とにかくおもしろい! 時に大笑いしつつ、時にふむふむと頷きながら、蛍光ペンやフリクションで本書をなぞりながら勉強させてもらっています。
October 2009 6 x 9, 430 pp., 20 color illus. 40 black & white illus. $45.00/£33.95 (CLOTH) Short ISBN-10: 0-262-01356-8 ISBN-13: 978-0-262-01356-7 Biological Foundations and Origin of Syntax Edited by Derek Bickerton and Eörs Szathmáry Table of Contents and Sample Chapters Syntax is arguably the most human-specific aspect of language. Despite the proto-linguistic capacities of some animals,
http://www.youtube.com/watch?v=5E666G1uI6U REIKI HEALING AND CHAKRAS 読書感想『「ガン呪縛」を解く』を読んで (1) 最近、フトマニ統合ヒーリング教室に参加していただいている方に 71才の方のとても元気な方がおられます。 彼女は甲田医師の影響で小食生活をしておられて 手帳にぎっしり予定をつめて いろんなところに参加しておられます。 その中で私たちのところの フトマニ統合ヒーリングとの出会いは運命的で 今、いろんなところで学んだことがすべて関連していると おっしゃって戴いています。 彼女から、稲田芳弘という人の『「ガン呪縛」を解く』という本を頂きました。 1890円、ecoクリエイティブ社です。 著者自身が2005年に乳ガンを宣告され、 医師からすぐ手術をしないと生命がないと言われました。 ところが
⇒世の中怪しい言語学を唱えた者勝ちらしい - killhiguchiのお友達を作ろう ⇒はてなブックマーク - 世の中怪しい言語学を唱えた者勝ちらしい - killhiguchiのお友達を作ろう torin 揉め事 これだけ「信夫の誤りを批判すべき」という内容を重量級の長文で書いてあるのに肝心の「信夫の何が間違ってるのか」は一語たりとも書いてない。ある意味凄い/まず自分で啓蒙すべきじゃね? 2009/11/08 私も元エントリを見たいけど、批判点がわからんかった。 karpa 池田信夫先生のすばらしさについて / id:torin 池田氏の内容は疲れさうなので読んでませんが,そのエントリの冒頭にあった書影のある本への批判は,わたしぢゃないですが,ひとまづ d:id:dlit:20090731:1249009614 をご覧ください 2009/11/08 批判するなら、読んだほうがいいと思うが
町田健『生成文法がよくわかる本』 これが日本語で読める入門書。だけど町田先生自身、生成文法に否定的。これを読んだらさっさと洋書に進んだ方がいいです。日本語の生成文法のテキストは独学には向いてないです。PooleとかRadfordとかCarnieとかHaegemanのテキストはかなりいいです。いま時間ないんでまたあとで詳しく書きます。 とはいいながら私自身も生成文法否定派です笑 でも批判する以上はやつらが何をやっているかを知る義務があると思い勉強はしました。 追記 もうお一方がかなりかかれていますので補足することはほとんどありません。 田中克彦はかなりやばいです。不勉強すぎて却って腹が立ちます。 井上和子先生の本もいいですが、大津由紀雄先生らが書かれている『言語研究入門―生成文法を学ぶ人のために』も非常にいい本です。井上先生のものより少し難しいですので、井上先生のものを読んだ後に取り組むのが
篠原成彦「言語の起源/起源の言語」(飯田隆編『岩波講座哲学03言語/思考の哲学』pp. 119-138) 内容 はじめに 一 四つの基本仮説 二 自然選択とチョムスキー 三 ビッカートンの二段階進化説 四 言語進化とコミュニケーション 五 内的表象って大丈夫なのか? おわりに (書名からのリンクはAmazonです。) 評者による要約 言語起源論については、目下、学際的に活発な議論が行われている。このような状況において、哲学者は懐疑精神を働かせることで寄与し得る。 言語起源論の指針的な仮説は次の四つである。 1言語は自然選択がもたらした生物学的適応の一例である。 2言語は漸進的に進化した。 3言語はコミュニケーションの道具として誕生し、そして進化してきた。 4一般に生物は内的表象のシステムを持っている。 しかし、これらの仮説についても反論が提起されている。 1については、チョムスキーによる、
