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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (35)

  • ブクマ話で全力でDISりたい部分 - 焚書官の日常

    (註:ブックマークされたので補足。ここと合わせて http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20080604/p2 もお読みいただくと、多少意味が通じるかも知れません) 最初読んだだけでは、それが自分にとって、どういう意味を持つのかがまだわからないエントリというのが、けっこうあって、そのことを私は問題にしたいんだなぁと思った。 そういうものに「人生」「ネタ」「もめごと」みたいなタグを振るという行為は、ものすごい妥協なのだよね。妥協ってわかってやってるならともかく、だんだんタグを振ることが自己目的化していく。 で、ふと我に返って自分に突っ込む。「お前、後で自分のブックマークを「人生」とかいうタグで検索して眺めんの?」うへぇ。 ある文章が、自分にとってどういう意味があるかっていうのは、タグづけじゃフォローできない。 とりあえずピンときたものを何かにしまっておくのが、せいぜい

    ブクマ話で全力でDISりたい部分 - 焚書官の日常
    zonia
    zonia 2008/06/11
    なんか,「お前そんな毎日日記つけてるけど,後で読み直してんの?」みたいな。まあまさに自分は日記感覚ではてブ使ってるんだけど。
  • 「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常

    承前 何かに関心を持って、ちょっと検索してみて、興味を惹いた記事、あとでゆっくり読もうと思ったものを、ブックマークする。 私がブックマークしようとすると、ときどき、「このエントリはすでにブックマークされています」と、出て来る。昔自分がブックマークしたものを、もう一度ブックマークしようとしたらしい。 これは、私の物忘れがひどい、という話かしら。でも、そういう細かいことを忘れるために、ソーシャルブックマーク(以下SBS)を使っているはずなので、私は悪くないはずだ。 「SBSはミニブログなんです!」「なるほどー」 ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。(see.google: ミニブログ ソーシャルブックマーク) すると、さきほどの二重ブクマ問題は、

    「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常
  • はてなブックマーク基礎論 - 焚書官の日常

    問題(案) 1. (配点 各5点) 次の「はてなブックマーク」タグについて、(a)それぞれ、タグ付与者はなぜそのようなタグの形式を取ろうと思ったのか、利用者のタギングの動機を推測しなさい。(b)また、同じユーザとして、そのようなタグを許容することができるかどうか、感想を書きなさい。 http://b.hatena.ne.jp/t/7.%27special%7copt%28%e6%9c%80%e9%81%a9%29%7c%e5%b0%82%e7%94%a8 http://b.hatena.ne.jp/t/bm6264752 http://b.hatena.ne.jp/t/%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B 問2. (配点 5点) 問1に立脚して、「日語圏におけるフォークソノミの崩壊」について、自由に

    はてなブックマーク基礎論 - 焚書官の日常
  • ネットには声が大きいユーザというのがいるらしい - 焚書官の日常

    声が大きいってどういうことかよくわからないけど。 フォントが大きいって意味かなー。 村の中でなんとなーく声が大きいように思われている人、というのなら、いるのかも知れない。 でも、村人のなかでの発言力は、実際に運営者に影響を与える力じゃない。どれだけ「声の大きい」ように見える人が騒いでも、運営者は勝手に意思決定する。 で、まぁ、そんなことは「声の大きい」側もわかってると思うんだけどな。 以上の混乱はそもそも「声が大きい」とかいう比喩を持ち出してくるところから生まれているので、比喩もたいがいにしろ、と思った。

    ネットには声が大きいユーザというのがいるらしい - 焚書官の日常
    zonia
    zonia 2008/06/01
  • 可視化と影響力 - 焚書官の日常

    はてなリング」がサービス終了するそうだ。 はてなアイデア こういったアイデアに賛意を示すとどうしても「足を引っ張っている」ように見えてしまう。 私はこうやって言及したり、該当アイデアにポイントを支払ったりしてはみているが、実のところ、そういう「サービス終了を撤回させよう」という意図は、あまりない。所詮、何を言ったって私らはユーザーでしかない、意志決定をしている人たちの真意なんて、うかがい知ることは不可能。 ただ、「こういうことが起きるとこういうプラスとマイナスがあるよ」「こういうタイプの人がイエスと言いノーと言うよ」という、ものの見方が集約されることには、意味があると思う。 集約したからってそれが力になるなんて思ってない。 ただ、後でそのノードを見て、何かを辿ることができるかもしれない。 一般論 以下の二つは別のこと。 a.考えを可視化すること b.表明された考えが影響力を持ちうること

