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2019年9月9日のブックマーク (9件)

  • 憂国呆談 season 2 volume 111 | sotokoto online(ソトコトオンライン)

    興業の「闇営業」から、 「あいちトリエンナーレ」、 日の製造業の没落から、 イギリスのEU離脱問題まで。 東京・荒川区にある小さな立ち飲み屋『タバタバー』。 連日30度を超す真夏日が続く中、暑気払いにと塩味レモンサワーを注文した田中氏と浅田氏。「JR山手線でいちばん無名なのが田端駅」と、店長の櫻井寛己さんが自虐的に、でも笑顔で語るまちの話を聞きながら、世界のなかで「無名」になりつつある日の現状を論じ合った。 あってないような、コンプライアンス? 田中 吉興業の岡昭彦代表取締役と藤原寛代表取締役副社長が7月22日、なんとかの一つ覚えのように「コンプライアンスとガバナンスの決意」を棒読みして都合5時間半も「ギネス世界記録」に挑戦した「冗談」のような会見には、誰もが呆れ果てた。「体制を一新せず、岡さんが社長を続けねばならぬ理由は」と最後に質問されて、「みんなに後で聞いておきます」と

    憂国呆談 season 2 volume 111 | sotokoto online(ソトコトオンライン)
    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “浅田彰「芸術監督として不自由展実行委に場を与えたと思ってたとしたら形式主義的ネット・リベラリズムの限界」田中康夫「自爆テロを招いた津田も敵前逃亡を決め込む東浩紀も似非リベラルの限界」”
  • 「表現の不自由展・その後」にはアート展としての"強さ"はあったのか?

    『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが中止となった「表現の不自由展・その後」について語る。 * * * 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題に関する議論が続いていますが、その多くが質的なアート論に踏み込むことなく、「表現の自由」「検閲」「反日」といった短絡的な図式に収斂(しゅうれん)されているのが気にかかります。 古今東西、アートが政治性を帯びることは多々ありますが、来それは短絡的な二項対立から抜け出すためのニュアンスや両義性を提供し、"単純な正義"を否定するべきもの。今回の展示は税金が投入された自治体主体のアートフェスティバルですから、より慎重に単純な二項対立から距離を置く必要があったと思います。 そもそも税金が使われるパブリックアートにおける「表現の自由」をどう考えるべき

    「表現の不自由展・その後」にはアート展としての"強さ"はあったのか?
    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “81年、リチャード・セラがニューヨークの連邦ビル前広場に完成させた「傾いた弧」。「不自由展」は、アートというフレームワークを使って自分たちの「正義」を集めただけではなかったか”
  • あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所

    あいちトリエンナーレで「表現の不自由展、その後」の展示が中止になった事件について、いろいろ対立や分断もあるようなので、整理するために、いまぼくが理解している範囲で以下書いてみる。 構図1:脅迫者―作家 この事件のもとになっている構造は、図1である。 テロ予告や脅迫、嫌がらせ電話などをする人たち(A)が、作品展示をした作家(B)たちの表現の自由を妨害したのである。*1 構図2:脅迫者―展示実行委員会・作家 しかし、ぼくはよく知らなかったのだが、作家たちの展示を束ねている人たちの存在を報道で知った。企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会(C)である。 たぶん、作家たちを束ねて、展示企画を代表するような人たちなのであろう(図2)。 この人たちが、抗議声明を出した。 www.asahi.com この人たちがどういう意向を持っていて、誰に抗議しているのか、が大事である。 「私たちは、あくまで

    あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

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    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “市民団体「平和のための戦争展」は福岡市の名義後援を受けてきたが、突如2015年に拒否された。「教育基本法第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」”
  • 「国民に嫌悪感を与え、韓国に誤ったメッセージを発信した」 異端児・村西とおる氏が語る“真っ直ぐ”な表現の自由 | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ

    「国民に嫌悪感を与え、韓国に誤ったメッセージを発信した」 異端児・村西とおる氏が語る“真っ直ぐ”な表現の自由 「性に限らず、人間には誰ともシンクロしない世界がある。社会とは、その集合体。それらを倫理や常識などの礫で糾弾したり、裁いたりすることはできない。それぞれの性愛は衣住と同じ。民主主義社会に最も認められなければいけない『表現の自由』の習慣において我々の社会の豊かさが築かれていく。つまり、表現の自由は社会の豊かさの源泉だ」 現在、話題になっている『全裸監督』のモデルで知られる村西とおる氏が、自身の考える「表現の自由」について持論をぶちまけた。

