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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (49)

  • 小林麻央さんの訃報を聞いて - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com 小林麻央さんのご冥福をお祈り致します。 小林麻央さんの闘病しながらの日常を綴ったブログ、ずっと読んでいました。 僕の母親も乳がんで亡くなっていて、家族としてその経過をみてきましたし、職業柄、厳しい状況であると認識はしていたつもりなのですが、訃報を聞いて、涙が止まりませんでした。 悲しい、若くして亡くなってかわいそう、という感情よりも、最後まで発信をつづけ、がん患者としてではなく、ひとりの人間として「日々の幸せだったことや家族のこと、心の揺れ」を綴り続けた麻央さん、そして、海老蔵さんをはじめとする家族の方々の「生きざま」への敬意のほうが、ずっとずっと強かった。 不謹慎なのはわかっているけれど、「お見事でした」と思いながら泣きました。 僕は最初の頃、小林麻央さんの闘病ブログに、あまり良い感情を抱いていませんでした。 それは、彼女への反感というよりは、「同じような病気

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  • phaさんの「ひきこもらない」と、僕の「ひきこもれない」 - いつか電池がきれるまで

    keizokuramoto.blogspot.jp これを読んで考えたこと。 僕は最近、phaさんの『ひきこもらない』というを読みました。 fujipon.hatenadiary.com そのなかで、ものすごく印象に残ったのが、この文章だったのです。 結局、自分が欲しいものは最初からすべて狭い部屋の中にあった。外に何かを求める必要はない。 ただ、同じ空間にずっといると飽きてしまったりするから、ビジネスホテルに泊まるみたいにときどきちょっとだけ環境を変えてやって、何か少し世界に新鮮味があるような錯覚を自分に与えてやればいいんだろう。大体世界に画期的な変化なんてほとんど起こらなくて、ほとんどは自分が少し世界の見方を変えることで何かが変わったような気がするだけだ。 人生なんていろいろあるようで結局そんなもので、狭い範囲を行ったり来たりしながら同じことを繰り返して、体力が余ったら適当に消耗させて

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  • 「『神』というのは、理不尽でな無慈悲なことをするからこそ、『神』であり、信仰の対象になるのだ」 - いつか電池がきれるまで

    peoplesstorm.hatenablog.com eraitencho.blogspot.jp 二番目のエントリのブックマークコメントには、批判的なものが多いようです。 b.hatena.ne.jp 僕も10年前だったら、たぶん二番目のエントリを批判していたのでしょうけど、宗教についてのを読んだり現地の人々の考え方に触れたりすると、「信仰とはそういうものだ」というのは、けっして間違いではないと思うんですよ。 宗教の教義に合理的な説明を試みるのは悪いことではないけれど、その宗教を信仰している人たちに「科学的な解説」を押し付けるべきでもない。 fujipon.hatenadiary.com こののなかでは、「神の理不尽」が、これでもかと紹介されています。 『ヨブ記』は、旧約聖書のなかでも有名な「諸書」のひとつです。 これは、「神を信じて正しく生きていた「義人」ヨブの話なのですが……

  • ネットが生んだのは、フラットな社会ではなく、これまでの「党派」の焼き直しでしかなかった。 - いつか電池がきれるまで

    d.hatena.ne.jp このエントリについて、思ったことをつらつらと。 清水さん上から目線で感じ悪い、というコメントがたくさんあって、僕も正直、ヨッピーさんはいくらもらってもPCデポの提灯記事とかは書かないだろう、とは思うんですよ。 いまの広告というのは、「商品をあからさまに宣伝する」というものではなくて、企業やブランドのイメージ、あるいは好感度を上げる、というようなもののほうが目立ってきていますし。 少なくとも、ヨッピーさんの記事の多くは、クライアントへの「親しみ」をアップさせるのに貢献していると感じます。 いまのネット界隈をみていると、イケメンや美人が思い入れもないのにやっている「ビジネスアニメ好き」「ビジネス鉄道好き」みたいなのって、すぐに底が見えてしまうんですよね。 みんなの「人を見る目」は、けっこう正しい。 でも、このエントリには、清水さん感じ悪い、で読み飛ばしてしまっては

