【正論】京都大学経済研究所所長・西村和雄 「ゆとり教育」見直しは人事一新から 西村氏は、 行き過ぎたジェンダー教育も、歴史教科書問題も、また音楽の教科書から童謡、唱歌を少なくして現代的なポップスを入れたりしたことで、日本の文化や情緒が子供たちに伝わらなくなったことも、指導要領、すなわち「ゆとり教育」の問題である。さらに、国語や英語の教科書で使われる文章の選び方で、子供が道徳的にも非道徳的にもなることは、中国の反日教育の効果をみればわかるであろう。 と述べているが、「ゆとり教育」に対するこのような見方や考え方は、偏見に基づくものであり、全くの間違いである。この程度の認識でさも教育についてよく知っている「有識者」の顔をして語るのは見ていて腹立たしい。 また、西村氏は、 再生会議の提言で見落とされた重要な点が1つある。それは平成14年4月から導入された絶対評価の弊害である。この絶対評価とは、テス
柳沢厚労相の「女性は子どもを産む機械」発言。さすがに「よくぞ!言ってくれた!」などという愚言を述べたブログはないが、野党が批判のトーンを強めた辺りから擁護的な発言が増えている。「確かに問題発言だが、辞める程のことではない」と言った意見が多いののが、明らかに言語道断で当然大臣を続ける環境にないと判断するのが妥当であり、擁護論は甘すぎる。有権者の甘い態度は政治をダメにするだけで、何の利もない行為であり、擁護論を張る一般ブロガーたちを徹底糾弾したい。 擁護論を張る人のは、潜在的に自民党支持で野党に批判的だからというケースもあるが、全体的に「本音を言う政治家が好き」という特徴がある。自身もブログやSNSで普段なかなか言えないような(敵を作ったり、批判される)内容を書いており、誰にも邪魔されずに本音を吐くことで快感を得る習性がある。だから本音をストレートに吐出する政治家にシンパシーを抱くのである。
「丸山真男をひっぱたきたい」なんて言う文章がちょっと前に話題になって今回よく読ませてもらうブログで 内田樹先生までもが取り上げているのを見る。ふーん、「フェアネス」なあ、、 戦争ってそんなに「等しく」「不幸」だったかね。そりゃーアメリカの爆弾は等しく万民に落ちてきたものの それでも皇居のど真ん中に落とされる事はなかったんで、はて、人の命は平等か、って疑問がわく。 私は元の文を読む気もないし、だから本当は何も言えないんだが、それでも無駄に持ち上げ過ぎてないか、 って言う気がする。このての考え方まで取り上げるのは「平等」なのか? 私は突然「右翼」に変身して「間違った平等信仰」なんて言いたくなった。 人の命は平等であるを大切にしたいと思っているから「戦争」なんて「言葉遊び」をする人間を激しく嫌悪している。 人が「等しく」死ぬ事態を招き寄せてそれが「平等」だとまで言うか、戦争では間違いなく人が死ぬ
トカゲの尻尾切りのようになってきたのかそうではないのか柳沢発言。まぁ政治家の進退については好きにすればいいと思うので、せっかくだからこの話題についてもう少し考えてみることにする。そこで今回は、ただ政論としての前回・前々回とは少し趣を変えたい。肉体感覚についてである。私が多く見たのは、「女が子を産む機械だというなら、男は種を撒く機械だろう」というものであった。たぶん、これは「非礼には非礼をもって報いる」ということなのだろう。表現の品や礼の問題から言えば、これは確かに正対称なのだが、どうもそういうことではないようにも思う。ことに女の人で、腹立ちまぎれにそう言い返したところ、思ったより効き目がないことにお気づきになった方もいると思う。そこから考えてみたい。 有り体に言えば、セックスの話である。男が種を撒くといってもそれはセックスのときだけのことで、気持ちが良ございましたの刹那であって、そこまでで
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