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ブックマーク / katsumushi.hatenadiary.com (3)

  • えん罪が起きるたったひとつのシンプルな理由 - 勝虫日記

    はやりのタイトルのつけ方にならってみた。かといって、そんなに簡単に世の中割り切れないが、割り切らないでずるずるいるとNEETになるのだろう。僕は、決してそんなことはない。僕はNEETではない。NE*1だ。ずばずばと決断してこれまで生きてきた。その積み重ねが博士という神々しい称号をもらうのに値するのだ、きっと。 さておき、昨日NHKでえん罪についてのドキュメンタリーをたまたま観ることになった。今、忙しすぎる毎日なので、ルーチンワークをばりばりこなしながら、ついで程度に観た。シンプルな理由を先に言おう。日人は人を信じ、証拠を信じないからである。そんなに人が言った言葉を信じるなら、なぜ僕の言うことを信じないのか。おまけにえん罪が起きるのは、取り調べによる無理な自白があるから、公開すれば問題解決できると思っている。 問題があるのは、証拠の取り方、証拠をどう解釈するか、その科学的思考の欠如である。

    えん罪が起きるたったひとつのシンプルな理由 - 勝虫日記
    z0rac
    z0rac 2007/09/11
    被疑者の云うことを信じればえん罪は起きない。/「やった証拠」はあっても「やってない証拠」は余りなさそう。そして、「やったかもしれない状況証拠」が山ほど。
  • 抽象化するということ - 勝虫日記

    さきに告白すると、抽象化するというのは、どういうことか、はっきりとは分からない。というより、分かるというレベルをちょっと高く置いておきたい。抽象化されたモノ、ふつうは、概念とか観念とか言ったりするけれども、その実体が何なのか*1。 我々は、指でも自分の名前は書けるし、足でも自分の名前は書ける。これの意味するところは何か、生理学的、科学的興味がわく。何らかの神経プロセスとして物理的にどう実現されているかと。おそらく、何らかの幾何学的なモノとして実現されているだろうが、まだまだ分からないところだ。 少なくとも、この例から、記号というのは、一つの行動として現れるというのは、たしかだ。感覚によって捨象されて、ひとつのモノとして表現される「自分の名前」がプロセスとして存在しているまでを「抽象」だというよりは、行動として表すということを抽象だと考えたい。先の例で言うと、「名前を書く」ということ。表すと

    抽象化するということ - 勝虫日記
    z0rac
    z0rac 2007/03/12
    マッハ?うーん。この展開は何処に向かうのだろう。
  • 抽象は隠すことで、捨てることではない - 勝虫日記

    抽象化されたモノは、あるモノから抜き出して他のモノを捨てるというものではないと思う。たしかに、素のモノを再現できるかというとできないわけだが、それは、抽象されたモノからは出てこないだけで、抽象されたモノを手がかりに探すことはできるからだ。 たくさんデータをとって、そこから図表ををつくるというところまでやると、たしかに図表から素データは出てこないが、素データに到達することはできるわけで。単に隠されているだけだ。「一を聞いて、十を知る」というのは、そういうことをやっている。ただ、それができない抽象化されたモノはたくさんある。そういう場合、隠されたところには、どうしても到達できないから、隠されたことに気がつかなくて、ただあるモノしか見えない。だから、「分からない」ということが生じる。 一度同じことを考えたことがある人しか、分からないだろう、などと言うのは、抽象化された結果しか見せてないからで、素

    抽象は隠すことで、捨てることではない - 勝虫日記
    z0rac
    z0rac 2007/03/12
    字義では抽象=捨象。「隠す」と「捨てる」の違いが不明。
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