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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (27)

  • 「はてなダイアリー」が「アメブロ」に勝てない理由 - 琥珀色の戯言

    五輪選手、ブログで音 中傷受けて削除も(asahi.com) 日選手団の主将も務める柔道男子100キロ級の鈴木桂治選手は1回戦で敗退、敗者復活戦も初戦で敗れた。18日、ブログに「誰とも会いたくないし、なるべくなら帰国もしたくないくらいです」と書き込んだ。読者のコメント欄には「謝る必要なんてない」「最後まで、主将を全うしてください」と励ましのメッセージが連なる。 しかし、14日の敗戦直後は、「練習していないで遊んでいるからこういうことになるんだ!」「暴言ばっかだねココ」といった書き込みが相次ぎ、ブログの管理者は削除に追われた。 鈴木選手ら6人と1チームの五輪出場者も利用するサイバーエージェント(東京都渋谷区)の「アメーバブログ」は、ブログ開設者約357万人のうち芸能人やスポーツ選手が約2300人を占める。人気ブログも多いが中傷が殺到する「炎上」の危険もあるため、タレントやスポーツ選手のブ

    「はてなダイアリー」が「アメブロ」に勝てない理由 - 琥珀色の戯言
  • 『はてな』を窒息させる「理論派ブックマーカー」 - 琥珀色の戯言

    はてブの人たちが偉そうにしている理由 ↑のエントリへの反応を受けて。 肯定的なコメントが多いエントリの場合、自分はあえて批判的な意見を言おうと心がけてますね。 別にシニカルを気取るわけじゃなく、新しい視点を持つ事の訓練としてブクマを使ってる面もあるので。 当はそうする事で議論が広がっていくと嬉しいんだけど、コメントから話題が広がる事って少ないんだよなぁ。 ↑のエントリに対して、id:YOSIZOさんからこんなコメントをいただきました。 実際に↑のエントリに対するブックマークコメントにも、こういう感じの内容がけっこうあったんですよね。 (ですから、以下の内容は、この方だけを批難しているわけではありません。というか槍玉にあげてしまってすみません。個人的な怨恨はまったくないです。それこそ「新しい視点を持つことの訓練」として利用させていただいております) id:YOSIZOさんが考えておられるこ

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  • 本や映画の「感想」は役に立たない? - 琥珀色の戯言

    愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 慰安婦米軍命令の誤記事について ↑の記事のメディアリテラシーについての部分も興味深いのですが、僕が考えさせられたのは、最後のこの部分でした。 とか映画の感想でもそうですが、「こんな風に感じた」という感想よりも、「こんな映画があった」という部分での情報提供のほうが、ぼく自身は役に立つ場合が多いんですが、みんなはどうなんでしょうか。 この前者を「感想」、後者を「紹介」とするならば、単体としてどちらが役に立つかと言われれば、やっぱり「紹介」なのかな、と僕も思います。「感想」っていうのは、書いている人の「主観」でしかないわけですし。逆に「有名人の感想」であれば、それは立派な「看板」にもなりえるのですが。 十数年前。高校時代。恋人の死。「喪失感」から始まる魂の彷徨の物語。落ち葉の匂いのするファーストキスではじまり、死を予感させる無菌状態の中でのキスで終わる。

    本や映画の「感想」は役に立たない? - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 「ブログに期待しすぎてしまった人」の悲劇

    公募ガイド 2007年 04月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 公募ガイド社発売日: 2007/03/09メディア: 雑誌 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る いろんな懸賞や小説、シナリオ、キャッチコピー、イラストなど「現在公募されているもの」を1冊に集めた「公募ガイド」というがあるのですけど、その2007年4月号の読者投稿のページに、42歳の読者(性別は不明)のこんな投稿が掲載されていました。 1年と5ヶ月続けていたブログを閉鎖しました。理由は、執筆活動に専念したいから。日々の暮らしのさりげないエピソードを書くのは、とても楽しい作業でした。自分が書いた日記に、携帯電話で撮った写真を添付して、印刷、保存しています。いい思い出になります。 でも、一々、訪問してくださる方に、その方の日記を読んで、コメントを返すという作業が辛くなったのです。わたしの場合は、何かを書くと、1

