ブックマーク / lessor.hatenablog.com (72)

  • やりがい搾取どころじゃなかった - 泣きやむまで 泣くといい

    下の記事について、2日間で35,000くらいのアクセスがあった。励ましや慰めのコメントをたくさんいただけて、当に感謝している。年度末の衝撃の中で自分や母子会のコーディネーターが正気をぎりぎり保っているのは、共感してくださる方がいるからである。 ただ、事態はさらに悪いほうに進んでいる。 「アドバイザー料も認めない」との連絡が今日、入った。 「そんな金を払っているとは知らなかった」のだそうである。 昨年度末に担当の(前)課長と学識経験者の前で「アドバイザー」である自分がプレゼンテーションをして、予算書を確認されながら「このアドバイザー料というのはあなたに払うということなのですね」と言われて、そうだと答えた。「それならかまわない」と言われた。そして、事業を一年やった。 「知らなかった」のだそうである。 もはやただの嘘だ。 他団体の情報を得ようと努力したところ、今年度自分たちが支払ってきた時給以

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    yono
    yono 2018/03/31
  • やりがい搾取する「子どもの貧困対策」 - 泣きやむまで 泣くといい

    「子どもの貧困対策」に関わっている。 直接に自法人が運営しているわけではない。地方自治体からの委託事業で、運営しているのは地元の母子会。自分はアドバイザーである。 内容としては、最近増えつつある「子ども堂」や学習支援を中心にして、地域交流とか関係機関との連携とかスタッフの育成もやれ、ということになっている。週2回の開所で、毎回小中学生が30人くらい参加して、スタッフは毎回10名前後になる。 経済的事情から学習支援を必要とする子どものためにスタートしたが、蓋を開けてみると多くの親子が複合的な課題を抱えていた。困難事例の数々とスタッフのマネジメント、そして育成。母子会だけで進めていくのは無理と感じられるようになって、自分がアドバイザーを頼まれることになった。 アドバイザーとなって今年度(29年度)の事業計画と予算で尽力したのは、コーディネーターの人件費をきちんとつける、ということだった。 こ

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    yono 2018/03/29
  • 衆院選マニフェスト比較2017(障害者分野) - 泣きやむまで 泣くといい

    はてなブログに移行して最初の記事が恒例の「マニフェスト比較」になるとは思っていなかった。 はじめての人のためにいちおう書いておくと、国政選挙のたびに主要政党のマニフェストから「障害者」に関する部分だけを抜き出して、比較している。過去のものはこちら(参院選2010、衆院選2012、参院選2013、衆院選2014、参院選2016)。 社会保障や税制なども含む政策全体の中で見なければいけないとは思うけれど、ひとまずわかりやすく「障害児者」や「障害児者と関わる福祉・教育等の関係者」について直接言及した記述だけ確認しておきたい、という人には役立つかもしれない。マニフェストからの全文引用ばかりではしんどいので、私的なコメントもつけていく。 まずは、もちろん政権与党から。 自由民主党 政策BANK2017 人づくり革命 〇幼児教育の無償化や介護人材の確保などを通じてわが国の社会保障制度を全世代型社会保障

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    yono 2017/10/10
  • 「障害者」のリアリティをもって抗いたい - 泣きやむまで 泣くといい

    相模原の入所施設で凄惨な事件が起きた。障害者支援をしてきた者(かつ事業所の経営者)として、考えさせられることが多すぎて、2日のあいだ(職場の中でさえも)コメントできずにいた。 今回、亡くなられた方たちは性別と年齢のみが報じられている。このことについて、朝日新聞のヨーロッパ特派員によるツイートが強く批判されているのを見て、自分たちにとっての課題を少し記しておきたい、と思った*1。 神奈川県警「現場が障害者の入所する施設で、氏名の非公表を求める遺族からの強い要望があった」→匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります。 https://twitter.com/shiho_watanabe/status/758178708859527168 これまで犯罪被害者の遺族に対する執拗な取材が、悲しみに暮れる人々に追い討ちをかけたり、誰のため

