇の后に送り込み、位栄華を極めた藤原道長の死に様である。 己の死が近いと感じた彼は、法成寺という寺を突貫工事で建てさせた。寺には三昧堂・阿弥陀堂(無量寿院)・五大堂などの伽藍が立ち並び、阿弥陀堂の尊にはもちろん阿弥陀如来を据えた。夕方になると、道長を先頭に大勢の僧侶たちが念仏を唱え始め、「浄土はかくこそ」と思われるほどであった、と伝えられている。これはつまり、浄土を地上に再現しているわけである。 道長は死に臨んで、東の五大堂から東橋を渡って中島、さらに西橋を渡り、西の阿弥陀堂に入った。そして、九体の阿弥陀如来の手から自分の手まで糸を引き、釈迦の涅槃と同様、北枕西向きに横たわり、僧侶たちの読経の中、自身も念仏を口ずさみ、西方浄土を願いながら往生したという。これが浄土思想的には、理想の死に方

    根来寺・新義真言宗とは~その② 平安末期に流行した、2つの思想「浄土思想」と「末法思想」(下) - 根来戦記の世界
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/04/18
    末法思想の流行は鎌倉新仏教の興隆に繋がる大きな思想潮流ですね。浄土思想はもとより戒律の緩みへの反発から叡尊ら戒律復興の動きも盛んになって鎌倉期は仏教のメインストリームの一つになったと思います。
  • 【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川ウォーキング中 #二上山 の雄岳と雌岳の真ん中に手前の丘(羽曳野市飛鳥)が重なる所を探していたら #津堂城山古墳 に。世界遺産 #古市古墳群中、最古級の前方後円墳で、ここからは最大最古の #水鳥型埴輪 が出土しています 目次 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 二上山の大鳥を正面に見晴るかす所 「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」 文 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 www.zero-position.com 前回、志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交(はがい)」を紹介しましたが、 手前の丘が、二上山の雄岳と雌岳のちょうど真ん中におさまって「大鳥」のように眺望できる所はどこだろうと、ウォーキング途中でしたが、寄り道スタート。 大和二上山 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 新大和川の堤防を離れ、ゆるやかな坂道を下ってゆくと、津堂城山古墳(古市古墳群)の案内

    【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国
  • 筒井順慶反撃の最前線となった中世城館・窪之庄城~上街道散歩(11) - 大和徒然草子

    飛鳥時代の古代官道・上ツ道をルーツとし、現在の奈良市と桜井市を結んだ上街道は、中世以来、大和国内の主要な南北幹線であり、沿線には古代から近世までの長い歴史の中で生まれた名所・旧跡が多く残されています。 この上街道沿いの散策スポットを当ブログで紹介していますが、前回は奈良市南郊の帯解周辺エリアをご紹介しました。 今回は、上街道から分岐し、五ヶ谷街道を東へ1kmほど歩いた場所にある窪之庄城をご紹介します。 窪之庄城の場所はこちら。 国道169号線沿いの窪之庄集落北側にある城跡で、奈良県平野部の城跡には珍しく中世館城の土塁と堀が良好に現存する貴重な城郭遺構になります。 窪之庄城とは 窪之庄城跡 八坂神社(東殿) 北側台地 中央の大堀切 西殿 窪之庄環濠集落 参考文献 窪之庄城とは 下図は現在の窪之庄の航空写真に、城域や環濠、土塁・堀の位置を『日城郭大系』の縄張図をベースに記入したもの。 窪之庄

    筒井順慶反撃の最前線となった中世城館・窪之庄城~上街道散歩(11) - 大和徒然草子
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    yamatkohriyaman 2024/04/13
    奈良市南郊の窪之庄城は中世の領主居館を内郭とし環濠集落を外郭とする中世城郭。土塁と堀が良好に残る貴重な城郭遺構です。
  • 京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国

    桜のシーズンの京都の大混雑を避け #琵琶湖疎水 の水辺から #京都御苑 まで #花見 がてら歩いてきました #蹴上インクライン #京都動物園 #平安神宮大鳥居 目次 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 京都動物園〜京セラ美術館〜平安神宮大鳥居 京都御苑(京都御所) 文 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 花粉もスギが終わりましたが、後半のヒノキの時期に。 私の場合、黄砂と相まって、後半の方がキツく、あまり出歩かないのですが、 京都で花見をしたいという奥さんのご要望に応えて、今年は蹴上(けあげ)インクラインから、京都市内(鴨川まで)を東西に流れる琵琶湖疎水の水辺を歩くことを提案。 蹴上〜京都御苑(京都御所)〜出町柳(5〜6キロコース) 蹴上インクライン(旧傾斜鉄道)と琵琶湖疎水。左)琵琶湖方面、右)岡崎の船溜り方面 朝早くに出ましたが、すでに人混み😅…やや甘かった。 蹴上インクライン 明治期に琵

    京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国
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    yamatkohriyaman 2024/04/07
    私も四月ヒノキ花粉のアレルギーがひどいのですが陽気もよくて花も奇麗な時期でくしゃみしながら外に出てます(苦笑)インクラインなど疎水の設備は近代京都の素晴らしい景観遺産ですね~
  • 【鴨の羽交(はがひ)】古代の人々は山の景観に大鳥の姿を見、信仰し、時に詠む【大和二上山の景色】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交 目次 新大和川の河川敷を東へテクテク 上古からの信仰の山 志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交」 大鳥の羽易(はがひ)の山/柿人麻呂 文 www.zero-position.com 新大和川の河川敷を東へテクテク 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)を参拝後、少し南に下って新大和川。 ここから柏原市安堂(奈良県境付近)まで、約10キロの河川敷をほぼ直進、ひたすら歩きます。 お日様の上る東へテクテク 上古からの信仰の山 このあたりから、大阪と奈良の県境にそびえる二上山(にじょうざん)がくっきり見え始めます。 新大和川河川敷から二上山の眺め 大阪府側から見る二上山は雄岳が左、雌岳が右で、奈良県側からの景色とは真

    【鴨の羽交(はがひ)】古代の人々は山の景観に大鳥の姿を見、信仰し、時に詠む【大和二上山の景色】 - ものづくりとことだまの国
  • 安産祈願の帯解地蔵と貴重な和算の算額・帯解界隈を歩く~上街道散歩(10) - 大和徒然草子

    飛鳥時代に設けられた奈良と桜井を結ぶ古代官道をルーツに持ち、中世から近世にかけて大和国の南北を結ぶ主要幹線だった上街道。 その周辺には、古代からの長い歴史の中で生まれた数多くの旧跡があります。 上街道沿いには旧跡が集まるスポットがいくつかありますが、JR帯解駅周辺もその一つで、前回は中世城郭の今市城を紹介しました。 今回は上街道と五ヶ谷街道の交差点付近を中心に、安産祈願のお地蔵様で有名な帯解寺、龍伝説とこちらも安産祈願のお地蔵様で信仰を集める龍象寺、そして江戸時代の貴重な算額が奉納されている円満寺を巡ります。 帯解周辺図(国土地理院HPより作成) JR帯解駅 上街道・五ヶ谷街道交差点 帯解寺 龍象寺 八坂神社・円満寺 参考文献 JR帯解駅 帯解の散策で玄関口となるのがJR帯解駅。 実は早くもこの駅自体が、帯解地域の見所の一つとなります。 帯解駅は1898(明治31)年、奈良鉄道(現在のJR

    安産祈願の帯解地蔵と貴重な和算の算額・帯解界隈を歩く~上街道散歩(10) - 大和徒然草子
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/03/30
    奈良市の帯解地域は帯解寺、龍象寺と二つの子安地蔵尊が並立ちともに帯解地蔵と呼ばれる。また奈良では珍しい和算の算額を目にすることができるスポット。
  • 【春の大和川】ウォーキングで極東最果てのシルクロードを歩く ( ´艸`)【柏原市安堂あたり】 - ものづくりとことだまの国

    春の堤防をウォーキング&歴史散策。大和と河内を繋ぐ古代の水路・陸路のハブ #柏原市安堂。かつて #大和川 はここで北に向かい扇状地を形成しながら現在の大阪城の東一帯の内水湖に流れ込んでいました。飛鳥~奈良時代には最果ての #シルクロード #龍田道 目次 春うらら。新大和川堤防を歩く。 わずか8ケ月で完成した新大和川の流れ 大和と河内を繋ぐハブ。安堂あたり。極東のシルクロード 文 春うらら。新大和川堤防を歩く。 三寒四温で寒暖の差が激しいこのごろですが、先週末、暖かくなってきたので、新大和川の堤防をてくてく。 大和川 堤防 江戸期(元禄年間、1700年ごろ)の古地図で説明しますと、赤いラインのコースを10数キロ歩いてきました。 大和川・付け替え工事直前の古地図(江戸時代1700年ごろ)に開物が書き込み。原図は柏原市サイトより かつて大和国から河内平野に流れ出た(旧)大和川は、安堂村(現在の

    【春の大和川】ウォーキングで極東最果てのシルクロードを歩く ( ´艸`)【柏原市安堂あたり】 - ものづくりとことだまの国
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2024/03/22
    大和川の付替えは南河内地域を激変させた、関東における利根川付替えと並ぶ江戸時代の一大河川改修事業だと思います。河内地域の農業生産、特に綿花栽培が盛んになったことは河内大和の商業発展にもつながりました