    可視化と影響力 - 焚書官の日常
  • わたしはなぜ書店に行くのか - 焚書官の日常

    もっぱらAmazonでしかを買わない人を大きな書店に連れて行ったら衝撃を受けていた、という話(創作? 実話? どっちでもいいけど)を読んだ。 ブックマークコメントも読んだ。 一覧性が高いとかレコメンデーションがない、といったことが、べつだんリアル書店の強み/弱みとは思えない。それAmazonから逆算して反対の性質を挙げてるだけだろ。 わたしが書店に行っておどろくのは、私が買わないが、私が欲求しているものとはべつに、あらかじめ「もの」の形をとってそこに「ある」ということだ。いうなれば、それらは他人の欲求である。 Amazonから、じぶんの興味やblogのレコメンドを辿って、のレコードが抽出され、「買う」ボタンを押して、という実体が自宅に届けられて、自分の部屋の棚にそれが並ぶ、というシーケンスの中には、他人の欲求が入る余地がない。 あるいは、わたしが触れ、そのとき買わないを、このあ

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  • 対価について - 焚書官の日常

    「ものを作ったことに対する対価は支払われるべきだ」という制度の話が、どこかで「愛があるなら対価を払うよね」みたいな話にねじくれるのが不思議すぎだ。 「愛があるなら対価」論では、可処分所得100万円の人と可処分所得10万円の人の愛は10倍違うってことになるような気がするが、それは屁理屈だろうか。 この屁理屈もしょうもないが、この屁理屈への返答が「そこはそれ、自分の身の丈にあった金額を払えばいいじゃないですか」とかなりがちで、もっとしょうもない。可処分所得に一定の率を掛けただけの金額…いやそれでは不公平だから…累進ドネション制とかになるでしょうか…。 愛と呼んでいるものを、自分の生活の自由度を下げる(カネを払う)ということで表現してますけど、それは質的には不自然ですよね、ということだ。 たしかにその不自由さによって、「ありがたい」「大事にする」という気持ちになるかも知れないけど、それは自演の

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  • Slice - 焚書官の日常

    金曜日、立卓の仕方についてちょっと考えていたこと。 結論だけ書くと、「今度の週末なんかゲームしませんかー?」という誘い方は得るものが少ない。仲良くなるのと、遊んだゲームの数が増えるだけ。まぁそれはそれでいいことなんだけど、はたしてそれって<趣味>なんですか、という。 行動のスコープを広く取ることで飽きに対抗したほうがいいのだろう。日付ドリブンではなく目的ドリブンで考えれば、「週末なんか」より多少はましなことができるだろう。 隣人が日記を書くのをやめてしまったときの残念感について。 だいたいは、なんでもっとその人の書いたものを読んでいなかったのだろう、という、自分に対する残念な感覚。 「もうその人の書くものが読めない」というのは、読み手の勝手な感想だろう。 「一度お話してみたかったです」というのもある。しかし屁理屈を言うなら、話すだけなら、その人の日記がアクティブじゃなくても連絡くらい取れる

    Slice - 焚書官の日常
  • I see your face, and I like your face - 焚書官の日常

    はてなダイアリーの日記を見ていて「この人はまたこんな、どこかで見たようなことを言っているのか」と思うことが増えた。「またこんな」の「また」というのは、書き手が繰り返しているのではなく、読み手である自分が似たようなもののまわりをほっつき歩いているという意味。 自分の精神状態が原因なのかも知れないし、何も為さないままここ(日記を読み書きすること全般)に長く居すぎて、正直飽きた、ということもあるだろう。 自分はほとんど人の日記を読まない。主体的に、なんだなんだ、と思うときというのは、何かもめごとが起きているな、というときだったりする。もめごとの多くは、結論がでても「そんな気持ちの問題やら態度の表明やら、どうでもいいじゃねぇか」と思うので、ますます読みたくなくなる。 どうでもいいじゃねぇかと思う一方では、その話題がその人にとって目下重要なことだし、書きたい気分だから書いているのだ、ということはわか

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    zonia
    zonia 2007/08/31
  • はてなは身内の意見を重用する企業だった(スクープ) - 焚書官の日常

    自分に近い人の意見を重用するのって、仕方のないことじゃないのだろうか。 こういう言い方には語弊があるか。 身内であれなんであれ、機会としてそういう意見が「ある」のだから、無視するより利用してもらったほうがいいような。ほかからうさんくさいと言われようとなんだろうと。 意見を拾ってくるセンスがよくない、下手だなぁ、ということはあるかもしれないけど、不公平だって怒る理由はあんまりないような気がする。 以前あった「ユーザ主催の集まりにはてなの人が顔を出して、そこでのコメントを検討しちゃった」話と、今回の蝗どうこうと偉い人が進言したら通っちゃったらしい、という話が同じ俎上にならべられて、ほら「はてな社」はそういう会社なんですよということになってるみたい。 そりゃ、特定のユーザの話を聞く機会を継続的に持とうとしてるのなら、問題があるかも知れないけど、そうじゃない場合、<たまたま縁があった>とかいう日