これはあくまでも素人の意見なのだが、私は生成文法の人々の言語観は行き過ぎている面があると考える。まず、素朴な疑問から始めると、もし人間の言語が無限の生産力を持つ(これはチョムスキーだけでなくデイヴィドソンなどの言語哲学者も強調するところである)なら、どうして人は言葉を話せるのだろうか。というのも、言語が無限に多くの文を生み出せるなら、人は発話のたびに無限に多くの選択肢から一つを選ばなければならないからである。問題をより一般的に表現すれば、無限にある離散的な選択肢から最適な一つを(合理的に)選択するにはどうしたらよいのか。実はこれはかなり厄介な問題である。少なくとも標準的な合理的意思決定のやり方(効用最大化)は適用できない。なぜ多くの言語理論家がこの問題に言及しないのか私は不思議に思う。 その問題がテクニカルに解けたとしても、計算速度も記憶容量も有限で、ダイナミックに変化する状況においてリア
学校文法では、「文は主語と述語によって成り立つ」と教わる・・・という文には主語がない。こういう場合、学校では「生徒は」という主語が「省略されている」と教わるが、この基準で日本語の日常会話を分析すると、90%以上の文で主語は「省略」されている。世界の他の言語をみても同じで、主語が不可欠なのはインド=ヨーロッパ語族の一部に限られる。主語・述語モデルにもとづく生成文法も、「普遍文法」どころか「ヨーロッパ語文法」でしかない。 こうした英語をモデルとする文法に対する批判も古くからあり、時枝文法や三上章など、「日本語の論理は英語とは違う」とする議論も多い。本書は、学校文法や生成文法を否定する点ではこうした理論と同じだが、「日本語特殊論」も批判し、日本語も英語も基本的には同じ論理の変種だと論じる。著者の理論的根拠とする認知言語学は第2章に要約されているが、くわしいことは著者の前著を読んだほうがいいだろ
大会第三日(9月2日) 朝はまた土砂降り.大気が不安定なようだ.しかし8時過ぎにはあがってくれた.バス路線マップをよく見ると51系統のバスで烏丸通りを北上してそのまま京大農学部前に行けそうなことを発見.51番のバスに乗ってみるとなんと今出川通りで西へ向かうではないか.あわてて飛び降りて今出川通り203系統に乗り換えたが,京都のバスは難しい.(あとで調べてみると京都には市バスのほかに京都バスがあり,同じ51という系統が烏丸通りを走るのだが,実はルートがまったく異なることがわかった.そやかてそれはすこしいけずやおへんか.番号ぐらいかえてくれたらよろしいのに.) さて気を取り直して1コマ目.WS04の「DNA塩基配列による分類とその問題点」というのも面白そうだったが(三中信宏がDNAでも「種」は延命できないのだと咆哮するのを是非見たい),S2の「菌類と動植物の間で見られる相互作用と共進化」の方に
>チョムスキーの本を読んでいるのですが 具体的に本の題名等を教えてもらえますか。それなら回答できるかも知れませんので。 (追伸) >途中でE-languageとI-languageという言葉が出てきました 次の文章を参考にして下さい。 「古くは言語の能力( competence )と運用(performance)を区別し、あるいは脳内に実装された知識体系としての内言語(internalized language, I-language)とその産出物として外界に表出する現象としての外在言語(externalized language, E-language)を区別して、過去の言語学の資料分析的手法と決別し、能力なり内在言語を対象にすることでヒトの知性の面、ひいてはヒトの本性(human nature)の研究に言語学を変質させたのが生成文法であった。」 つまり「I-language」=「脳内に
さて、言語の本質とは何だっけ。これを機にさっと思い起こそう。 チョムスキーは、つまるところ「再帰性」だと考える。 再帰性(recursion)とは、たとえば、「彼は感染した」という文が、「「彼は感染した」と医者は言った」、 「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」、 「「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」」」と私は思う」、のように同じ構造を入れ子にしていくらでも拡張できる性質をいう。 この性質は人間の言語にしかない、つまり他の動物の認知には決して現れないとチョムスキーは確信する。そして、再帰性の何がすごいのかといえば、有限の語を使って無限の文が産み出せることだとする。 しかし、こう強調されて素朴にどうだろう。私は正直「ふ〜ん」という感じだった。 言語がわかる能力はヒトの脳だけに固有のしくみとして埋め込まれている。したがって、世界のあらゆる言語において文を