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    yono 2016/07/28
  • 「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの居場所が必要だ、と言われる。それを否定する人はあまりいない。 学校があって家庭があるだけではまだ足りないから、求められる。求めているのが子ども自身なのかどうかは、よくわからない。「僕に居場所を」と訴える子どもはあまりいないからだ。必要性を言うのは大人である。もちろん根拠がないはずはなく、少しばかり見聞きした成功体験も背景にあるのだろう。 居場所を作りたい、という大人たちの希望にどんな風が吹いているかと言えば、ずっと追い風だと思う。学校教育でも生涯学習でも地域福祉でも子どもの貧困支援でも「居場所」やそれに類するものがバックアップされるような施策がある。既存の社会資源やネットワークの中で解決されていない問題があるとき、新たな「居場所」は魔法の箱として期待を集めていく。トップダウンかつ縦割り行政の中でそれぞれ中途半端につけられた「居場所」関連予算は、何ら新奇性を示せることなく、既存事

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    yono 2016/02/03
  • 「ボーダー児」と親の孤独を描いたマンガを読んで - 泣きやむまで 泣くといい

    はざまのコドモ 息子は知的ボーダーで発達障害児 作者: 沖田×華,君影草出版社/メーカー: ぶんか社発売日: 2015/12/15メディア: 単行この商品を含むブログ (2件) を見る 偶然に書店で見つけた沖田×華の新作。ノンフィクションコミックエッセイ。原作者である君影草さんが、作に登場する子どもの母親である。ちなみに、原作は『はざまのセイカツ』というタイトルで、ウェブ上に公開されているマンガ。メジャーなマンガ家が描き直す「ワンパンマン方式」とでも言おうか。 障害児の子育てについて親の目線で描いたマンガはこれまでにもいくつかあったと思うが、いわゆる「ボーダー」の子ども(と親)の苦難を描いたものは読んだことがなかった。医学的な診断としては「障害」とみなされないが、学校生活や社会生活上でうまくやっていけない人はたくさんいて、その人たちは境界線上にいるという意味でしばしば「ボーダー」などと

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    yono 2015/12/16
  • 分かち合える「親の会」の新鮮さ - 泣きやむまで 泣くといい

    不登校の子どもたちの親の会をはじめた。まだまだ緩いメンバーシップなので、元不登校とか不登校予備軍とかいろいろ混ざっているが、とにかくはじめた。 障害児の親の会とは各地で20年ほど関わってきたが、それらはみんな「事業」とともにあった。子どもたちの活動を作り、どこかから資金を引っ張ってくるために組織を作る必要があり、そうしてできた親の会は次第に「支えあい」「分かち合い」から逸れていく。親にしかできないことを絶えずアップデートして事業化できればよいのだろう。しかし「先輩から引き継がれたもの」を更新していくのは、普通の親になかなかできることじゃない。それは「伝統行事」みたいなものだ。受け継がれてきた伝統には逆らえない。 不登校の子どもたちの親の会は、今のところ完全に分かち合いの場としてある。子が学校に通えなくなるまでの経緯、子どもの行動の変化、学校に対する親の思いなど、静かに熱く語られていく。皆が

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    yono 2015/12/12
    障碍と不登校、各々についての分析ありがたい
  • 「適応」を目標にしてはならない - 泣きやむまで 泣くといい

    ケース会議の論点が見えない状況にもやもやしながら、なぜこうなってしまっているのかと考える。 報告をまとめようと書き始めて気づく。やはり文章は自分をごまかせない。 問題点をみんながオブラートに包んで述べる。それがのらりくらりとかわされる。今はもううまくいっているのだと。トラブルは起きていないと。 実際にトラブルが起きていないかどうかはわからない。直接その場にいられるわけでもない。当なのか嘘をついていないかと問いただすわけにもいかない。みんな何も言えなくなる。 環境を何も変えてはいないのだそうな。だとしたら、我慢するようになったのかもしれない。あるいは「あきらめた」のかもしれない。どんなに荒れても結果が変わらないという悲しい学び。 「我慢している」ことの証明はいかに可能か。我慢できなくなったときに、はじめてわかる「これまでずっと我慢していた」こと。支援は後手後手にまわる。対応が遅れるうちに、

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    yono 2015/08/07
  • チョコミントの練習問題 - 泣きやむまで 泣くといい

