貴方には心から愛する可愛い彼女が居ました。ある日彼女は家が火事になり顔にやけどをして不細工になり、脳に障害を抱え奇声を発するようになりました。さてあなたは別れますか? 前スレ http://life8.2ch.net/test/read.cgi/lifesaloon/1176203962/
7月5日札幌でのデモ4名逮捕の状況の、現場にいたmadashan氏による報告です。 本日(7月5日)の札幌におけるサウンド・デモにて、トラックの荷台にいたDJ二名と運転手の人がパクられました。僕自身はちょうどトラックの真後ろくらいにいたのですが、突然−−とはいえ、何度かトラックにちょっかいを出そうとはしていた−−機動隊どもが割って入り、トラックを防護盾で完全に包囲、参加者から遮断しました。はじめ何かが起こりそうなのかとも思いましたが、そのときにはすでに運転席から運転手の男性を引きずり出そうとしていたようです。荷台のDJが騒ぎ、カメラを向け、それに気づいた参加者や囲んでいたジャーナリストたちが一斉に運転席へ近寄ろうとしましたが、オマワリどもの壁は崩れず、それどころかDJ二名まで拉致されました。 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。
2008年07月07日 「共感」とは何か 普段から俺は、書き手の価値観とは異なる意見を述べても、ネガティブコメントだとは思わないし、否定的意見や批判的意見に関しても同様だ。逆の立場(俺が書き手)だとしても、色んな意見があるんだなぁくらいに思うことが多いはずだ。たぶん。 まぁ、それは置いておくとして、だからといって「共感」がまったく無意味だとか不必要だなどとは考えていない。寧ろ「味方」を増やすためには有効な手段なんだろうと考えているし、「否定」は「敵」を生みやすいというふうにも考えている。そこまで打算的な損得として掘り下げなくとも、普段の交友関係などにおける「共感」はコミュニケーションを円滑にする上でも欠かせないものだろう。 んな訳で、今回は否定的意見や批判的意見や異論・反論の話ではなく、「共感」について考えてみる。まぁ、異論・反論などの二項対立として「共感」を持ってくるところが、水掛け論に
タイトルに追記しました 7/8 1:10 そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊びの続き。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080705/1215257884に対する反論という意味合いとか*1、『世界に一つだけの花』という愚劣なタイトルの歌について - 消毒しましょ!に乗っかって「世界に一つだけの花」をdisってみたくなったとか、個性は獲得目標ですらない - ohnosakiko’s blogの立論に敬意をあらわしたうえで僕なりに補ってみようかとか、そういうエントリですにゃ。 さて、個性賛美というものはろくなものではにゃーと僕は思うんだけど、それはなぜ出てきたんだろうか? 単なる馬鹿平等主義の生温いサヨイデオロギーと言いきれるものなんだろうか? ここでは花伝書(風姿花伝)とエリクソンのライフサイクル説を参照しつつ、個性賛美というものの背景を考え
平谷さん(id:thir)が非承認型社会「日本」へようこそという興味深いエントリーを書いた。そのエントリーで彼は、存在承認の行われる場所として、「家庭」「所属会社」「所蔵区学校」「友人間のコミュニティ」それと「恋愛」を挙げている。しかし、上記のもの以外の承認を与えるものとして、いちばん肝心なものが抜けている。「お金」。そう、「お金」である。一番強力な承認は「お金」である。資本主義である限りは、「お金」得ることこそが一番の承認である。平谷さんは金銭を得ることと承認を得ることを別物と捕らえているが、金銭を得るこも承認の一方法である。あと彼は以下のように記述しているが年収1000万円の「パンの中にピクルスを挟む仕事」があったとして、誰がその雇用で満足するのだろう。いや、楽して1000万円もらえるのなら、やりたいと言う奴はいくらでもいるでしょう*1。現実にそんな割のいい仕事はないけれども、刺身にタ
学生だったころ、しりあいから きいた はなし。 そのひとは 哲学科の 学生で、高校の倫理の教員免許をとるために、教育実習に いったのでした。たしか、カントかなにかを つかって、「自由とは なにか?」というようなテーマで、授業をやったんだそうです。 かのじょが いうには、実習さきの教師に「自由」についての授業をやりたいという計画を はなしたら、あらかじめ くぎをさされた、と。そのせいで、どうやって授業をくみたてたら よいものか、こまっちゃったよ、ということでした。 その実習さきの教師の いいぶんとは こうです。「とくに高校生たちのなかには、自由の いみを はきちがえるものが おおい。他人に めいわくを かけるのも自由だ、という あやまったかんがえを もっているものも すくなくない。だから、授業は きほんてきに あなたの やりたいように やっていいけれども、『自由には責任がともなうこと』また『
http://twitter.com/tsuda/statuses/850434927 http://d.hatena.ne.jp/magoshin/20080704#p1 ハゲ言われたおっさんです。 童話の「はだかの王様」って、せいぜい数百人の国民の前で、子供一人から「王様は裸」って言われただけじゃない? こっちは10000人+2000人の前で、何十人から「おっさん」「ハゲ」呼ばわりされて、2000人から大笑いされたんだから、 これは王様より凄いんじゃね、と思う。 このリアルタイム性&匿名性を持った告発者の発言、実際に受けてみると、 率直に言ってかなり面白い。 別に強がりとか自虐とかでなくて。だって、考えてみてよ、可視化された率直な感想の、リアルタイムな集合体を、 芸能人や政治家みたいな有名人ではなく一般市民の立場で世界初で見ることが出来たんだよ。 パラダイムシフトが起きた瞬間を体験出来
ニコニコ大会議であった例の件について。例の件について存じない方は、とりあえず「2008-07-04」を読んでくださいな。 いじめの構造 いじめというのは、ある一人の人物を他の大多数の人間が「見下す」ことで、虐める側の人間が「虐める側」としての共通意識・仲間意識を持つものである。つまり、虐める側は虐められる一人の人間を「外部」として定義することで初めて集団性・内部性を保つことに成功するのである。 ここで出てくるのが、「生け贄にされた一人」の問題である。いじめの構造上、彼は彼が有している感情の如何に問わずその集団の外にはじき出されている。いじめについては他にも様々な問題があるが、ひとまず「集団の内部と外部」という構造が見て取れる点だけを、今回は問題としてみる*1。 さて、ここで件のエントリに戻る。 ニコニコ大会議の場合 衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。 あまりにも斬新すぎるコミュニケーショ
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