こんばんは。かつて、東京大学の編入試験を受験したことがあります。そのときに過去問を取り寄せたことがあるのですが、「−たい」の機能について論述させる問題がありました。どのくらい記述すればよいのかと思って、調べてみたら研究レベルでは大きな問題があることがわかり、びっくりしたことがありました。 そのときに調べたことを中心に書いてみたいと思います。 「水が飲みたい」と「水を飲みたい」のように、「が」を使うのか、「を」を使うのかで迷う例がしばしばあります。特に述語が 「―たい」水が飲みたい 「―好き」りんごが好き 「―気に入る」それが気に入る 「―わかる」英語がわかる 「―できる」中国語ができる 「―てある」机がおいてある 「―話せる」ドイツ語が話せる などです。図式化すると、 ――が――たい・気に入る・わかる・できる・てある・話せる となります。 とりわけよくあげられる例として、 水が飲みたい 水
私は学生のころ一時、言語学を志したことがある。もともとは哲学に興味があったのだが、ソシュールやヴィトゲンシュタインなどを読むうちに、言語こそ哲学のコアであるという感じがしたからだ。当時は文科2類からはどの学部へも行けたので、文学部に進学することも真剣に考えた。しかし当時の言語学科は、チョムスキー全盛期で、その単純な「デカルト的」理論には疑問を感じたので、やめた。 初期のチョムスキーは、言語学を応用数学の一種と考え、ニュートン力学のようなアルゴリズムの体系を完成させることを目標としていた。しかし言語を数学的に表現することはできても、そこには意味解釈が介在するため、物理学のように客観的な法則を導き出すことはできなかった。結局、「標準理論」と自称した初期の理論も放棄せざるをえなくなり、その後の理論は複雑化し、例外だらけになる一方だった。 生成文法の黄金時代は、未来のコンピュータとして「人工知
ピンカーの新著の訳本が出た。かつてはチョムスキーと同様に「経験論のドグマ」を繰り返し批判していた著者が、その逆のレイコフのメタファー理論に転じ、「遺伝的決定論」を批判している。認識論的には、ようやく(半世紀以上おくれて)ヴィトゲンシュタインに追いついた程度だが、アメリカ人の哲学的水準なんてこんなものだろう。 生成文法や新古典派経済学のような疑似科学がアカデミズムで主流だったのは、その数学的に整った体系が、大学や学界のヒエラルキー構造を維持する上で便利だったからだが、社会科学が数学や物理学をモデルにするのはおかしい。社会の要素は人間なのだから、今後の社会科学の基礎は脳科学や心理学だろう。本書は、そうした「認知論的」な視点から言語や社会を考えるヒントを提供してくれる。
2008 年 11 月 9 日に専修大学で行なわれたシンポジウム「生成文法の可能性」に参加し、いつもブログ上でお世話になっている id:dlit さんともお会いすることが出来ました。お会いした感想としては同じく、若け〜というのと、やっぱり言語学の方はきれるな〜という。シンポジウム後はお互い多忙で、ゆっくりお話も出来ませんでしたが、またお会いする機会はあると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。 レポートは dlit さんがこちら (シンポジウム「生成文法の可能性」レポ - 誰がログ) で丁寧にやってくださっているので、僕は、そこで挙げられている質問にお答えしたいと思います。ちなみにここでの回答はあくまで僕個人の見解でありまして、所属する研究室や共同研究者の意見とは関係があるかもしれませんし、ないかもしれません(笑)。 さて、dlit さんのご質問として ある刺激に対して言語能力に
社会知性開発研究センター概要 専修大学は、21世紀のさまざまな社会課題の解決に貢献し、合わせて自己実現を図っていく人に求められるもの、それは「社会知性(Socio-Intelligence)」であると考え、21世紀のビジョンとして「社会知性の開発」を掲げています。 このビジョンの実現のために「大学院社会知性開発研究センター」を平成15年2月に設置しました。その後、平成18年4月には活動の拠点を大学院に限定することなく、大学全体で動かしていく必要があるとの認識から全学的組織に改め、「社会知性開発研究センター」と改変し、国際社会に対応し得る学術・文化の幅広い分野における専門的、学際的な総合研究・教育活動を推進しております。 本学専任教員を中心としたプロジェクトの内容は、「古代東ユーラシア世界の人流と倭国・日本」、「ソーシャルウェルビーイング」、「メコン諸国の中小企業研究」、「融合的心理学の創成
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