中学三年の夏休みは、任意のテーマで論文を書くことが課題だった。 私がテーマとしたのは「太宰治と井原西鶴」。 もうすぐ6月19日の桜桃忌(太宰の誕生日であり、また、玉川上水からその遺体が見つかった日)を迎える。 今年は太宰生誕100周年。 かつての論文を再録して、幼い中学生の私が愛した太宰に捧げる。 今日はまず、要旨集に収録してある要旨を。 — 「聖諦へ〜太宰治と井原西鶴〜」 一般的に、太宰治という人は、破滅へ向かってまっしぐら、下降指向の人生を歩んだ人だと受け取られているようである。 しかし、それに疑問を持った私は、太宰の二人のライバルである井原西鶴と、イエス・キリストから見た、上昇指向の太宰治を検証してみようと思った。ただ、イエスはあまりにも重い存在なので、文学上のライバルである西鶴に重点をおくことにする。紙数も力量も足りないからである。 太宰は、もともと誠実、正義