やりなおしたり手を出したり、いくつになっても、学ぶことは楽しい。数学や生物学、物理学、経済学、歴史学など齧ってきたが、必ずといっていいほど、哲学に戻ってくる。 これは、少し考えれば、あたりまえなのかもしれぬ。人が「学ぶ」「知る」すべての体系を哲学とすると、そこから、解き方が分かっているものや、道具立てがある程度そろっているものが、それぞれの分野として切り出される。そして、それぞれの分野の中で整合性をとりつつ、実際に解いてみせたり、解けることを示したり、応用したり便利に使ったりする。解法は「分かる=分ける」に従って、専門化・細分化することで、次第にわたしにはついていけなくなる。本質よりもメタファーの説明だけで、分かった気分になる(例:ひも理論)。 いっぽう、解くアプローチが曖昧だったり、どの分野にもそぐわなかったり、そもそも"問い"として成立するかどうかもままならないものは、哲学の範疇に取り
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