僕の周りでは、尾崎好きがばれると「クドい・説教くさい」「時代錯誤」「痛い」と散々な扱いなので、隠れキリシタン的なんですが、もうファン歴も20年近いので開き直ろうかと思う。僕が高校生だった80年代後半にはもうすでに「暑苦しくウザい」的な扱いだったと思うんだけど、いまだにそういう一面的な見方をしている人がいるともったいないので、ある歌をご紹介しよう。 尾崎豊(1965年生~1992年没)といえば、反逆のカリスマ、若者の教祖、とにかく大人への反抗、反体制の象徴としてとらえられがちである。「15の夜」の歌詞「盗んだバイクで走り出し~♪」とか「卒業」の「夜の校舎窓ガラス壊して回った~♪」などの彼の詩を誤解して、そのままに不良行為をする奴も続出するなど、単なる校内暴力の煽動者、社会への反抗者というのが強烈な印象となってしまっている。 またサラリーマンを揶揄したかのようにもみえる「Bow!」という曲の歌
いくつか報道があるのですが、もっとも臨場感がありそうなohMyNewsから拾ってみます。 記事によると検察は5時間もかかって読み上げたそうなので断片的なものであるのは致しかたありませんが、雰囲気だけでもわかると思いますから感想を交えながら、 「(用手剥離の)手指が入らないほど強い癒着胎盤だったのに、クーパーを使って無理な胎盤はく離を10分以上にわたって続け、次々とわき出るような出血を起こさせたのは、医師として基礎的な注意義務違反である」 これまでの産科医の見解では癒着胎盤は剥離して初めて診断が可能であるとの説明がなされていましたが、検察の癒着胎盤の診断基準は (用手剥離の)手指が入らない この時点で診断できるとし、その程度の事は、 医師として基礎的な注意義務違反である では「(用手剥離の)手指が入らない」時にはどうしたらよいかですが、 「癒着胎盤の無理な剥離には大量出血のリスクがあるので、
日本でも児童ポルノの単純所持を違法化しようという動きがありますが、既に違法化されているアメリカでとんでもないことが起きていることがわかりました。FBIが児童ポルノ画像へのリンクに見せかけた偽のリンク(児童ポルノはダウンロードできない)を掲示板に投稿、それをクリックした者を「児童ポルノをダウンロードしようとした」ということで逮捕、しかも有罪になっているとのこと。 つまり、児童ポルノ画像を1枚もダウンロードしていなくても、警察に逮捕されて家宅捜索をされ、その際に1枚でも「児童ポルノ」と思われる画像などが見つかれば「アウト」ということです。単純所持を違法化すると、誰でも犯罪者にすることができるというわけです。 詳細は以下から。 ■リンクをクリックしただけで有罪になった事件の概要 FBI posts fake hyperlinks to snare child porn suspects | Th
先日、「救急車はタクシー代わりに利用されていない」ことを取り上げたのですが、結構な反発もありました。そのどれもが「救急車がタクシー代わりに利用されているんだ」という揺るぎない信念を感じさせるものではありましたが、その信念の強さの他には何一つ語ることの出来ないものでもありました。いかに力強く断言しようとも、それが現実を塗り替えることなど出来ないわけですが、そう断言することで実際に「救急車がタクシー代わりに利用されている」かのような錯覚を与えたかったのでしょうか。何のために? 何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか? どうして彼らは「救急車がタクシー代わりに利用されている」と信じさせたいのでしょうか? 犯罪が凶悪化している、治安が悪化している、給食費の滞納が深刻化している、社会保障の悪質な不正受給が横行している、若者の勤労意欲が低下している、コミュニケーション能力が低下している、性が乱れてい
いまさらLifeの「自分探し」の回を聴いた。すげー面白い、特に外伝2が非常に充実した内容。労働流動性に対するアンヴィヴァレントな想いとか、新卒一括採用に対する違和感とか、だいたい共有できる。労働経済学者が軒並み新卒一括採用を支持していることについては、彼らって実務者へのヒアリングをベースに仕事しているから現状追認になっちゃうんじゃねーの、というのと、彼ら自身がレールに乗っかってきたからじゃねーの、という気もして、話半分に受け止めている。はやくid:yukihondaがブログ再開してくれるといいんだが。今日、ロフトプラスワンでイベントがあったんだねー。行きたかった。 僕にとって自分探しって何だろうって振り返ってみると、大学時代のロフトプラスワン通いだったり、新宿ゴールデン街通いなのかな。中学くらいから振り返ると、なんか恋愛がすごく自分探しっぽくて痛いんだが、若いってきっとそういうことなんだろ
会社はだれのものか、という問題には多くの注目が集まっている。しかし、そこでの議論の多くは「会社は誰のものであるべきか」という規範的な問題であった。これに対して、「日本の会社は誰のために経営されてきていたのか」という実証的な問題に対する分析はそれほど多くなかったといえよう。その理由の1つは、「誰のために会社が経営されているのか」という問いを実証的に分析することが容易ではないためである。しかし、経営者がどのようなインセンティブをもって経営しているかは実証的に分析可能である。たとえば、経営者個人の収入と株価の間に強い関係があれば、経営者は株価を最大化するために努力するであろう。すなわち、経営者の金銭的なインセンティブを分析することで、日本の企業の目的がアメリカなどと異なるかどうかを考えることが可能となる。 経営者の金銭的なインセンティブに関してはアメリカを中心に数多くの実証研究がなされてきた。そ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く