<概要> 1957年9月にソ連の南ウラルの核兵器工場で化学爆発があったことを、1989年6月16日にソ連当局(当時)は公式に認め、その原因と影響を詳細にまとめた報告書を同年7月国際原子力機関(IAEA)に提出した。これによると、幅9キロ、長さ105キロにわたる範囲が放射能に汚染され、当時1万人以上が避難せざるを得なくなったという。この事故については西側諸国でも以前から指摘され続けていたが、32年ぶりにようやく事実が公になったことになる。 <更新年月> 1998年05月 (本データは原則として更新対象外とします。) <本文> [爆発事故の経緯] 1989年にソ連(当時)が国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書によると、事故はチェリャビンスク北方のカスリ市近郊にあった軍事用原子力施設で発生した。冷却システムの故障により、高レベル放射性廃棄物を貯蔵していたタンクが化学爆発を起こした。この