    「国民に嫌悪感を与え、韓国に誤ったメッセージを発信した」 異端児・村西とおる氏が語る“真っ直ぐ”な表現の自由 | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ
    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “津田大介氏に対し「あなたはズルすぎる、姑息だ。途中で止めた。身体を張ってやれよ。『汝の道を行け あとは人をして語るにまかせよ』という。自己を正当化する理屈だけ立派だが、逃げ足が速い」”
  • 神奈川)黒岩知事発言に批判やまず 表現の自由に危機感:朝日新聞デジタル

    国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことに関する黒岩祐治・神奈川県知事の発言への批判が収まらない。「(自分なら)開催を認めない」とする一連の発言は、憲法が保障する表現の自由を脅かすとして、県内の40を超す市民団体などが撤回を求めている。(茂木克信) 東京・永田町の衆院第2議員会館で6日、企画展の再開を求める市民集会があった。会場を視察後、実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事に「日人の心を踏みにじるものだ」などと抗議して中止を求めた河村たかし名古屋市長。文化庁の補助金交付に関して「事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べた菅義偉官房長官。それらと並び、黒岩知事の先月27日からの会見での発言も批判の的となった。 志田陽子・武蔵野美術大教授は、焦点の作品の一つ、慰安婦を表現した韓国人作家の「平和の少女像」について「何ら違法ではない」

    神奈川)黒岩知事発言に批判やまず 表現の自由に危機感:朝日新聞デジタル
    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “自由法曹団神奈川支部。政治的メッセージは制限してよいとなると「権力者は自己に不都合な言論・表現に『政治的』とのレッテルを貼ることで抑圧することが可能になる」とし、発言の撤回を求めた”
  • 制作の問題系を引き受けるために gnck.net

    稿は、「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」の出展作品についてのテキストであるが、「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」が掲げた「不寛容」「分断」という、キュレーションのレベルでの検討や、「表現の自由と検閲」「表現の自由と弾圧」「表現の自由と脅迫」といった問題系、あるいは、「炎上と社会の分断」についての検討は別の機会に譲る。しかしながら全ての作り手への暴力に対する怒りを、まずここに表明する。 あいちトリエンナーレ2019は、「炎上」あるいは「(政治)問題化」することによって多くの耳目を集め、芸術についてのコミュニケーションをある側面では加速させ、しかし多くの側面では困難にさせている[1]。そして、その困難は、トリエンナーレが全く視野に入れていなかったものではなく、キュレーションの方向性としてそもそも見据えていたはずのものであるというのは、実際に鑑賞してみれば明らかだ[2]。しか

    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “その困難は、トリエンナーレが全く視野に入れていなかったものではなく、キュレーションの方向性としてそもそも見据えていたはずのものであるというのは、実際に鑑賞してみれば明らかだ”
  • 世界を見ていない「国際」トリエンナーレ 「あとは勇気だけ」では必ず破綻、反例としての木幡和枝 | JBpress (ジェイビープレス)

    9月2日、外国人特派員協会で行われた「あいちトリエンナーレ2019」の記者会見でディスプレーされた「平和の少女像」(Rodrigo Reyes Marin/アフロ) ●(人格として主体をもつ)「アーティスト」との契約であるべきところを(法人格のない任意団体と思しい)「委員会」を<みなしアーティスト>として契約しているらしいこと。 ●その、アーティストの皮を被った「委員会」にはアーティストは一人もおらず、評論家や編集者、大学教授などの集まりであったこと ●評論家や大学教授の集まりとノンプロの芸術監督が「キュレーション」を行い、16人の作家=作品を選び、そのセットをアーティストが一人もいない「委員会」の<作品>であるとして発表した。 これがどれくらい作家や作品を冒涜するのみならず、「表現の主体」を欠くトンデモない出来事であるか、確認するところからお話してみましょう。 極めて「全体主義的」な契約

    世界を見ていない「国際」トリエンナーレ 「あとは勇気だけ」では必ず破綻、反例としての木幡和枝 | JBpress (ジェイビープレス)
    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “「実行委員会」の記者会見で「サイボーグ009のセリフ」を引いて「あとは勇気だけだ」と答える場面がありました。いったいどれだけの国際メディアが理解できると思うのか?”
  • ICOM京都大会 閉会:朝日新聞デジタル

    ykkykym
    ykkykym 2019/09/09
    “4日の討論では、韓国出身で豪州で活動する学芸員が、よそよそしく、受け入れがたいという印象がある「エキゾチシズム」を「異文化を理解する肯定的な意味で使いたい」と提言”