  • 「正義の味方」という言葉の由来について - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp この『はてな匿名ダイアリー』をみて、僕も以前、なぜ「正義」ではなくて、「正義の味方」なのだろうか?と、疑問になったことを思い出したのです。 実は「正義の味方」という表現は、ずっと昔からあったわけではなくて、太平洋戦争が終わってしばらく経った1958年に放送がはじまった『月光仮面』で使われ始めたのです。 fujipon.hatenadiary.com 『クイック・ジャパン』創刊当初の名物企画から生まれたインタビュー集『篦棒(ベラボー)な人々』のなかで、『月光仮面』の原作者であり、「正義の味方」という表現をつくった川内康範さんが、こんな話をされています。 川内康範:月光仮面は月光菩薩に由来しているんだけど、月光菩薩は来、脇仏なんだよね。脇役で人を助ける。月光仮面もけっして主役じゃない。裏方なんだな。だから「正義の味方」なんだよ。けっして正義そのものではない

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  • 『ヒカキン密着24時』を観て、「セルフブラック労働」について考えた。 - いつか電池がきれるまで

    kabumatome.doorblog.jp (たぶん)日でいちばん有名なYouTuberのHIKAKINさん。 そのHIKAKINさんの24時間に密着(と言っても、撮影・編集も人)した動画が公開されていました。 ヒカキン密着24時 〜YouTuberの裏側〜 僕自身はHIKAKINさんの動画は全部観る、というほどのマニアではないのですが、あれだけたくさんの動画を撮影し、編集して公開すると、こういう生活になるのか……とあらためて思い知らされます。 普段はここまでハードじゃないと思いたいけれど、部屋の様子や動画の撮影・編集に必要な時間などを考えると、「通常営業」もそんなに変わらないような気がします。 ひとりだけの部屋で顔芸やって、自分でそれを編集しているシーン、なんだか鬼気迫るものがあるな。 「ちょっと仮眠して……」っていうシーンが何度か出てきますが、この動画を観たかぎりでは、HIKAK

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  • 「父の死をSNSに投稿した夫が許せない」という人に「切り捨てること」を勧める人々 - いつか電池がきれるまで

    togetter.com ゴールデンウイーク明けにこういうのを読むと、五月病が悪化するような気がする、すみません。 最近つくづく思うのは、お金をもらっているわけでもないのに(あるいは、お金が主な目的ではないのに)、個人ブログをやったり、SNSにマメに投稿したりしている人というのは、お金目的の人より、ある意味「依存している」のではないか、ということなんですよね。 身内のことをネタにするのは、基的に望ましいことではない。 椎名誠さんの『岳物語』は名作だけれど、息子さんからは「もう自分のことは書かないでほしい」と抗議されたそうです。 それで、書かなかった娘さんのほうは、「自分はあまり構ってもらえなかったのではないか」となんとなく壁ができてしまった。 一度「書く人」になってしまうと、書くのにも、書かないのにも、それぞれ邪推みたいなものが入り乱れてしまう。 だからといって、社会の出来事を書こうとす

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  • 「露出狂」か「いっちょ噛みしたい人」でないと、ネットで生き続けるのは難しい - いつか電池がきれるまで

    nogreenplace.hateblo.jp 自己というのもリソースで、無限に湧いてくるリソースなんていうものはどこにもないと思う。自分を切り売りして何かを発信している人は、いつかネタが枯渇する。その時に余所にリソースを求めるのか、自己をもう一度育て直すのかはその人次第であるけれど、大体は枯渇したものは元に戻らない。そして枯渇したことに気が付かない人は結構多い。そもそも自己を切り売りしていた自覚すらないのかもしれない。そういう発信が増えることは恐ろしい。要は「どんなことを言っているのかわからないけれど発信している」状態の人が増えるということは情報の相対的な無価値化が進むことに他ならない。 SNSや個人ブログのコンテンツって、ある程度コンスタントに更新し続けようとするのならば、結果的には「自分」しかないのだと思う。 調べたことや研究結果などを書くことは不可能ではないけれど、日記は毎日綴るこ

