犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 実体法である刑法の犯罪構成要件は、人間の外形的な行動と、故意・過失という内面とを分離して捉える。これがデカルトに始まる心身二元論のパラダイムであり、主観客観二元論である。ここでは、人間の故意・過失という内面については、別の人間が直接に認識することはできない。そこで、例によって捜査官による自白の強要という政治的な問題に流れてしまう。 言語哲学から見てみれば、故意・過失という内面も、言語共同体で共有される規範にすぎない。故意とは言葉である。主観も客観も言葉である。故意・過失という言葉は、人間の行為に理由を与えるものとして要請される解釈上の契機である。実際に行為者の心の中でそのような状態が生じているか否かとは関係がない。そもそも、行為者の心の中の状態そのものが言語的にしか捉え