    琥珀色の戯言 - 「ブログに期待しすぎてしまった人」の悲劇
    zonia
    zonia 2007/03/18
  • ものわかりが良すぎる「はてなユーザー」たち - 琥珀色の戯言

    「ここ一年二年、はてなに対して思ったこと」でテラヤマアニさんが書かれているエントリを読みながら、僕は自分が以前書いた「『インターネット人類補完計画』の果てに」というエントリを思い出していました。 思想をコード化してくれよと。 id:kowagariさんが叫びたいことは、たぶんこの一行なのだと僕は思います。 いまの「はてな」には技術やアイディアやお金があっても、「思想」というか「理想像」が失われてしまっているのではないか、というようなことを僕は考えています。 「えっ?『企業』なんだから、理想も糞もあるかよ。まずはいかにして金を儲けるかだろ?」 というようなことを(少なくとも表向きは)言わないのが、「はてな」の誇りだったんですよね。広告を入れることに関しても、最初のころは激しい議論があったくらいで。 いや、「はてな」そのものには、今でもアクセスランキングで賞金を出したり、有名人ブログを前面に出

    ものわかりが良すぎる「はてなユーザー」たち - 琥珀色の戯言
  • 不二家関連の「見出し」の悪意 - 琥珀色の戯言

    チョコ菓子にガ混入、不二家工場は「害はない」と説明 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070124i314.htm この見出しを読むと、「なんで酷い会社なんだ!」と感じますし、 大手菓子メーカー「不二家」(社・東京)は24日、2003年に平塚工場(神奈川県平塚市)で製造したチョコレート菓子にガが混入し、これを購入した主婦に工場幹部が「(べても)害はない」と説明していたことを明らかにした。 と書いてあるのを読むとあまりにいいかげんな対応だ、と呆れてしまうのですが、その後の少し詳しい経過説明 同社によると、03年11月、茨城県の主婦が、チョコレートやキャンデーが詰まった菓子「アンパンマンハウス」を購入した際、チョコレートの一つに、ガが付着しているのに気が付いた。主婦から連絡を受け、同社で調査したところ、同10月9日に平塚工場で製造された商品で

    不二家関連の「見出し」の悪意 - 琥珀色の戯言
  • 2007-01-17

    http://anond.hatelabo.jp/20070116171253 僕もだいぶWEB生活が長くなってきたので、「通りすがり」「名無しさん」などのHNで書かれたコメントは、極力読まないようにしています。読んでも不快になるだけなので。それでも、つい読んでしまうこともあるんですけどね。 「通りすがり」って書いている人っていうのは、おととい書いた「社会的には」って言っている人と同じで、「個人的な感想」を「そのサイトやブログを偶然訪れた人の多くが抱く感想」にすりかえて、サイト主やブロガーにダメージを与えようとしているのです。それがどこまで意識的なものかはわからないんだけど。 固有のHNを名乗って批判されれば、「こういう変わった人もいる」というふうに割り切れても「通りすがり」って書かれると「通りすがった人はみんなこんなふうに思うんだろうか?」とか、つい考えてしまうんですよね。基的に自意識

  • 「匿名で書き続けること」の難しさ - 琥珀色の戯言

    http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/865 ↑で書かれている「文学の定義」に関しては、僕には僕なりの考えがあるし、AkkyさんにはAkkyさんなりの考え方があることなので、とくに異論も反論もありません。いろんな意味で「文学に熱い人」だなあ、とは思いますし、そういう人がいてくれるというのは、むしろ心強いことでもありますので。 このなかで、 「文学」というものに当に権威を認めないというならば、「文学」を否定されることに何らの痛痒も感じないはずです。もし感じるとするならば、それはどこかで「文学」というものに対する権威付け(ないしは価値付け)が行なわれているからではないかという気がします。そして僕の見るところ、fujiponさんの音としては、匿名における「文学」の存在を否定されるのが嫌なのだと読みました。 と書かれているところに関しては、「当に『文学

    「匿名で書き続けること」の難しさ - 琥珀色の戯言
    zonia
    zonia 2007/01/12
    モチベーションとか。
  • 琥珀色の戯言 - 「テキストサイト」と「ブログ」の今後

    http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070106/text ↑を読んで思わずハッとさせられました。 もう「テキストサイト」とか「ブログ」には新しい人なんて入ってこないのよね。いやそれなりに入って来てはいるんだけど、コア(核)となる人がいつまでも変わらない。SFやマンガ、サブカルと同じようなものか。 世代交代してメディアが元気になる、ということではなくて、別のメディアで自己表現する、という感じでしょうか。 ミステリーも「新格」の新しい書き手は出て来てはいるんだけど、多分小説で何かを表現したい人は、文学系か恋愛小説に行ってしまってるんだろうな。 「このミス」の最新版などを見ていると、もう「王道」では通用しなくなってしまっていて(「王道」には、それぞれ人気作家がいますしね)、新しい人たちはみんな、いかに「ストライクゾーンギリギリいっぱいのところに投げるか」で

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  • 九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言

    テキストサイト『九十九式』の歴史 ↑を読みながら、かなり感傷的になってしまいました。ああ、活動終了なんだ、『九十九式』。僕にとっての『九十九式』というのは、まさに「ザ・テキストサイト」とでも言うべき存在で、その更新様式とか語り口とかネタとか他のサイトとのつながり方とか、その「テキストサイト的なもの」のすべてにおいて、ひとつのゴールデン・スタンダードだったような気がするのです。 でも、その一方で、『九十九式』のこの「区切り」のエントリを読んでいて、閉鎖の寂しさというよりは、むしろ爽やかな「やり遂げた感」みたいなものが伝わってくるのは、まだこちら側にいる僕としてはちょっとせつなかったりもするんですよね。 ところで、僕がこのエントリを読んで、いちばん印象に残ったのは、この部分でした。 九十九式が事故に巻き込まれて真っ白になっていた空白期間に、「夏の自由研究」と称して、別の場所でブログをやってみた

    九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - ららら科学の子-だから「はてな」は嫌われる?

    はてなが敬遠される3つの特徴〜つながりやすさの行き着く先(「忘却防止」11/10) http://d.hatena.ne.jp/hatayasan/20061110/p1 ↑の文章を読んで、なるほどなあ、と思うところがたくさんありました。だから「はてな」は嫌われるのか、と。 ちょっと古いですが、僕は以前、 「はてなダイアリー」というコミュニティ http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060228#p2 というのを書いたのですけど、この「琥珀色の戯言」アクセス解析などを見てみると、はてなアンテナ、キーワードリンク、ブックマークなど、とにかく「はてな内からのアクセス」が多いのです。ただ、これは「はてな村が閉鎖的だから」なのか、「はてな」どうしが繋がりやすいシステムになっているから」なのかと言われると、たぶん後者だと思うのです。もし「はてな」どうしが繋がりにくいようなシ

    琥珀色の戯言 - ららら科学の子-だから「はてな」は嫌われる?
    zonia
    zonia 2006/11/12
    で、元老院ってだれ?
  • 「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言

    ボードゲームサークルの運営について(by 卓上遊戯創造館別館(11/8)) http://d.hatena.ne.jp/stelmos/20061108#1162993420 ↑のエントリを読みながら考えたのだけれど、こういうのって、ある集団が大きくなっていく過程において、必ず出てくる問題なのでしょうね。僕にとって身近な例で言えば、この「インターネット」というやつだって、大昔の「パソコン通信」の時代には、「パソ通をやっている人間」というだけでお互いに「同好の士としての仲間意識」みたいなものがあったのだけれども、いまや「インターネットをやっている人」だからといって、お互いに親近感を抱いたりはしませんし。まあ、「ヘビーブロガー」同士とかなら、多少はそういう連帯感みたいなものも生まれやすいのかもしれませんが。 考えてみれば、個人サイトとかブログなんていうのは、まさに「無料のサークル」みたいなもの

    「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言
    zonia
    zonia 2006/11/10
    なんにしたって有志のコミュニティってこうなるんだよなあ。楽団も同じ。
  • 「ブックマークされないエントリ」の重要性 - 琥珀色の戯言