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  • 「『東北で良かった』…東京の皆さんの本音ではありませんか?」にこめられた地方民のルサンチマンを、東京の人々はまだ知らない。 - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com irorio.jp この件に関しては、あまりにも配慮に欠ける発言ですし、そもそも「あっちの方」という言葉に僕はものすごく引っかかったのです。 じゃあ、あなたにとっての「ここ」は、どこなのですか? 今、しゃべっている「東京」が、「ここ」で、東北は「ここではないところ」なのか。復興相という役職についているにもかかわらず、東北を「あっちの方」って…… 二番目のリンクにあるように、個人が、「自分たちが住んでいる場所じゃなくてよかった」って思うことは、仕方が無いことでしょう。 ただし、それを口に出されれば実際に被害に遭ってしまった人たちは少なくとも良い気分にはならない、ということは想像できてしかるべきだし、復興の責任を担っている人が、言うべきことでもない。 そもそも、スピーチライターとか、いなかったの? これはもう、辞任も当然、という話だったのですが、それに続いて、産経新

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  • SNS時代の美術館や博物館の「写真撮影OK」戦略のゆくえ - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com www.yomiuri.co.jp 山幸三・地方創生相の発言は乱暴だし、いろんな創意工夫をしている学芸員さんたちに失礼だとしか言いようがありません。公立の図書館がみんな「TSUTAYA図書館」になってしまって、地元の文化財を紹介するコーナーがカフェスペースになってしまうのが「正しい」ことなのか? しかしながら、いち利用者としては、「TSUTAYA図書館」は入りやすいし遅い時間まで空いているし使い勝手が良い、と感じたのも事実です。 税金を使っているのに、ほとんど人が来ないような「文化財コーナー」に存在意義があるのか。 効率や収益にとらわれて、大事なものを失ってはいけない。 しかしながら、誰にも見てもらえない状況で、何の工夫もせずに赤字を垂れ流すのは、「自分はわかっているつもりの人の自己満足的な文化財保護」だという視点は、けっして間違ってはいないと思います。 ただ

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  • 他人には伝わりづらい「コミュニケーション恐怖症」について - いつか電池がきれるまで

    hagex.hatenadiary.jp この話を読んで、僕はこの「自称コミュ障」という女性って、僕と似たところがあるなあ、と思ったんですよ。 世の中には「人間大好き」「コミュニケーションこそ人生の喜び!」っていう人がいる一方で、「他人と一緒にいること、日常会話をすることが苦痛でたまらない」という人もいます。 ただ、傍からみると「天性のコミュニケーション強者」みたいにみえる人でも、人はけっこう努力していたり、営業スマイルだったりすることは少なくないんですよね。 それでも、「コミュ障」よりは、よっぽど人生ラクじゃないか、と思われるかもしれませんが、「普通にコミュニケーションができるようにみえる人」あるいは「他人に愛想良く接することができて、どんな人ともそれなりにうまくやれている、人付き合いが上手そうな人」がみんな「コミュニケーションが得意」なわけではありません。 「人とうまくやらなければな

  • 「慰安婦像ツイート炎上事件」について、筒井康隆ファンのひとりとして思うこと - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com news.yahoo.co.jp 僕は高校生のときに『48億の妄想』を偶然手に取って以来、筒井康隆さんの大ファンであり続けています。 そもそも『48億の妄想』は、1965年に書かれたものであり、30年前の時点で、すでに20年くらい前の作品だったんですよね。 にもかかわらず、筒井作品には「いま、ここにある現在」が描かれていました。 差別とかエログロをあえて描く、という筒井作品は「潔癖な男子」だったはずの僕にはすごくインパクトがあったのです。 筒井さんが描く『悪』は「露悪的」であり、そこには「綺麗事で覆い隠されているもの」を面白おかしく引きずり出してやろう、という意思を感じていました。 ……というのは僕の「読者的きれいごと」であり、一種の「こわいものみたさ」とか「見世物小屋的な興味」のほうが大きかったのかもしれませんが。 ただ、筒井さんは、ずっと「露悪的エログロ作家