    ずっとその店に行くことはなくなっていた。彼がお気に入りだったチョコミントアイスの販売が終わってしまったからだ。彼は重い知的障害を伴う自閉症児である。 店のおばちゃんやおねえさんはすっかり顔なじみだった。ただ、どの商品を売るのかについての権限を持ってはいないだろうから、売れない商品がなくなるのは仕方ない。彼以外にチョコミントアイスを買う客を見たことはなかった。 彼はチョコミントアイスを求めてしばらく足を運んでいた。空っぽになったケースを指さして訴えるが、やがてあきらめて店を出ていく。おばちゃんたちはとてもすまなさそうにしていた。別の商品がケースにおさまるようになって、そのうち店に行くこともなくなった。 その店にチョコミントアイスがまた入荷されるようになったと情報が入る。それが、彼のためのものであるのかはわからない。でも、なんとなくおばちゃんたちの尽力を想像してしまう。 それでも彼には、ひとた

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    yono 2015/07/20
    その後が気になる事例です
  • 「落ち着かない」の曖昧さと服薬 - 泣きやむまで 泣くといい

    これで時間ができるだろうと思ったのは勘違いだった。負担感の大きかった仕事が一段落ついただけで。 ばたばたする合間のケース会議に出ながら、「薬」に頭を悩ませる。 保護者からの訴えに応えて服薬がはじまったとき、確かにこの場合はうまく薬を使っていくことが必要かなあ、と感じた。そして、薬が狙っていたとおりに状態が安定して、やはりよかった、とも思えた。 ところが、環境の大きな変化をきっかけとして、状態がまた悪くなる。関係者が環境を改めて整えるが、どうも良くならない。すると保護者や学校の訴えに応じて、また薬の量が増やされる。しかし、もともと服薬をはじめたときに「問題」として捉えられていた部分は、今と少し違ったはずだ。「落ち着いて、家庭や学校で過ごせない」と括ってしまえば似たような課題でも、「落ち着かない」の種類が異なる。薬を増やしてしばらくが経ち、結果的に行動は穏やかになってきたし、活動にも安定して取

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    yono 2015/07/12
    “結果的に行動は穏やかになってきたし、活動にも安定して取り組めるようになっているが、以前は薬に頼らなくても環境調整で済んでいた部分まで薬の力を借りているようで、もやもやする”
  • 「障がい者」表記は人々のイメージを変えうるのか、という研究 - 泣きやむまで 泣くといい

    さて、千葉市長の発言が話題になっているようだ。 千葉市長が「障害者」にこだわる理由 「障がい」「障碍」論争に一石 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150525-00000002-withnews-soci もう、このテーマは障害者支援業界では何度となく繰り返し議論されてきたことであり、表記の問題と真摯に向き合おうとする関係者はみんな自分なりの考えをもっている。表記に何らかの社会的メッセージを込めようとするもの。特定の表記を嫌がる当事者の心情に配慮しようとするもの。世の中のイメージを変えたいと思うもの。 それらの考えを今さらひとつずつ列挙したいとも思わない。自分は「障害者」表記派であるが、他の表記を用いる人がいても「この表記において大事にしたいものが違うのだな」と思うだけである。表記によって、相手の「障害観」の全体が理解できるなんてこともない。同じ表記

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    yono 2015/05/26
  • 追いつかない多様化 - 泣きやむまで 泣くといい

    就学前の療育をはじめて最初の就学先の選択にいくらか関わるようになり、もう5年ほどが経つ。中学をどうするか、という悩みにも付き合っていくことになるのは必然だ。そして、中学の選択は、もっと先から逆算されたりするから、高校選択とも深く結びつく。 しかし、保護者のもとには情報が集まらない。小学校への就学時以上に集まらない。「保幼小」の連携はあるが、「小中」の連携はどうやらあまりない。「普通学級」と「支援学級」のあいだで、通級指導も含めて、子どもの状態に応じた選択を続けていけるような雰囲気がない。そして囁かれる「支援学級に行ったら、もう普通学級には行けない」「支援学級に行ったら、もう普通高校には行けない」という制度的には何の根拠もない情報。法規のレベルでいくら確認したところで、運用のレベルで前例に引きずられたり、教員が気で進路指導にあたる気がなければ、保護者はただ分厚い壁の前に立ち尽くして、無力を

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    yono 2015/05/21
  • 「この子は障害児じゃない」が否定するもの - 泣きやむまで 泣くといい