    僕はけっこうアクセス解析を見るのが好きなのですけど、先日、「まなめはうす」(http://homepage1.nifty.com/maname/)さんに http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060807#p1 ↑の「週末のフール」(伊坂幸太郎著)の感想を「関連」としてリンクしていただいたので、久々に自分でも読み返してみました。それで、自分で言うのもなんですが、「ああ、僕ってけっこう一冊のでいろんなことを考えているなあ」「けっこう良いこと書いてるなあ」と感心してしまったのです。当にお恥ずかしい話なんですが。いや、他人にとっては、「なんじゃこりゃ?」というような的外れな感想なのかもしれないんだけど。 この「琥珀色の戯言」を読んでくれている人というのは普段は1000人弱くらいで、大きなブログ・サイトにリンクしていただいたときで、その2〜3倍なのだけれども、そのくら

    「ブックマークされないエントリ」の重要性 - 琥珀色の戯言
    zonia
    zonia 2006/11/03
    「「多くの人にブックマークされ、あれこれ言われて消費されていくだけの『ブックマーク狙い』のエントリ」よりも、「誰もブックマークしてくれないような、個人的な内容を書き留めたエントリ」」こういうの嫌い。
  • 琥珀色の戯言 - ブロガー堕落論

    http://d.hatena.ne.jp/kotoko/20060710 http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060710#p1 「時をかける少女(http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php)」という映画の「ブロガー試写会」に参加された方々のレポートがいくつか公開されているのですけれど、何人かのブロガーたちの「絶賛」を読んで、僕も観てみようかな、と思ったのと同時に、やや黒い気持ちが僕の心にわきあがってきたのです。 試写室というものに行くのが生まれて初めてだったので、一人用の皮張りソファーだキャー座り心地いーなーキャーってなりました。しかも紹介書く時ように画像もくれたー! しんせつー! 平民の子なのでこういうことでキャッキャします。 と、id:kotokoさんは書かれていて、こういう経験が無い僕は、ちょっ

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  • 琥珀色の戯言 - 「ブロガー」とは何者なのか?

    http://www.narinari.com/Nd/2006066146.html この記事を読んで、僕はかなり憂な気分になりました。いや、ブログというツールは、多くの人に「発信する喜び」を与えているのは事実だし、僕もその恩恵を受けている人間のひとりなのですが、「ブロガー」たちが「プチマスコミ化」しているというのもひとつの現状なのです。 このオシム監督への「訪問事件」だって、もしこの人たちが「自分のブログでその顛末を紹介する」という「野心」を持っていなかったら、たぶん、ここまでのことはやらない可能性が高かったと思うのですよ。でも、「それで注目されたい!」とか「自分のブログで紹介する」なんていうような「目的」ができてしまうと、人というのは、けっこう自分の枠を外れたことだって、できてしまうような気がします。 話題になった「30日間マクドナルド生活」とかも、「サイトで紹介する」という「目的」

    琥珀色の戯言 - 「ブロガー」とは何者なのか?
  • 「お前は最近面白くない」 - 琥珀色の戯言

    「最近の○○はつまらない」なんて、世間ではよく言われますよね。正直、僕のサイトも最近面白くないんじゃないかと思うし、そういう声も聞こえてきます。「昔はもっとイキオイがあったのに」とか「マンネリ化してますよね」とか。 いや、それはもう、認めざるをえないところもあるんですよね。僕も書いていて「うーん、こういう内容の話、前にも書いたよなあ」なんて思うことが最近は多いのです。同じ人間の「引き出し」なんて、所詮、限界があります。 実際、中島らもさんや原田宗典さんといった「有名エッセイスト」たちですら、出版されているエッセイ集を何冊も読んでいると、「あっ、こういう話、前にも読んだことがあるなあ…」と思うことはありますし。ちなみに、中島さもさんには、「先月と全く同じ内容のエッセイを人も気付かずに編集者に渡した」という伝説があるらしいです。それはそれで信じがたいのだけれども。 http://d.hate