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  • やりすぎない。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):野次や文句はブロガーにとってご褒美 - Hagex-day info おお、あのHagexさんに言及されたぞ!と、けっこう高揚しつつ読みました。 おっと、話がずれてしまいましたが、観客気取りで「悪意がある」ユーザーのコメントにイライラしたら、「かかわったら負け」と思わず全力で反論すべきです。 僕自身は、これに関しては、賛成できないんですけどね。 Hagexさんみたいな、徹底的にやれるだけの覚悟と能力がある人以外はやらないほうがいいと思います。 (Hagexさんも、むやみやたらと殴り合えと仰っているわけではないです、念のため) ずっといろんなブログや個人サイトをみてきて、僕はこんなことを考えるようになりました。 参考リンク(2):個人サイト「大国の興亡」(琥珀色の戯言) というかこれ、もう8年前に書いたものです。 「さむたま国」とか、多くの人は「何のこと?」って感じじゃなか

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  • 「アンタッチャブルな正しさ」で、誰かを徹底的に追い詰めるということ - いつか電池がきれるまで

    nomuch.hatenablog.com b.hatena.ne.jp これは、能町さんの「逆鱗」に触れることだったのだろうな、と思いながら読みました。 僕は能町さんが言っていることが正しいと思うし、北条かやさんという人は、文章を商売にしているのに、あまりにも配慮も覚悟も足りない、と感じています。 これを読んでいて、以前、インターネットで僕のことを批判してきた人たちがいたことを思い出しました。 いや、批判はしょうがないんだけど(まっとうな批判の範疇であれば、いちいち反応もしないことがほとんどです)、人格攻撃や家族にまで言及した誹謗中傷や、「どこそこであの人の悪口を言っていた」とか、根も葉もない嘘まで書かれていたのです。 第三者として読むと、「こんなのどっちが正しいかなんて自明の理なんだから、相手にしないほうがいいんだよ、スルー推奨!」って気分になるのだけれど、当事者としては、「黙っていて

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  • 「出前の器は洗って返さない」という「非常識」な人たちの言い分 - いつか電池がきれるまで

    netallica.yahoo.co.jp 終わっちゃうんですね、『怒り新党』。 3月8日の放送のなかで、こんな「国民の声」が採りあげられていました。 私はアルバイトで宅配寿司の配達をしているのですが、桶を洗わずに返す人がとても多いのです。信じられません。 独り暮らしの学生とかならまだ理解もできますが、子どものいる家族でも平気でそのまま返してきます。しかもべ残しの材やゴミまでそのままです。 お二人(マツコさんと有吉さん)はちゃんと洗っていますか? 最近は使い捨ての容器の宅配も多いんですよね。 それはそれで、資源的にちょっともったいないかな、とも思うのですが、回収するのもなかなか大変らしいですね。店のほうも二度手間になるし。 これに対して、マツコさんも有吉さんも「もちろんちゃんと洗う」と仰っていました。 マツコさんは「洗わないどころか、汁がまだ残っているような器をそのままマンションの返却

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  • 「餌だけ食うのは有り」とか言う人を、信用してはいけない。 - いつか電池がきれるまで

    www.hitode-festival.com どうしても書いておきたいので書きます。 このエントリ、内容的には、高額のセミナーの入口になる無料を試しに読んでみた、というもので、何度も「セミナーへの参加はおすすめしません」と強調もされています。 そんなに悪意はなさそうだし、こういう「ちょっと怪しい商売を(身体を張って)試してみました」というネタは、そんなに珍しいものではないですし、けっこうニーズもあるんですよね。 まあ、「自分で試してみる」のは、リスクが高いので、誰かが「人柱」になってくれればありがたい。 多田文明さんというライターは、このジャンルで長年活躍(?)されています。 fujipon.hatenadiary.com fujipon.hatenadiary.com ただ、個人的な見解を述べると、こういう「どんなものか興味位で覗いてみよう」というのは、かなり危険です。 僕の職場に

