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sociologyに関するdlitのブックマーク (17)

  • ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)

    [Joseph Heath, “The problem with “critical” studies,” In Due Course, January 26, 2018] 学部生だった頃,こんな風に思っていた――《「客観的」「価値自由」なやり方で社会現象を研究する実証主義が社会科学で蔓延しているのは世界の災厄だ.そんなものは幻想だ,というか有害な幻想だ.だって,客観性をよそおいつつ,その裏には隠れた目標があるんだから.つまり,支配しようという利害関心をもってるんだ.人々を主体ではなく研究の対象として扱うなんて政治的に中立じゃない,だってそうやってうみだされる知識ってのは,どういうわけかうまいぐあいに,まさに人々を操作し管理するために必要とされるたぐいの知識になってるもの.つまり,「客観的な」社会科学はちっとも価値自由なんかじゃない,むしろ抑圧の道具になってるじゃないか.》 これに替わる選

    ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)
    dlit
    dlit 2018/10/15
    「「これは完全な駄本だったな」となるかどうかを見分けるいちばん確かな指標は,フーコー(および/あるいはブルデュー)が論じられていたりことあるごとに引用されたりしているかどうかだ」
  • キーパーソンインタビュー:福島と「フクシマ」は違う 社会学者の開沼博さん | 毎日新聞

    かいぬま・ひろし 1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。現在、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員=東京都千代田区で2015年3月9日、内藤絵美撮影 いま、福島を知るために 気鋭の社会学者、開沼博さん(31)=福島大特任研究員=が福島問題を書き下ろした「はじめての福島学」(イースト・プレス)を出版した。「福島」を巡るや産業、人口問題といったさまざまな社会問題を、公開されているデータを基にまとめた「福島問題の基礎知識」とも呼べる1冊だ。大きな反響を集めた「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)から4年。開沼さんはなぜ、データを一から整理したのか。福島を知るために何が必要なのか。福島の語り方をもう一度、考え直すためにできることとは。ロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センタ

    キーパーソンインタビュー:福島と「フクシマ」は違う 社会学者の開沼博さん | 毎日新聞
  • 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」/稲葉振一郎 - SYNODOS

    の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 しかし歴史学や社会学のアカデミック・サークルのなかで彼らの業績が表だって踏まえられ議論されるようになるのは、格的には1980年代以降のことである、といってよいだろう。流行に弱い社会学では、浅田の格的デビューにわずかに先立つ1980年に、デリダ、フーコー、そしてとりわけジャン・ボードリヤールを踏まえた内田隆三の「〈構造主義〉以後の社会学的課題」(『思想』676号)、さらにJ・A・オースティンの言語行為論とフーコー

    斜めからみる「日本のポストモダン教育学」/稲葉振一郎 - SYNODOS
  • STSNJ Newsletter / TITLE

    『現代思想』2001年8月号(vol. 21-10) 「サイエンス・スタディーズ」特集号についての読書案内 隠岐 さや香(東京大学) 「サイエンススタディーズ」特集として組まれている対談、論文などは以下のようになっている。 エッセイ 「科学の外部評価」 養老孟司 インタヴュー 「<科学の現在>を捉える」 村上陽一郎、平川秀幸(聞き手) 「戦後科学論の鉱脈 遡行と展望」 中山茂、塚原東吾・柿原泰(聞き手) 「労働・近代・技術」 中岡哲郎、柿原泰(聞き手) 遺伝子 「遺伝子改造社会のメタ倫理学」 金森修 「緑の遺伝子機械 物と人の政治学」 大塚善樹 「遺伝子組み替え作物のリスクと倫理をめぐる専門家による言説構成」 B. ウィン 塚原東吾訳 科学と帝国主義 「科学と帝国主義 パイエンソン批判」 P.パラディーノ M.ウォーターボーイズ 塚原東吾訳 「『科学と帝国主義』が開く地平」 塚原東吾 「科

    dlit
    dlit 2015/01/23
    『現代思想』2001年8月号(vol. 21-10)「「サイエンス・スタディーズ」特集号についての読書案内」隠岐さや香(東京大学)
  • 男女雇用機会均等法では「共働き」を実現できない/筒井淳也 - SYNODOS

