今回は幕末に活躍した薩摩藩主の島津斉彬の死因について取り上げます。島津斉彬と言えば、今年の大河ドラマ『西郷どん』で、農民・下級武士から支持されていた薩摩藩主という印象を受けると思います。一方で、幕末の歴史について興味のある人にとって、島津斉彬と言えば幕末の開国以降の改革の最中に急死した人物という印象を受ける人がいると思います。 死因についてはまだ解明されていないので、病死であるという説があれば暗殺されたという説もあります。病死よりも暗殺されたという説が有力ではないかと言われていますが、まだ分かりません。ここでは、島津斉彬の死因について、最初に病死説を取り上げます。次に、暗殺説が出た経緯について取り上げます。それから、暗殺の真犯人、島津斉興が久光を跡目したかった動機、島津斉彬の死後の薩摩藩について紹介します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして
