・朝より晩まで 金70銭(14本) ・朝よりヒルまで 金30銭(7本) ・ヒルより晩まで 金40銭(8本) ・バンより朝まで 金70銭(14本) ・バンより鈴まで 金25銭(10本) ・鈴より朝まで 金25銭(5本) ・初線香 金20銭(4本) (当時の看板の原文通り) 江戸時代の貝塚遊郭は紀州街道沿いにあったとされていますが、やはり主要幹線沿いに遊郭はふさわしくないと移転させられ、大正3年(1914)にミカン畑だったという近木こぎ地区に移りました。現在、「遊郭跡」されている地区です。 遊郭の移転となると、「穢けがれ」としてふつうはド郊外に移転させられます。日本家屋のトイレは、同じく穢れとして建屋の外れに置かれることがほとんどですが、遊郭が性欲という穢れとして町外れに追いやられたのも、おそらく同じ考えだろうと思います。 しかし、貝塚は展開が違っていました。明治30年に南海鉄道が貝塚駅を開業
昭和最後の芸人の死平成8年(1996)1月、大阪摂津市。ある一人の男が、自宅で短くも太く濃い波乱の人生に幕を閉じました。彼は死の前夜酒を飲み、長年の深酒に肝臓が悲鳴を上げたアルコール性肝硬変でした。 「あんた、これ以上飲んだら死ぬで」 と医者に通告されていた中の深酒。ほぼ自殺そのものでした。 その男の名は横山やすし。本名は木村雄二。 非常にクセのあった、しかしどこか愛された、空前絶後の破滅型芸人でした。 昭和に生き、戦後昭和に彗星の如くあらわれ、そのピークを笑いで支え、そして昭和の終わりを見届けつつ消えていった芸人、横山やすし。 彼の人生もまた昭和史として取り上げるべき材料でしょう。 あの時、あなたはヒーローだった昭和60年代以降生まれの人には、西川きよしを知っていても、横山やすしという名前を聞いたことがないかもしれません。「やすしきよし」(以下「やすきよ」)という漫才も、聞いたことすらな
『宝塚のブスの25か条』 というものを聞いたことがありますか? 「宝塚」とは宝塚歌劇団(以下タカラヅカ)のことで、音楽学校や舞台裏に突然、誰でも目が届く所にある日突然貼られていたものでした。 しかし、書かれていた貼り紙はいつの間にかなくなった、謎の戒めだったそうです。なので、タカラヅカの劇団員に代々伝わっている伝統の教えでもなく、全員知っているわけでもないものです。 『ブスの25か条』をリアルタイムで見たある元団員さんが本で書いたことで有名になり、今ではタカラヅカファンはもちろん、ビジネス面でも知る人ぞ知る教えになっています。 ブスの25か条とはこの25か条は以下のとおり。 1.笑顔がない 2.お礼を言わない 3.おいしいと言わない 4.精気がない 5.目が輝いていない 6.いつも口がへの字の形をしている 7.自信がない 8.希望や信念がない 9.自分がブスであることを知らない 10.声が
玉の井…その名を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。 本好き小説好きなら永井荷風の『墨東奇譚』を、80歳以上のお年寄り男子(?)なら鼻息を荒くして向かったオスのパラダイスを思い浮かべるかもしれません。 玉の井は、スカイツリーラインこと東武伊勢崎線の東向島駅付近の地区のこと。戦前の行政上の正式な名前は当時は「東京府南葛飾郡寺島村」の字の一つで、「玉の井」という名前自体は以下のように書かれています。 「旧寺島村の小字に玉の井と呼ぶ所あり。その辺に周囲20間ばかりの丸き塚あり。里人にこれを聞けどもわからず。 この辺を玉の井とあれば、昔武蔵国の私党玉の井四郎助実の一類居住の地であろうか」 引用:『東京近郊名所図会』玉の井四郎助実は、源頼朝が平家討伐を行った時に同行した豪族で、鎌倉幕府成立後は役人として幕府に仕えたとあります。彼は幕府成立後、今の愛知県葉栗郡木曽川町に領地を獲得、そこにも「玉の井」とい
序章:天王寺駅の素朴な謎 好奇心のアンテナを限度いっぱいに広げていると、身近な場所や物でもさりげなく「???」と思う謎があったりします。 そして、それを掘り下げてみると意外なものが見つかったりすることがあります。 例えば、大阪にあるJR阪和線の天王寺駅。 阪和線の天王寺駅は、他のJRの路線とは少し離れた所に位置しています。 「同じJRなのに他の路線とホームが違うの?」 という疑問を持たれてもおかしくないですが、その答えは簡単。 ここは元々阪和電気鉄道(以下阪和電鉄)のターミナル駅として作られたもので、当時は私鉄なので別でした。もちろん、当時は駅舎も違いました。 現在でも、終端式のホームが私鉄時代の面影を濃いめに残しています。 ここのホームには、気付くことはほとんどない、ちょっとした謎が隠されています。 各駅停車用ホームになっている7~8番ホーム。 今は降車専用になっている5~6番ホームです
神戸駅です。兵庫県神戸市中央区相生町三丁目にある神戸駅です。 そんなくどくど言わんでもわかっとるわい!と思うでしょうが、こう言わないといけない事情があります。 実は、日本に「神戸駅」は現役だけでも3つあり、改称されたり廃駅になったものを入れると10以上にもなります。それだけ「神戸」という名前は全国区なのです。もっとも、現役は「こうべ」「かんべ」「こうど」と読み方がすべて違うのですが。日本語はムズカシイネ。 この神戸駅の建物は何度かリフォームされているものの、昭和5年(1930)7月に建てられたもので、文化庁が「幕末~昭和20年までに建てられたもの」の中で特に価値ありと認めた「近代化遺産」にも指定されています。 しかし、駅の中は現在は完全リフォームされ、現代的なたたずまいになっています。残念なことに関西の通勤圏の一駅に過ぎませんが、戦前はここが国際的な日本の玄関の一つであり、それだけに貴賓室
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