    先日(2014年7月1日)、男女雇用機会均等法の施行規則が改正された。男女雇用機会均等法は、1986年の施行から、1999年、2007年の比較的大きな改正法施行を経て、ふたたび改正された。大まかな流れは以下のとおりである。 1986年施行: – 採用、昇進における男女差別の撤廃を努力義務に。 – 教育訓練、福利厚生、定年・解雇における男女差別を禁止。 1999年改正法施行: – 採用、昇進における男女差別の撤廃を努力義務から禁止に。 2007年改正法施行: – 間接差別の禁止。これにより「合理的な理由なく総合職の募集において転勤を要件とすること、転勤経験を昇進の要件とすること」が禁止された。 2014年改正法施行: – 間接差別の禁止の範囲拡大。「すべての労働者の採用、昇進、配転などにおいて合理的な理由なく転勤を要件とすること」が禁止された。 男女の機会均等について識者の間でもしばしば注目

    男女雇用機会均等法では「共働き」を実現できない/筒井淳也 - SYNODOS
  • 人はなにを「広告」だと思ってきたか - 作品メモランダム

    ★加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学――近代日における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014/02、ISBN:4796703306) 「広告」や「デザイン」といえば、今日あちこちで目にするし、なんの気なしに使われている言葉だ。でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、じつは思ったほど(どんなほどだというのはおいといて)分かりやすい言葉ではない。ほら、そのつもりで歴史に目を向けてごらん…… そんなふうにしてページを繰ると、巻頭からこの問いが、さらに思った以上に込み入っていることが垣間見えてくる。加島さんは言う。 日社会において「デザイン」は「広告」との関係でいろいろと意味付けられてきた。またその過程において、デザインの専門性を主張することは広告制作をいかなる職業と見なすのかという動きと深く結びついていた。しかし、広告やデザインに関する書籍の多くはこのような試行錯誤にはあまり関心を

    人はなにを「広告」だと思ってきたか - 作品メモランダム
  • 反科学主義とメタ科学Ⅲ―科学社会学― : kamokaneyoshiのブログ

    8月4 反科学主義とメタ科学Ⅲ―科学社会学― カテゴリ:福島原発事故関連文化論 メタ科学批判シリーズの最後として、科学社会学を取り上げる。科学社会学はメタ科学の中でも新参者でその歴史は100年にも満たない。自然科学系の科学者の中で考えた場合、科学史や科学哲学には関心を持っても、科学社会学についてはその存在すら知らないのが多数派であろう。事実、私も福島原発事故を契機として初めて科学社会学という名の専門分野の存在を知った一人である。科学者は社会的存在であり、科学の成果が社会に対して大きな影響を与える以上、社会の中での科学の有り様を研究する分野としてのメタ科学の必要性は当然と言える。科学社会学が現在の社会における政策決定にどの程度の影響力を持つのかは不明であるが、科学と社会が健全な関係を保つ上で、科学社会学に求められる役割は大きい。他方、福島原発事故を契機として、科学社会学者―科学社会学の研究者

  • 涜書:リンチ(1992)「認識論から科学社会学へ」 - 呂律 / a mode distinction

    だれか伊勢田のちゃんとした書評を書くなり合評会を企画するなりしようというココロある社会学者はいないのかおい。 このトゲった関連で: Togetter - 「伊勢田哲治「科学的合理性と二つの「社会」概念」におけるエスノメソドロジー研究の位置」 Togetter - 「伊勢田哲治「科学的合理性と二つの「社会」概念」におけるエスノメソドロジー研究の位置:その2」 伊勢田哲治(2001)「科学的合理性と二つの「社会」概念」 ワレ発見セリ。 Lynch, M. (1992) "Extending Wittgenstein: the pivotal move from epistemology to the sociology of science" in Science as Practice and Culture 作者: Andrew Pickering出版社/メーカー: University

    涜書:リンチ(1992)「認識論から科学社会学へ」 - 呂律 / a mode distinction
    dlit
    dlit 2011/06/16
    「だれか伊勢田本のちゃんとした書評を書くなり合評会を企画するなりしようというココロある社会学者はいないのかおい。」期待あげ。
  • 立ち読み:『ワードマップ エスノメソドロジー』──「あたりまえ」に学ぶ社会学 - 日曜社会学/エスノメソドロジー番外地

    前田泰樹・水川喜文・岡田光弘 編 『ワードマップ エスノメソドロジー──人びとの実践から学ぶ』(新曜社、2007年8月刊行) このは、おもに学部生や社会学隣接領域の研究者などを対象としたエスノメソドロジーの入門的概説書です。「すぐれたEMの入門書は、それ自体、すぐれた概念分析の書でもあるはずだ」という考えのもとで、エスノメソドロジーのもっとも基的な 考え方を解説しています。若手研究者を中心とした執筆陣が 研究会を重ねて、互いの原稿を繰り返し検討しあいながらつくりました。 このコーナーには、内容の概略がうかがえる「立ち読み」用の記事を掲載しています。購入や教科書採用の検討の際に 参考にしていただければと思います。 エスノメソドロジー・会話分析研究会のサイト には、編者への一問一答などを含む 「研究会会員の著作紹介」 のページがあります。 その後、2009年と2016年に 書参加者を中心