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  • メンテナンスというか自分のブクマを全部消して欲しかったりする - 焚書官の日常

    「30代独身男性は**なところが**でキモいから**」みたいな記事がSBSで話題になって、その記事を読んでしまう自分がいる。読んで「こういうのもう何回目?」とか思う。 でも、それはブックマークによって繰り返し抽出されてる記事を読んでいるだけ、なのであって、特定の人が30代独身男性を叩くエントリを書き続けているわけではない(酒井冬雪さんみたいな人もいるけど)。 そういう記事が同時にあちこちで書かれるということが、時代の気分を現しているんだ、その気分を拾い上げるのがSBSというものだ、なんて言い方があって、これがSBS擁護みたいなものにつながっている。 しかし「気分」っていうのは、観測であり、気分が発見できるから有用、というのはマッチポンプ的な擁護かもしれない。SBSによって、関心の動向みたいなものが伝播する速度は向上したし、それでもたらされる恩恵もあるけど。 読み手として、「また三十男叩きか

    メンテナンスというか自分のブクマを全部消して欲しかったりする - 焚書官の日常
  • 会社で眠いときの復活法 - 焚書官の日常

    立ち上がって「立ち読み」する。立ち読みできるような手軽なを準備しておくこと。仕事術とかなんちゃらハックみたいなあたりが無難か。 追記 定期的にここに検索でアクセスがあるので追記。 15分昼寝するといいですよ。 それでダメなら転職とかいう選択肢もあると思います。

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  • 桜の開花 - 焚書官の日常

    開花を確認する気象庁の人の一挙一動を、各局のテレビカメラが追っているとは、日とはなんともまぁ面妖な(雅な)国である。とどこかで誰かが言っているのを読んだ。いつ花見をするかなんて、近所の桜の花が咲いているのを自分の目で確かめればいいだけじゃないの、という理屈だろう。 かように桜は日文化に根を下ろして…という話は勿論どうでもよい。 日人にとっては、桜が咲いたという事実と同様に「桜が咲いたことになった」という事実が重要なのだった。つきつめていけばその「ことになった」を決める最初のトリガーである、気象庁の職員の一挙一動に視線が集中してしまうということになる。わたしはこのことをあまり違和感なく見ているが、「ことになった」という発想の習慣がない人にとっては、まさにSFだろう。 そういう頭でぼけっと天気予報の天気図を見ていると、「桜前線」はもちろんだが、高気圧・低気圧・前線といった概念だって、こ

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  • anondの使い方 - 焚書官の日常

    この日記にメモとして書いていることが自分でもうざいわけだが、そういうのこそanondに回すと良いのかも。自分が書いたことがあとでざっと眺められる、かつ、他人のリアクションもそこそこ貰える。そういったメモ書きは属人的である必要はない。あぁそういうことか。g:fragmentsというのはそういうことだったんだね、と独りで合点。 anondでの匿名の人のつぶやきが、なんか文芸的に評価されるという風潮が好きくないので、そういうことを思ったのかも知れない。

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  • アイデアポイント貧乏 - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/mohri/20070226/1172515983 仮に、ポイントの支払いが行われていてうまく回っている状態だとしても、 「どうでもいい要望は1ptで」 「不具合報告などの重要性の高い要望は100pt単位」(なぜ不具合報告にptを消費するのかわからんが) 「はてなの仕様を知悉してる人≒ポイント持ち≒影響力が高くなる」 といった経済で回していた個人のポイントが、やーごめんごめん、実はこれ大喜利投票のポイントと同価値だったんだよねー、といわれちゃってるところが、主な脱力どころじゃないでしょうか。 追記 簡単に言うと「理念上、ポイント経済は破壊された」ってことか。実際には大喜利で遊ぶ人と要望報告する人は住み分けるんでしょうが。 追記2 プラスの考え方としては(はてなアイデアがそうであったのと同様)「アイデアの可視化」ができる。僕面白いことおもいついてん