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  • 「読書に集中する方法」と僕が睡眠時間を削って読んだ本8冊 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp ブックマークコメントでも、多くの人が「自分なりの集中法」を書いていました。 b.hatena.ne.jp 僕が集中できる環境というのは、電車や飛行機での移動中(車は酔うので無理)なんですよね。 を読もうと思って、博多から東京まで、飛行機ではなく新幹線に乗ることもあります。 まあ、そのつもりでも、途中で大概2時間くらいは居眠りしてしまうんですけど。 ただ、を読んでいて眠気に耐えきれなくなって、ウトウトしてしまうというのは、けっこう至福の時間なんですよね。 あと、ビジネスホテルの部屋で一人きりのとき、というのは、すごく集中できる環境です。 どうも、普段は周りに誘惑が多すぎるのかもしれません。 ただ、もっとも「集中できる」のは、病院で当直しているとき、いつ呼ばれるかとドキドキしつつ、こんな時間があるのなら少しでも眠っておいたほうが良いのではないか、と罪悪感

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  • 能力や仕事の内容と「給料」が正比例している世の中は、地獄なのかもしれない。 - いつか電池がきれるまで

    togetter.com 正直、このくらいの能力がある人だったら、たしかに時給1240円は安いな、と僕も思うんですよ。 僕はわりとキュレーターの人が書いたとかも読んでいるのですが、こういう美術館の仕事って、憧れている人が多いわりには求人の枠が少ないので、「買い手市場」になりがちなのと、国立西洋美術館のような名門での勤務実績は、将来的なキャリアアップにつながる、という面もあって、この時給だけでは判断できないところもあるんですよね。 その場での給料と仕事量、でみるならば、「キツい研修病院の研修医の給料」なんて、訴えられまくっているはずです(一部で訴訟になった事例もあるみたいですけど)。 彼らは「時給でいえば、コンビニでバイトしたほうが稼げるよね……」と愚痴を言いつつも、当にコンビニバイトに転職した人は見たことがありません。 あまりにも搾取的な金額は問題がありますが、将来への布石として「いま

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  • 「ネットで書くこと、書き続けること」の耐えられない軽さと重さ - いつか電池がきれるまで

    毎年、最初のエントリは、「ブログの話」みたいなのを書いています。 (今年は『ゆく美 くる美』のことを紹介したくて、そちらになってしまいましたが) fujipon.hatenablog.com fujipon.hatenablog.com 昨年末、「ネットで書くこと」について、気になるエントリを読みました。 akikomainichi.hatenablog.com これを読んで、当にそうだよなあ、って。 より多くの人に読んでもらおうとすると、ある種の「明快さ」みたいなものがあったほうが良いのですよね、たぶん。 最初は「わからないものを、わからないまま」書こうとしていたつもりなのに、読まれることに慣れていくと、読んでもらえないのが怖くなって、どんどん「決めつけること」や「目立っている何かに言及すること」に走ってしまう。 結論が出ないことを、いかにも「こうするべき」みたいに書き、「○○するため

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  • 「人生経験マウンティング」したがる人たちについての一考察 - いつか電池がきれるまで

    www.news-postseven.com news.biglobe.ne.jp この石田衣良さんの言葉を読んで、僕もなんだかすごく嫌な気分になったんですよね。 『君の名は。』が気に入らないのなら、作品を批判すればいいのに、なんで監督の人生経験を(勝手に想像して)揶揄するのだろう? でも、こういう手合いに、わざわざ新海誠監督が反応してしまっているのをみると、こういう「人生経験マウンティング」みたいなのは、やられたほうには、けっこう「効く」のも事実なんですよね。 少なくとも、僕はイヤだな、それが事実であろうがなかろうが。 記憶のなかに手を突っ込まれて、かき回されるだけで不快です。 そもそも、世の中の大部分の人は、一般的に「青春時代」と言われているような年代における自分の経験に、満足しているわけではないと思うし。 まあ、こういう「人生経験マウンティング」って、石田さんの「芸風」ではあるんです

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