    立ち読み:『ワードマップ エスノメソドロジー』──「あたりまえ」に学ぶ社会学 - 日曜社会学/エスノメソドロジー番外地
  • @檸檬の家: 明治の法令にも「障害」の用例あり…むしろ「障碍者」こそ新語

    @檸檬の家 ブログ更新を停止しています  自己紹介   連絡先: 小川 創生 (motoyuki@bc4.so-net.ne.jp) このブログは個人的な「書きたいこと雑記帳」であり、現在または過去の所属の公式見解等を示すものではありません。 昨年のブログ記事『「障害」は当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?』では、青空文庫における戦前の用例などを元に、「障害」は戦後の当て字ではないと結論付け、戦前に遡っても「障害」が「障碍(礙)」の当て字かどうかは判然としないことを述べた。今回の記事はその続編として、明治の法令における「障害」の用例を示して結論の根拠を補強し、同時に、『戦前は「障害者」ではなく「障碍者」だった』という説にも疑義を唱えておきたい。 明治25年の勅令に「障害」が登場 明治以降の法令をどうやって調査すればよいのか、正直言って素人の私はかなり戸惑った。国立国会図書館「日法令索引

  • 大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学

    はたのしんすけ先生のご教示を請う。 http://kyoto-edu.bne.jp/~althusser/blog/index.php?no=r188 みっともないのは−補足を兼ねて [‥] たとえていえば、構築主義に対するエスノメソドロジーの「ゲリマンダリング」批判のようなもの、ってかえってわかりづらいか。その批判は*その*立場からすれば確かに当たっているのだが、批判された側からすれば「so what?」というしかない、という一方向性。それでも批判者はそこしかよりどころがないのだから、どうしても「片思い」になる。 [‥] [188] はたの (2006/09/07(Thu) 00:48:49) (´ι_` )..... その、エスノメソドロジストによるOG批判(なるもの*)の場合、「そこ」ってのはどこですか? * 具体的には、誰による-誰に対する 批判のことを指しているのでしょう? 氏に

    大黒岳彦『〈メディア〉の哲学』 - 20060919 - 日曜社会学
  • 社会学って誤解されやすい。:にがにが日記

    Twitterでのsociologbook(きしどん)とrnaさん(おさいがリツイートする率ナンバーワンですよ)のやりとりから思ったこと。なんだか、昔のネットの掲示板の議論みたいで面白かったです。厳しいながらも冷静に議論する場という感じです。つーか私はその頃は恐れ多くてみてるだけでしたが…。ほんとはtwitterで流そうと思ったけど、長くなったからにがにがに載せることにしました。sociologbook & rnaさんの議論の発端はこちらの記事です。大学で何を教えるかこれに対して、rnaさんのブクマコメントがつきました。あまり同意できないな。合理性ってのは最適化問題を解く技術で、何が解くべき問題なのかについては何も教えてくれない。そこに気付かせるのが社会学じゃないの? そんな問題解いてると人生棒に振るかもよ!って。そして、(ほぼ)rnaさんひとりに対して補足する意味で書かれたのがコレ(だそ

  • 受験前1か月の修士課程受験生に薦める本(科学史・科学論・・・) - 住田 朋久 / SUMIDA Tomohisa

    若干追記しました。 〈科学の発想〉をたずねて 自然哲学から現代科学まで (放送大学叢書 12) 作者: 橋毅彦出版社/メーカー: 左右社発売日: 2010/10/12メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 44回この商品を含むブログ (3件) を見る(↑幻の『物理・化学通史』が入手可能になりました。2010年10月)社会の中の科学 (放送大学教材) 作者: 中島秀人出版社/メーカー: 放送大学教育振興会発売日: 2008/09/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 18回この商品を含むブログ (3件) を見る科学史技術史事典 作者: 伊東俊太郎,山田慶児,坂賢三,村上陽一郎出版社/メーカー: 弘文堂発売日: 1994/06/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (3件) を見る科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なの

    受験前1か月の修士課程受験生に薦める本(科学史・科学論・・・) - 住田 朋久 / SUMIDA Tomohisa
  • 社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(上)ナイーブ編