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  • ダイアラ無責任論 - 焚書官の日常

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20070221/p4 どっちとも取れるコメントがついてるので補足しとくと、「仮にも一日数千アクセス…」とか言うのは、オレじゃないです。 関連: はてなブックマーク - id:kazenotoriをdisる会 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku はてなブックマーク - Entertainments Lovers Live - マッつぁん、またまた必死だな 一度「ネタでやってる」と取られてしまうと、それ以降何を言っても「真面目にやれ」「ブロゴスフィアーで責任ある立場の奴がそんなこと言うな」「梯子外すな」「私怨ですか」「必死だなw」とか言われてしまうというバカの壁があって、上でブクマしてる人たちは(おれの書いた内容を半笑いで読んだにせよカチンと来た

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  • 日記についての日記 - 焚書官の日常

    仕事で複数の案件が並行して上がっていて、タスクリストにしてそこだけを見ていると腹が立ってくる。 なぜ腹が立つかというと、案件からのタスクというのは、自分の作業の因果関係とは別の因果関係を持っているから。だから、どれだけ案件を細かく分解しても、結果だけを求められているような気分になる。 タスクとして上がっていることを、そのままやらずに、自分の計画に忠実にやる(結果的に辻褄があうように努力する)というのが精神的な健康のためによい。 ここで転調 日記書きも同じだな、などと思った(この感想はどんな時にでも使えるので便利だ)。「disらない」「妬まない」などいくらでも<べからず>を挙げることができるだろうけど、基的に外からの情報駆動で「反応」するのには、自分の考えをそのときの文脈に合わせて整形してかつコミュニケーションを取らないといけないので、エネルギーを使う。 追記 キーワードドリブンで何かもの

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    zonia
    zonia 2007/02/23
  • 歴史編纂欲について - 焚書官の日常

    ボードゲームに関して自分はそういうものを感じないのだけど、もっと歴史の長いジャンルについて言えば、通史をまとめようとする人が現れる(そして紛糾する)ことはよくあると思う。 なぜ、歴史編纂の必要性を感じないものと感じるものがあるのか、考える。入手不可能なリソースが増えて(ミュージシャンが死ぬとか、が絶版になるとか)伝聞での経験が増えることで、ストレスが生まれ、語り直したい欲求みたいなものにつながっているのだとしたら、それが歴史編纂欲というものであり、その時点ではじめて「歴史」が生まれるのではないか。 書かれた「歴史」に対しては、事実誤認や認識の不足に関する突っ込みというのが、ほぼ必ずある。しかしそもそも、「歴史」を書いてみたい、と思うのは、もはや情報が十分アクセシブルではない、という認識と、語り直したい欲求があるからだとしてみよう。「歴史」を書きたい人は、自分がわからないからやってみてるの

    歴史編纂欲について - 焚書官の日常
  • 趣味について - 焚書官の日常

    個人の体験としての趣味というのは、個人がもっと面白い経験ができるようになるための磨かれ方のありようのことだと思うので、ギョーカイ的にどういうものが流行するとか、ギョーカイ的にここはアイデアが出尽くした、とかいうことにはあんまり興味がない。そりゃ、自分の盛り上がっているときとギョーカイの勢いの波長があっていればよかったなぁ、と後悔することはあるかも知れない*1が、そんなことを悔いても仕方がない。せいぜいブックオフやツタヤと仲良くしよう。 どこから始めたにしても、自分の認識を変えないかぎり、飽きるし、それは通史とは全く関係がない。 「最近の**はつまらないねぇ…」ではなく「最近のオレは**がつまらない」と言ったほうが正確だ。「**はどの曲も同じ」ではなく「オレは**の曲に飽きたのでどれを聞いても同じに聞こえる」と言ったほうが正確だ。 「オレが**だと思ったものが**」という言葉は、いっけんなげ

    趣味について - 焚書官の日常
    zonia
    zonia 2007/02/21
    常々気をつけてるところ。
  • 実名と匿名(ID) - 焚書官の日常

    匿名というと人の日記に「おや?」「馬鹿だな」とかいった、明らかに不定の名でコメントしてくる(そのわりに前後の不定名投稿を自分のものだと主張する)オレオレコメンターの人も含んでしまうので表記のしかたが難しい。IDということにしておく。 実名論:「議論のためには実名による責任づけが必要」 実名反対論:「ネットでは実名(戸籍名・活動名)とそのネット上でのつながりなんて意味がない。IDで必要十分」 よくわからない人:「名前なんて記号に過ぎんのですよ」 一番下はよくわかんないので無視する。上の二者は対立してるのだろうか。 上に書いたままだと、実名論・実名反対論、どちらも多少無理な主張を含んでいると思う。「実名による責任づけが必要」かどうかはわからないし、「意味がないからIDで必要十分」かどうかもわからない。 プラスに考える。実名に結びつかないIDでも議論というのは可能だろう。かたや、実名はIDのよう

    実名と匿名(ID) - 焚書官の日常