    なんで「この子は障害児じゃない」とか軽々しく保護者に言う「事業所」があるのだろう。さらに親の育て方を責めはじめるとか、自分の理解を超えている。 「障害」を診断のように「客観的」な基準に基づこうとするものとしてとらえずに、個人の主観が入り込むことをひとまず認めるとしよう。その支援者からみて「障害児」でない子どもがいたとして、それを「障害児じゃない」ということにいったいどんな意味があるのか。 事業所に来るのは、親が悩んでいるからであり、子どもが困っているからだ。「障害じゃない」なら当事者の感じている困難さは幻なのか。親は「うちの子が障害児だから支援してほしい」と願っているわけではなく、ただ「困っているから支援してほしい」のである。 にもかかわらず、ただ「困っている」と訴えるだけでは十分な支えが得られずに、あれやこれやと責任を問われる。そこで、支援を得るための根拠として「障害」というラベルを徐々

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    yono 2015/04/09
    “それを言ったのが、この業界にはけっこうたくさんいる「保護者から支援者になった人」…「私は自分の子どもをちゃんと育てた」という自信は、本当に支援者としての成長を阻むと感じる”自画自賛できるのが理解不能
  • 江戸川区の「おやつ」の話を覚えていますか? - 泣きやむまで 泣くといい

    もう2年ほど前のことになるが、少し多くの人に読まれた記事を書いた。江戸川区の学童保育における「おやつ」の話である。 「おやつ廃止」はもうちょっと複雑な話 http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130227/1361989441 江戸川区の異様な「便宜供与」について http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130306/1362568023 新たな動きがあったのだが、まずは振り返ってみよう。 学童保育所では「おやつ」を出すのが一般的だった。ところが、江戸川区では保護者の就労を伴わなくとも使える「放課後子ども教室」と学童保育所の一体的な運営がはじまり、それを機に「補(おやつ)」を廃止してしまった。学童は社会福祉事業であるのに対し、放課後子ども教室は一般に教育行政が受け持つのだが、自治体によってはどちらも同じ課が管轄していることがある。 学童保育に

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    yono 2015/04/06
  • 「できない」に対する「できる」ではなく - 泣きやむまで 泣くといい

    教育が「教える」のは「できる」ようになることを目指すからだ。何ができるか、の水準はいろいろあるけれど。 ・福祉が「できる」ようになることを目指すことがある。「福祉」にそれを求める親もたくさんいる。 ・支援には目標が大事だと言われる。そして、それを達成したかどうかが問われる。「療育」の「計画」に目標が書き込まれて、「できる」ことを支援者が目指す。 ・支援者の目標は、子ども自身の目標とは違う。とはいえ、子どもの「できる」といつでも切り離して考えられるわけでもない。「余暇を楽しむ」ことでさえ、能力と切り離すのは難しい。 ・「楽しむ」というのは「楽しめるようになる」ということでもある。楽しいから楽しい、ことばかりでなく、楽しいとわかるようになったから楽しい、ということがある。それはひとつの学びだ。 ・「できる」ことが子どもの自信や喜びにつながることがある。「できる」ことが子どもの快適さにつながる

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    yono 2015/04/04
    “子どもが小さければ小さいほど、「願い」はわかりにくくなる。おそらく「願い」が個別化されていくのは、子どもが社会とのかかわりを深めていく中において”“「間違ったでき方」や「間違ったわかり方」を避ける”
  • 「ひとりっ子」と「発達障害」は似ている? - 泣きやむまで 泣くといい

    ひとりっ子の頭ん中 (中経の文庫) 作者: 朝井麻由美,小山健出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版発売日: 2014/10/27メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る 「血液型」みたいなものは読んだことがないのだけれど、たぶん特定の血液型の特徴がずらずらと書かれて「あるある」「これって私」という感想を抱きながら読み進められるものなのではないかと想像する。その点で言えば、同じようなである。軽いノリのだ。 自分はひとりっ子である。そして、子どもの支援をしている。 その立場からすると、きょうだい構成というのは、血液型診断のたぐいよりは、ずっと真剣に受け止められるべきではないかと思う。 環境がその個人の得意なこと、苦手なことと結びついているかもしれない、と理解できたら、周囲の見る目も変わりうる。また、当の人が周囲と自分との違いを感じているのであれば、その理由を与え

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    yono 2015/03/21
    ひとりっ子は発達障碍児とこんなところが似ているとかのお話かと思ったら、兄弟姉妹(あと長女とか)いずれでも置き換え可能な文だった(ように読めた)。きょうだい構成における性格等の傾向は確かに興味あります
  • 行方不明をもう繰り返さないために - 泣きやむまで 泣くといい