    読んでいる人が居ることがつぶやき(Twitter)で分かったので続きを書いてみる。 「自然科学は激高する」のつづきで、第2回である。我々はようやく社会科学を取り扱う。 しかし長くなりそうなので、「科学である」との自己表明の度合いが高そうな経済学、心理学を扱うナイーブ編と、いろいろとぐずぐず言ってる人類学、社会学を扱うリカーシブ編とに分けることにした。 ナイーブ編 社会科学はいかにして科学であると主張するか? さて、今回は特別ゲストとして、自然科学の中でも、もっとも自己確信的に「我々は科学をやっている(生物学あたりになるとずいぶん怪しい)」と思っていそうな物理学に参加を願うことにした。社会科学の中で、最も自己確信的に「我々は科学をやっている(社会学なんて文学に過ぎない)」と思っていそうな経済学がいろいろ言い出しそうなのを見越しての措置である。 経済学経済学は科学である。なぜなら反証可能性を

    社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(上)ナイーブ編
  • 漢字が 排除するもの - hituziのブログじゃがー #c 野嵜健秀 2008/06/30 04:07

    ある記事を 紹介します。 「日語から漢字を引算できるか?」(彎曲していく日常) うえの記事は、日語から 漢字を とりのぞこうとするのは、排他的なナショナリズムだという内容です。 こうした主張は、子安宣邦(こやす・のぶくに)『漢字論-不可避の他者』岩波書店に かいてあるはなしです。 わたしは日語表記の問題について 8年まえから かんがえています。わたしの議論は つぎのとおりです。 漢字は、文字表記として ふくざつすぎるために、さまざまな文字弱者を 排除し、抑圧している。 もちろん、漢字を なくせば 文字弱者が いなくなるわけでは もちろんない。だが、おおきく改善することが たくさんある。 わたしが「漢字という障害」という論文で指摘した漢字弱者は、非識字者や識字学習者、盲人、弱視者、ろう者、中途失聴者、読字障害を もつひと、知的障害者、日語学習者です。 そうしたひとたちが文字情報にアク

    漢字が 排除するもの - hituziのブログじゃがー #c 野嵜健秀 2008/06/30 04:07
  • 山下和也先生『オートポイエーシス論入門』雑感 - 2010-01-01 - 呂律 / a mode distinction

    買っちゃった&読んじゃったorz。 オートポイエーシス論入門 作者: 山下和也出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/12/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 95回この商品を含むブログ (6件) を見る I オートポイエーシスの定式 第1章 定義 第2章 概念整理 第3章 三つのシステム II オートポイエーシスの拡張 第4章 オートポイエーシス論の認識論的含意 第5章 オートポイエーシスの認識論 巻末に「ミスリーディング一覧*表」という付録がついていて吹いた。 どういう意味なんだよそれwww? 編集者なにしてたんだwwww * 「ミスリーディングな表現一覧」とかじゃないとおかしくね? んーと。まぁ書いても仕方がないことを愚痴として書いておくだけだけどさ。 件のやりとりをしたときにすでにわかっていたことではあるしね。 http://d.hatena.ne.jp/

    山下和也先生『オートポイエーシス論入門』雑感 - 2010-01-01 - 呂律 / a mode distinction
    dlit
    dlit 2010/01/05
    誘導してもらったのでこちらをブクマ。
  • ルーマンのオートポイエーシス理解はどこが間違っている(とされている)か。 - de-blog

    さて、当ブログにはめずらしく、DQNアトラクター オートポイエーシス についての話題。 下記著作をお持ちの山下和也先生──ご専門はドイツ敬虔主義神学だとのこと──が、「ルーマンの誤り」なるものについて関説していたので ちょっと絡んでみるよ。 なお、社会学において「オートポイエーシス」とか「自己言及」とかいった言葉を術語として使用しうるのか/すべきかどうか ということについて、私自身には関心がありません。念のため。 というか、社会学には必要のない言葉だと考えています。 オートポイエーシスの世界―新しい世界の見方 (近代文芸社新書) 作者: 山下和也出版社/メーカー: 近代文芸社発売日: 2004/12メディア: 新書 クリック: 6回この商品を含むブログ (12件) を見る オートポイエーシスの倫理―新しい倫理の考え方 作者: 山下和也出版社/メーカー: 近代文芸社発売日: 2005/12/

    ルーマンのオートポイエーシス理解はどこが間違っている(とされている)か。 - de-blog
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