長崎港の南西約19キロにある面積約6.3ヘクタールの小島。外観が軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれる。1890年に三菱が本格的な採炭を開始。最盛期の1960年には約5300人が暮らし、東京の約9倍の人口密度を誇った。74年の閉山後は無人島となり、2001年に所有者の三菱マテリアルが旧高島町(05年、長崎市に編入合併)に無償譲渡した。 軍艦島に脚光再び 「捨てられた島」世界遺産国内候補に 上陸解禁への整備進む (2008年11月16日掲載) ●ソフト面の準備立ち遅れ かつて炭鉱の島として栄えた長崎市沖の端島(通称・軍艦島)。閉山から30年以上がたち、無人の廃虚と化した島が「九州・山口の近代化産業遺産群」の1つとして世界遺産国内候補入りし、脚光を浴びている。島を所有する長崎市は「新たな観光の目玉」として見学用遊歩道などを整備し、来春にも上陸を解禁する予定だが、島の歴史や暮らしを