「ブレードランナーであるKは、暴力を通してでしか肉体と触れあったことがありませんでした」 「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はケベック風の柔らかい口調からは想像できないほどの熱意を込めて語った。「彼は本物の愛情を味わったことがありません。人間はレプリカントを嫌悪しているので、本物の人間と触れあったこともありません。そして、同類のレプリカントも仲間殺しのブレードランナーを嫌っています」 「ですから、彼は孤独なのです。彼が唯一関係をもてる相手はジョイですが、ジョイとは物理的に触れ合うことができないので、この関係性は制限されています。実際のところ2人の関係は奇妙で深遠なものですが、完全ではありません」 映画の折り返し地点で、ヴィルヌーヴ監督と、脚本家のハンプトン・フィンチャー、マイケル・グリーンは、Kとジョイの関係を「完全にする」方法を見つける。 AIのガールフレンド、ジョイ
日本映画・洋画を問わず、ネタバレ・あらすじを交えて感想(レビュー、 批評、 解説…?)を語りながら、映画の魅力を再発見していきましょう。ラストを明かすことも。 【ネタバレ注意】 『ブレードランナー 2049』は2017年に発表されるべき作品だった。前作『ブレードランナー』のテーマと作品世界を受け継ぎながら、本作は来るべき未来を見据えている。 「実はSFって、現実から離れて人間の感情の描写に集中できるという意味で、とても優れた表現形式なんだ。」 本作の主人公を演じたライアン・ゴズリングはこう語る。[*1] ■「人間とは何か」とは何か 前作に主演し、本作にも出演したハリソン・フォードは、『ブレードランナー』が「人間とは何かという問いに答えようとしている。だから文化の違いを超えて世界で成功した」と述べている。 人間とは何か――確かに『ブレードランナー』はその問いを取り上げていよう。だが、考えてお
1982年に公開された「ブレードランナー」の続編である「ブレードランナー2049」(ニー・ゼロ・ヨン・キュウ)が10月6日に全米で公開となった.日本でも10月27日に公開となるが、10月5日に東京で完成披露試写が行われ、みることができた.直後の感想はなかなか一言でまとめられない.それは映画を観たというより、これまでにない体験をした興奮だった. 1982年にブレードランナーを観たときはその内容の濃さとストーリーと映像と音楽に圧倒された.それはキューブリックの「2001年宇宙の旅」をテアトル東京で観たときの衝撃と同じ体験だった.そして、今、「ブレードランナー2049」はサードインパクトとなったのである. ヴィルヌーヴは絶対に 超ブレードランナーオタクなのだっ というわけでブレードランナー2049なのだが、冒頭から泣いた.前作と同じ、眼球のアップからスピナーの飛行で、音楽がくる=涙.そして、主人
第17回:「ブレードランナー2049」を10倍楽しむためのポイント101982年の公開初日にキャパ1000人超の新宿ミラノ座で、わずか数十名の観客とともに観たレプリカントの夢。あの夢の続きに、こんな幸福な形でめぐり会える日が来るとは思わなかった。望み通りの編集で公開されなかったリドリー・スコット監督の作品に懸けた信念によって、複数のバージョンが作られ、ビデオの隆盛に歩みを合わせてカルト化した「ブレードランナー」。そして35年後に生み出された正統なる続編。看板を借りて伝説を台無しにするケースも少なくないが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の志は高かった。これから先の世界と人間のあり方を見据えた、新たな伝説が誕生したと言っても過言ではない。スコットが製作総指揮に回り、ヴィルヌーヴにクリエイティブの全面的自由を保証した賜物だろう。世界観を引き継ぎながら、単なるフォロワーに陥ることなく、オリジナリティを全
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