<日経産業新聞2004年6月1日に掲載されたコラムです。> インターネットバブル崩壊を経て、ついに情報技術(IT)による生産性の向上が数字になってあらわれ始めた。 一九八〇年代から米国はばく大なIT投資を続けてきたが、その結果はなかなか数字にあらわれず、ノーベル賞を受賞した経済学者のロバート・ソローは「コンピューターエイジはありとあらゆるところで明らかだが、生産性統計にだけは見えない」とまで言った。 しかしやっとその成果が表れてきたのだ。実に、一九七一年にインテルが最初のマイクロプロセッサーを発表してから三十年以上かかったことになる。 九〇年代後半の生産性向上はニューエコノミーと呼ばれ話題を呼んだが、バブル崩壊とともに、ただの幻想だったと片付けたられたかに見えた。 しかし、九五年から二〇〇〇年のブーム時には年間二・五%に過ぎなかった労働生産性向上率が、二〇〇〇年以降は三・四%に上昇。バブル
既に死語かもしれませんが、リアルタイムエンタープライズてな言葉が一時はやっておりました。Gartnerなどが盛んに言ってたような記憶がうっすらと。「企業のバックエンドのシステムがシームレスに繋がって、遅延なく処理がリアルタイムで起こっていく」的な。 最近、このリアルタイム化により、アメリカの企業のサービスは目をみはるほど向上したあるです。ただし、インターネット(と電話)を酷使できれば、という但し書きがつきますが。 例1) Fedexのピックアップをオンラインで予約。11時40分ごろだったので、「12時にはOK」と設定 →3-4分後にFedexのトラック登場。「やば、もうきちゃったよ」、とあせる私に、女性ドライバーが 「ちょうどこの先の角のところにいたの。まだ早いけど来ちゃった。出せる?」 残念ながら まだパッキングが終了していなかったので去っていただく。 例2) Fedexのピックアップを
前の記事 「技術断食の日」とiPad iPadを買わずにブラウザーで体験 次の記事 ピコプロジェクター内蔵『MacBook』:Apple社が特許申請 2010年4月 6日 IT コメント: トラックバック (0) フィードIT Charlie Sorrel 米Apple社が何かの特許を申請したというだけで、新しい機器がすぐ出てくると噂するサイトはたくさんあるが、実際には、大企業はどんなアイディアでも特許を取ろうとする。それはちょうど、いつかは使おうと思っている道具でいっぱいの引き出しのようなものだ。 冒頭に掲示した図も、製品化にはほど遠いし、特許を取れるようなアイデアでもないように思われるが、一見の価値はある。ピコプロジェクターを内蔵した『MacBook』だ。 携帯電話やカメラ、さらにはマッチ箱サイズのスタンドアロン・パッケージに組み込まれているような超小型プロジェクターをMacBookが
どうしても昨日までに仕上げなければならない仕事があったので、一昨日は徹夜で開発をした。一人で飲んだり、人と飲んだり、布団の中で考え事をしたり、徹夜をすること自体は悪いことではない。しかし、徹夜で仕事をするのは可能な限り避けた方が良い。 ベンチャーを始めてからの最初の2年は、年末年始を含めて365日1日も休まず仕事をした。徹夜なんて当たり前である。そんな私だったが、会社が3年目に入る頃に休息の重要性を痛感し、以来、できるだけ徹夜はしないようにしている。それは、徹夜がもたらす作業時間よりも、悪影響の方がずっと大きいということに気づいたからだ。 私の経験では、徹夜が常習化するにつれ、個人/組織には次のような症状が出てくることがある。特に、影響力のある人がこのような状態になると、組織全体が影響されて深刻な症状にかかりやすい。
東ヨーロッパと西アジアの交差点に位置し[3]、東にカスピ海、北にロシア、北西にジョージア、西にアルメニア、南にイランに囲まれている。ナヒチェヴァンの飛び地は、北と東にアルメニア、南と西にイランに囲まれ、北西にはトルコとの国境が10km(6.2マイル)ある。 1918年にアゼルバイジャン民主共和国が、独立を宣言し、初の世俗的な民主的イスラム教徒多数国家となった。1920年、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦に編入された[4][5]。現代のアゼルバイジャン共和国はソ連が解散する直前の1991年8月30日に独立を宣言した。1991年9月、紛争地域であるナゴルノ・カラバフ地域のアルメニア人大多数が脱退し、アルツァフ共和国が誕生した。1994年の第一次ナゴルノ・カラバフ戦争の終結によりナゴルノ・カラバフは事実上独立した[6][7][8][9]。2020年のナゴルノ・カラバフ戦
週末、鴨川べりを息子といっしょに歩きました。そのときの写真です。id:jkondoが撮ってくれました。 急な土手を全く恐れずに駆け下りようとする1才8ヶ月の息子。ぜったいに私が手を離さないと信じきっているから、おぼつかない足どりながらも勢いよく前へ前へと進んでいきます。 今は何かあればすぐに母親の私にしがみついて離れません。それがときに重荷になったり、足かせに感じてしまう私ですが、実はこの一瞬はとても短く、かけがえのない時間なのではないか。この写真を見て、ふとそう思いました。 いつかは私のもとを離れ、手さえつないでくれなくなるはず。そうなったときに取り戻そうと思っても、絶対に不可能な、今のこの日々。そう思うと、私の手をつかんで離さない、湿った小さな手とまっすぐな瞳が、しみじみといとおしく感じます。 今、先週からの酷い風邪が全然なおらず、とてもしんどい思いをしている日々なのですが、夫が撮った
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