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生活と精神疾患に関するfuronu114のブックマーク (4)

  • わたしが発症したときのこと のつづき(思春期の統合失調症) - くるんちゅ日記

    こんばんは、くるんちゅです。 ちょっと前にわたしはこんな記事を書きました。 kurunchu.hatenablog.com 公開するのにとてもおおきな勇気が必要な記事でした。なぜなら、病状がかなり克明にしるされているからです。 わたしは、病気であることについて、色々なことを色々な人に言われて育ちましたので(人はこれを差別と呼ぶのかもしれませんが、そのような単純な話ではございませんのでそれについてのわたしの考えはあとでお話します)、自分の病気や感情についての生々しい話をすることを無意識に避けていたのです。 しかし、いただいた反響はあたたかいものでした。 つづきを読みたいというかた、へーと思って読んだというかた…。星もたくさんいただきました。 ですので、これからつづきをおはなししようとおもいます。 前回よりさらに暗いおはなしになってしまいますので、一応閲覧注意です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    わたしが発症したときのこと のつづき(思春期の統合失調症) - くるんちゅ日記
  • 私が思う「心が弱い人と強い人のちがい」 - ニャート

    心が弱い人と強い人のちがい ある人が自殺したときに、「そんなことで死ぬなんて」と言う人がいます。 Aさんには「そんなこと」でも、Bさんには同じことが死ぬほど苦しい場合があります。 たとえば、身長148cmのきゃしゃな人と、身長190cmの筋骨隆々な人がいるとします。 どちらが肉体作業に向いていないかは一目で分かるでしょう。 そんなふうに、心が弱い人と強い人のちがいが一目で分かるといいなと思い、それぞれの心の許容量を入れ物にたとえてみました。 心が弱い人は、口は大きいのに容量は小さい、不安定な入れ物です。 同じ量の雨(つらいこと)が降っていても、心の弱い人の入口(感受性)は広いため、雨がいっぱい入ってきます。 なのに、容器(心の許容量)は小さいため、すぐにあふれてしまいます。 また、同じ量の雨でも、一つ一つの雨つぶ(つらい事実)の受けとめ方も、弱い人と強い人ではちがいます。 たとえば、「家族

    私が思う「心が弱い人と強い人のちがい」 - ニャート
  • うつ病のわたしが健常者の彼氏と別れて分かったこと。 - CindⅢ site

    2016 - 11 - 09 うつ病のわたしが健常者の彼氏と別れて分かったこと。 うつ病 スポンサーリンク わたしには大好きな彼氏がいました。 お互いに結婚を考えていました。 彼氏はわたしの抱えるハンデ(など)を全て知った上で、2人で乗り越えよう、幸せにすると言ってくれました。 できない分は僕に頼ればいいといつも言ってくれました。元気にならないでいいとまで言ってくれました。病気とは付き合いながら生きていけば良いと。 その言葉にいつも励まされてきました。 でも、無理でした。 彼は不満を溜め込んでいたのです。 うつ病と、それによって起こる日常の失敗の数々、そしてそれに対するわたしの考え方や対応に彼は違和感を覚えていて、彼に限界がきてしまいました。 健常者の彼は、うつ病を理解できませんでした。 わたしは、まだうつ病をすぐに寛解に持っていけるほど良くなっていませんでした。 今回はそんな、うつ

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  • 2年前に「死にたい」気持ちにとりつかれて自殺したかった私のいま - アラフォーからはじめる!

    2年たつと……あれ? 「全然死にたくなくなった」 私は自死遺族(母)です。20代半ばで、母を自殺で失いました。 そして、自分自身も長い間希死念慮に悩まされてきました。 人間って変わるもので、今現在の私は、特に死にたいと思ってないですし、むしろやりたいことが見つかったので今はまだ死ねない、ぐらいに思うようになりました。 今、しみじみ思うのは「死ななくてよかったなー」ということです。 そして、かつての自分のように死にたい気分に苦しめられている人や、自死遺族の人たちの役に立てることはないかと考え、作家業のかたわら精神保健福祉士としても活動をしています。 今回は、死にたい気持ちに取りつかれていたころの私と、今の自分の変化について書いてみます。 死にたい気持ちの渦中で思った「もしかしてうちは自殺の家系なんだろうか?」 話は私が中学の頃にさかのぼります。 私の母は、アラフィフになってから、フルタイムの

    2年前に「死にたい」気持ちにとりつかれて自殺したかった私のいま - アラフォーからはじめる!
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