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「表現の不自由展・その後」にはアート展としての"強さ"はあったのか?
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバート... 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが中止となった「表現の不自由展・その後」について語る。 * * * 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題に関する議論が続いていますが、その多くが本質的なアート論に踏み込むことなく、「表現の自由」「検閲」「反日」といった短絡的な図式に収斂(しゅうれん)されているのが気にかかります。 古今東西、アートが政治性を帯びることは多々ありますが、本来それは短絡的な二項対立から抜け出すためのニュアンスや両義性を提供し、"単純な正義"を否定するべきもの。今回の展示は税金が投入された自治体主体のアートフェスティバルですから、より慎重に単純な二項対立から距離を置く必要があったと思います。 そもそも税金が使われるパブリックアートにおける「表現の自由」をどう考えるべき
2019/09/09 リンク