    「お前は最近面白くない」 - 琥珀色の戯言
  • 「読み取れない読者が悪い」 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/otsune/20060618/bookmarkismisunderstood 確かに、それが「誠実な姿勢」なのだと僕も思います。 ただ、ずっとサイトをやっていて感じるのは、「すべての読者が、真摯に読み取ろうとしてくれているわけではない」ということなのですよね。 いや、僕は基的にネガティブな人間なので、現実でも何か問題が起こるたびに「自分が悪かったのでは…」と考えがちですし、そういう「自責の念」ってやつが、時間とともに増してくることが多くて辛いことが多いのです。10年前くらいまでは、とくにそういう傾向が強かった。 でも、大人になって少し生きるのがラクになったのは、「他人のせいにする決心」ができるようになったからなんですよ。なんでも「自分のせい」にするのって、ある意味思考停止でもありますし、第三者的にみれば、なんでも「それは私のせいだから!」って

    「読み取れない読者が悪い」 - 琥珀色の戯言
    zonia
    zonia 2006/06/19
    「WEB上の争いで、どちらかが「納得」して「わかりました。教えてくれてありがとう」と握手して別れるなんていう「幸福な結末」は、ほとんど見たことがありませんし。」勝敗が主題になってしまうからだろうなあ。
  • 琥珀色の戯言 - 「コミュニケーション」をとりたくなるブログと「はてなブックマーク」

    http://mizunohosi.jugem.jp/?eid=159 「どんなブログとコミュニケーションをとりたくなりますか?」と問われたとき、僕にとっての答えはけっこうシンプルなものだ。 「これを書いている人と友達(あるいは知り合い)になりたい、というブログ」 どんなに立派なことや正しいことを書いていたとしても、書いている人そのものが好きになれそうになかったら、積極的にコミュニケーションを取ろうという気にはなれないのだ。 というか、「正しいこと」を全面的に押し出してきて、周りを焼け野原にしてしまってまで「オレは正しい!」と言うような人は、できれば敬遠したい。僕は別に、あなたに洗脳されるためにブログをやっているわけではないのだ。 それではあなたは、どんな人と「友達」になりたいの? そんなふうに問われたら、それはそれで考え込んでしまうものなのだけれども。 では、ちょっと具体的に条件を挙げて

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  • 「はてな」の言論統制 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/kgoutsu/20060504#p4 正直、↑のエントリを読んだときの第一印象は、「そんな被害妄想チックな…」というもので、そのうち「はてなのルーツはユダヤ人だった!」とか、「はてなを支配しているのはフリーメーソンだった!」なんていう話がどこからか湧き出てくるのではないかと心配になってきたのです。 実際に「はてな」でけっこう長い間(というか、βテストからのつきあいです)書いている僕自身には、「既得権益」なんて全然無いし、「言論統制」も感じたことはないのですが。 でも実は、こういう発想って、僕もサイトを始めた5年くらい前の時期には、間違いなく持っていたような記憶があるんですよね。更新しても更新してもほとんど誰も来てくれない閑古鳥サイトを運営していた僕にとっては、当時の「中堅〜大手サイト」というのは、みんな「既得権益を持っている人々」に見えたもので

    「はてな」の言論統制 - 琥珀色の戯言
  • 「新規参入」と「エロ」と「オタク」と - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/freekoi/20060504 僕の基的なスタンスは、自分が書いたものに対する感想には、よっぽど酷い個人攻撃とか的外れの非難を除いては、「読みたいように読んでくれればいい」というものです。もちろん、僕からすれば「どうしてそんなふうに読めるのかねえ…」とか「あまりに悪意の解釈だなあ」というようなものもあるのですが、それはそれで、世の中にはいろんな人がいるから、と考えるようにしています。いちいち全部に反論するより、次のエントリを書いたほうが、よっぽど建設的なので。 さて、僕は↑のサイトの言及に関して、ああ、こういうふうに言う人は、半年前にもたくさんいたなあ、と懐かしく思いながら読んでいました。そして、この人は、自分が「勝ち組」だと確信しているのだな、とも。 まあ、それはそれとして、いくつか思ったことがあるので、それを書いてみます。 WEBサイトの

    「新規参入」と「エロ」と「オタク」と - 琥珀色の戯言
    zonia
    zonia 2006/05/05
    オタクの意地。