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2015年6月25日のブックマーク (6件)

  • 青木 泰樹 – ASREAD

    1956年 神奈川県生まれ 1980年 早稲田大学政治経済学経済学科卒業 1986年 同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学 1987年 帝京大学専任講師 1996年 同大学助教授 2007年 帝京大学短期大学教授 現在  東海大学非常勤講師 京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授 会社役員 専門  経済変動論、シュンペーター研究、現代日経済論 主著 『経済学とはなんだろうか-現実との対話-』(八千代出版、2012年) 『シュンペーター理論の展開構造』(御茶の水書房、1987年) 『経済学者はなぜ嘘をつくのか』(アスペクト社 2016年)他

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    yuyaiwsk 2015/06/25
  • 1次審査結果発表 :: 南三陸町 復興の橋 デザインコンペ

    2015年9月1日 2次審査結果発表ページを公開しました。 審査講評を公開しました。 2015年6月25日 1次審査結果発表ページを公開しました。 公開2次審査観覧希望者募集を開始しました。 2015年6月9日 登録の受け付けを終了しました。 2015年3月5日 登録の受け付けを開始しました。 2015年3月2日 ホームページをオープンしました。 応募登録の受け付けを開始しました。 RSS

    1次審査結果発表 :: 南三陸町 復興の橋 デザインコンペ
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    yuyaiwsk 2015/06/25
  • 第4回第1部 初代大国主の国づくり ~ 土木と灌漑用水【CGS表博耀】

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    yuyaiwsk 2015/06/25
  • 原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非

    原発をめぐる議論で「倫理」がなぜ問われるかといえば、それは使用済み核燃料の処理技術が確立されていないからである。「トイレのないマンション」とも揶揄されるように、現在の原発は、使用済み燃料の処理を、長期間保管しその危険性が自然に減衰するのを待つか、あるいは後世の技術開発の可能性に委ねることで成立している。いずれにせよ、いまここで処理できないものを、いつかだれかがなんとかしてくれるという「他人任せ」の態度のうえで成立しているのは疑問の余地がない。 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるか 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるかどうか。原発の倫理的問題は結局はそこに集約される。日では福島第一原発事故を機にはじめて関心を向けたひとが多いが(筆者自身もそのひとりだが)、この問題は質的に事故の可能性とは関係ない。

    原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非
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    yuyaiwsk 2015/06/25
  • コナンドイル「小遣い稼ぎにキモオタ向けのラノベでも書くか」 : ゴールデンタイムズ

    1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします :2015/06/24(水) 23:02:33.474 ID:szUJlnV70.net コナンドイル「苦労して書いた歴史小説がちっとも売れへん・・・」 ドイル「なんでや・・・壮大な世界観に重厚な人間描写、時代考証も完璧やのに・・・英国文学史に残る傑作やんけ・・・」 ドイル「あかん・・・金がない・・・どないしよ」 ドイル「しゃーない、とりあえず、もっと大衆的で金になるもん書くか・・・」 ドイル「売れる小説ゆーたら、そらキモオタ向けのラノベやろな。ほんまはそんなもん書くのはワイのプライドが許さんのやが・・・」 ドイル「クールイケメン天才の完璧超人を主人公にして俺TUEEEEやらしてっと・・・」 ドイル「主人公の引き立て役に間抜けな刑事と、お人よしの友人キャラを配置してマンセーマンセーっと・・・」 ドイル「・・・さすがにやりすぎやろか・・・書い

    コナンドイル「小遣い稼ぎにキモオタ向けのラノベでも書くか」 : ゴールデンタイムズ
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    yuyaiwsk 2015/06/25
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    東日大震災。 東日全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日中の人に御礼を述べさせていただきます。 来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親とと一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅でと一緒で

    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
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    yuyaiwsk 2015/06/25