    豊中で行方不明になっていた子ども、気になってその後の経過もずっと追っていたが、残念な結果となった。関係者は当に無念だろうと思う。心からご冥福を祈りたい。 事業所を責めるのは簡単であるが、知的障害児者と関わりのある多くの事業所は「ありえないこと」と済ませられていないだろう。ひとつ誤れば、どこでもありうることだ。もちろん今回のような結果にまで至るのは稀であっても、福祉業界で「ヒヤリ・ハット」と言われるような「あわや行方不明」のケースは多くの支援者が体験しているのではないか。 福祉施設に限らず、子どもが家を抜け出して大変なことになった、という経験をもつ保護者も多い。特に重い知的障害を伴う自閉症児が家からいなくなって警察に通報されることは、週に2度や3度は全国のどこかで起こっているのではないか。この10年ほどの間に、わが地元だけでも4〜5件はあった気がする。 子どもが事業所から出ていかないように

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    yono 2015/03/17
  • 「良い人」よりも「わかりやすい人」 - 泣きやむまで 泣くといい

    知的障害や自閉症の子どもの支援をしていると、わかりやすく振る舞っている自分がいる。子育て広場などで出会う乳幼児に対しても、そうだ。 日常的にはとても抑揚のない人間なので、支援しているときの自分は「演じている」に近い。それも相手によって、役は使い分ける。 少し「無理をしている」のかもしれない。自然体で支援者としての構えのようなものができている人はいる。誰と接するときも同じ態度で問題なくやれる人をうらやましいとは思う。 子どもに「人は、信頼できるぐらいには理解可能である」と知ってもらわないといけない。便利な機械や世の中の基的な仕組みと同じくらいに、人もまた頼って大丈夫なのだと。 硬貨を入れてボタンを押せば飲み物が買え、鉄道やバスで移動ができたりすること。それに対して、人がいつも変わらずにいてくれること。後者のほうがずっと難しい。人間は社会よりもずっと信頼するのが難しいのかもしれない。しかし、

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    yono 2015/03/15
    “自分たちは、子どもたちの身近で人間の理解可能性を示していく必要がある。この人は「わかる」と。この人の行動に予測がつくし、この人から求められていることもわかるし、この人は自分の思いを理解してくれると”
  • 子どもがいなくなった後の親の支援 - 泣きやむまで 泣くといい

    年末に亡くなった子の保護者に偶然会う。 相手がこちらに気づくまでの様子がどうにも元気がなく見えてしまった。気づいてからは、いつもの元気なお母さんだったけれど。相手は信号待ちの車の中だったので、やりとりができたのは一瞬だけ。新事業所に併設されたカフェを宣伝して招くのが、せめてものできたこと。 子どもを通じて出会えた人は、子どもがいなくなると、どんなふうにまた出会えばいいかわからなくなる。 うちはあまり「障害福祉サービス事業所」らしくない事業所なので、唐突に理由もなく連絡とったりしてもたぶんさほど違和感ないのだろうけれど、どんなふうに話ができるだろうか、という不安もある。何しろ自分のベースがコミュ障なので、子どもの話を抜きにすると、自然に話せる自信がない。子どものことをまた想うことが大事なときもあるだろうが、そうでないときもあるだろう。そんなタイミングもよくわからない。 でも、このままなんとな

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    yono 2015/03/05
  • 行方不明 - 泣きやむまで 泣くといい

    Yahooのトップに載ったのは時事通信の記事。 6歳男児が施設から不明=大阪府警、200人で捜索 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150301-00000071-jij-soci 2月28日夕方以降、同市若竹町の児童施設から行方不明になっている・・・帰り支度をする28日午後4時半ごろ、施設職員が室内にいるのを確認しているが、10分後には姿がなかった。室内にジャンパーや下、、バッグが残され、裏口のドアが開いていたことから、はだしのまま外に出たとみられる。 「児童施設」となっているが、他紙では、 大阪・豊中の6歳男児が行方不明、府警が捜索 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150301-00000543-san-soci 軽度の知的障害があり、昨年12月から同市内にある障害児の支援施設に月数回通っていた。 という

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    yono 2015/03/04
    “比較的安くてシンプルな既製品の建具しか設置できない場合、どんなふうに工夫すれば安全性を高められるか。子どもの支援方法について調べるよりも、ずっと難しい”