朝から家族そろって笑い合い、ネットでは"小ネタ探し"や"推しキャラ"の話題で持ちきりになり、カラオケでは『潮騒のメモリー』が歌われ、携帯電話の着メロはオープニングソングにされ、さまざまな場で「じぇじぇじぇ」が飛び交い……そして、『あまちゃん』は、「日本の朝が明るくなった」と言われるほどの国民的ドラマになった。 思えば放送前は、脚本家・宮藤官九郎のファンが盛り上がっていただけに過ぎなかったが、月日を追うごとに視聴者層を拡大。「かつてこんなに愛したドラマはなかった……」というほど、各個人の熱は上がっていった。 では、なぜこれほど多くの人が『あまちゃん』を愛してしまったのか? その熱狂度を踏まえると、「理由は1つではなく、たくさんあったから」だと思われる。以下に、"『あまちゃん』を大好きな10の理由"を挙げていく。あなたはいくつ当てはまるだろうか。 【理由1 成長より明るさ一本で勝負! 能年玲奈
東日本大震災のシーンが視聴者の関心を引きつけた-。28日に放送が終了したNHK連続テレビ小説「あまちゃん」(全156回)。短文投稿サイト「ツイッター」でつぶやかれた件数を分析した結果、震災発生当日を描いた第133回を放送した今月2日の反応が突出して多かった。 この回は、能年玲奈が演じたヒロイン、アキの友人の足立ユイが東京に向かう途中、北三陸鉄道の列車内で被災した場面を描いた。 震災の発生を予感させる第132回を放送した8月31日につぶやき件数は急上昇。第133回のつぶやき件数は、放送が始まった4月1日の約5・7倍に達した。 つぶやき件数は放送開始後、人気の高まりとともに緩やかな上昇曲線を描いて増加。4月に比べると6月は約2倍、8月は約4倍だった。薬師丸ひろ子が演じた女優が劇中歌「潮騒のメモリー」を歌った第153回の今月25日にも多くのファンがつぶやいた。調査はネット情報分析会社「ホットリン
日本中に旋風を巻き起こした連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合)もいよいよ大詰め。そこで、ORICON STYLEでは“あまちゃん総決算”と題し、同作がなぜ多くの人たちに愛されるドラマとなり得たのか、改めてヒットの理由を探った! 『あまちゃん』が国民的ドラマと成り得たワケ 連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合)も、ついに28日(土)に最終回を迎える。“日本の朝を明るくした!!”とまで言われた同作の終了で、多くのファンから嘆き悲しむ声が寄せられている。最終回を前に、さまざまな要素が詰め込まれた同作を紐解きつつ、いかにして“国民的ドラマ”へと成長したのかを改めて検証してみよう。 主演の能年玲奈を筆頭に、強烈な個性を持ち合わせた俳優たちが多数出演、そこに1980年代アイドルなどの小ネタやサブカルネタを満載しつつ、わからない人も気にせず観られる配慮が施された宮藤官九郎の緻密な脚本。そして、
クマに出会ったら、落ち着いて行動を 札幌市内でなお出没の可能性 (09/28 13:21) クマの目撃情報が相次いだ札幌市南区で27日午前、住宅地近くで子グマ1頭が駆除された。しかし、餌となるドングリの凶作で、今後も市街地へのクマの出没が考えられる。遭遇した場合、誤った行動は命取りになりかねない。身を守るには落ち着いて行動することが重要だ。 クマなどの野生生物対策を担当する札幌市みどりの活用担当課の長谷川正彦課長(55)によると、クマに気付かれた場合、クマの方を向いたままゆっくり後ずさりすることが肝心という。背中を見せて走ると、狩猟本能から反射的に追いかけてくるためだ。クマが立ち上がっても、威嚇ではなく周囲を観察するための行動なので、石を投げるなど刺激してはいけない。 クマは春に生まれ、翌年の夏に親離れするのが一般的。今回駆除されたのは、親離れしたばかりの子グマとみられている。まだ人間への
NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』は、こちら北米でも「テレビジャパン」という衛星放送を通じて大変に好評です。こうした「ネタ」的なものを積み重ねてキャラを造形し、エピソードの反復やトリビアを埋め込んで笑いの小世界を作っていくというのは、アメリカのコメディ群像劇、いわゆる「シットコム(シチュエーション・コメディ)」にもよく見られます。 ですが、当地のシットコムが「視聴率が取れるとダラダラと何シーズンも続く」のと比べると、『あまちゃん』の場合は最初から2クール156回というフォーマットが決まっていたわけです。その中に空間軸と時間軸を埋め込み、特に今週の大団円では予告編で作り上げた視聴者の期待感のハードルを、毎日毎日上へ上へと越えていく作りこみがされている点では、他に類例のない完成度に達していると言って構わないように思います。 この『あまちゃん』には、いわゆる小ネタだけでなく、膨大なサブ・エ
仕事の故郷は岩手県 私はアサツーディ・ケイに勤務して32年、岩手、東北の支社長を経て04年に東京本社に異動しました。田舎の広告会社勤務時代とは違い、ある意味「半沢直樹」状態の本社人間関係や都会での暮らしに馴染みづらく、退職への道を選択する原因になりました。 現職中は、営業というよりイベント企画が多く、特に岩手県の大型イベントのプロデューサーを務めてきました。「三陸海の博覧会」、宮澤賢治生誕100年事業、第23回全国菓子大博覧会、そして山形県米沢市で行われた「上杉鷹山生誕250年事業」の総合プロデューサーなど、数多くのイベントを手掛けてきました。 ある意味、岩手が私の故郷であり、県庁などにも多くの友人がおり「田舎へ帰ろう」と決心。07年の退職後、すぐに県庁外郭団体のコーディネーターとして転職、その後県の中核コーディネーターとして現在に至っています。三陸沿岸には陸前高田市から種市に至るまで多く
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