タグ

ブックマーク / technique.hateblo.jp (16)

  • 「ほとんど見たことがない」 ⇒ 「1割は発達障碍」 - Freezing Point

    斎藤環氏は、数年前までは ひきこもり事例を20年*1、2000人以上みてきたが、発達障碍はほとんど見たことがない とおっしゃっており(参照)、これは業界内で際立って批判的な態度表明だったのですが、 最近のラジオでは、「全体の一割は発達障碍」という発言をされているようです。 見過ごされてきた発達障害の人は一定数いるだろうとされていますが、この割合は精神科医によって判断が分かれるところで、3割以上いるという人もいれば、私のように1割ぐらいだと言う人もいます。 (ひきこもり問題を考える TBSラジオ「Dig」テキスト化 Part.3) たいへん大きな立場の変更です。 私は「ほとんど見たことがない」という斎藤氏のお立場を自説の励みにしていたので、この変更にどういういきさつがあったのか、気になります。 *1:「1986年ごろから」とのお話だったと思います。

    「ほとんど見たことがない」 ⇒ 「1割は発達障碍」 - Freezing Point
    AFCP
    AFCP 2010/05/31
    "「ほとんど見たことがない」 ⇒ 「1割は発達障碍」"
  • 精神医学 - Freezing Point

    精神科医に最も影響力のある診断マニュアルDSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders、精神障害の診断と統計の手引き)*1は、アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)が定めている。 現在は第四版の修正版(DSM-IV-TR)が最新だが、2012年5月に公表予定の改訂版『DSM-V』では、大規模かつ根的な改訂が予定されている。 以下、『DSM-V研究行動計画』(非常に大きなPDFファイルによる原文) より(強調は引用者)。 激論の的となるのは、 疾患 disease、 疾病 illness、 障碍 disorder が生物医学(biomedical)の用語なのか、社会政治学(socio-political)の用語なのかである。 後者ならば必然的に価値判断が入ってくる。 必ずと

    精神医学 - Freezing Point
    AFCP
    AFCP 2009/11/29
    小林隆児の時代が来た!
  • 『A Research Agenda for DSM-V』の全文(無料) - Freezing Point

    DSM-V研究行動計画 作者: デイヴィッド・J・クッファー,マイケル・B・ファースト,ダレル・A・レジエ,黒木俊秀,松尾信一郎,中井久夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2008/07/24メディア: 単行購入: 16人 クリック: 224回この商品を含むブログ (10件) を見る ↑の英語原典である『A Research Agenda for Dsm-V』(2002)の全文が、精神医学の関連書籍を出版するAPPI(American Psychiatric Publishing, Inc.)のHPに無料で掲載されています*1。 http://psychrights.org/research/Digest/CriticalThinkRxCites/CharneyInKupfer.pdf リンク先で「READ IT ONLINE - FREE!」をクリックすると、「I give my

    『A Research Agenda for DSM-V』の全文(無料) - Freezing Point
  • ビデオ「ひきこもり脱出マニュアル 全3巻」(監修:斎藤環、2003年) - Freezing Point

    制作・著作・販売: 「PEエデュケーション」 【注文フォーム】 ある図書館でお借りして、視聴できました。 ひきこもり状況の再現ドラマのあと、斎藤環さんが細かく解説し、ご家族向けのアドバイスを提示するというもので、お話の内容そのものは、全国の講演会でなさっているのと同じものです。 60分のVHSビデオ1が24,150円と、面らうほど高額です。 事情は何も存じませんが、「上映権・貸出権付き」であることと、職の俳優・スタッフによる再現ドラマなどで、費用がかさんだのではないでしょうか*1。 ビデオの性質上、個人で購入して所有するというより、公共施設や「親の会」有志でお金を持ち寄って購入するのにふさわしいと思います。 内容そのものは、斎藤環氏が80年代以来、2000例におよぶ臨床経験から編み出したアドバイスであり、仮に批判があるとしても、「これを踏まえた上でどうするのか」という、拠点としての意

    ビデオ「ひきこもり脱出マニュアル 全3巻」(監修:斎藤環、2003年) - Freezing Point
  • 居場所の文法 - Freezing Point

    神戸芸術工科大学 「メディア表現学科特別講義A 〜ゲスト講師・新海誠氏」 7月1日(水) 14:40〜 司会: 大塚英志(学メディア表現学科教授) ※一般の方の聴講可となっております 聴講し、いい意味でショックを受けて帰ってきました*1。 以下は、私の個人的なメモです。【※発言の引用等については、主催者や発言者の許可はいただいていません。不正確な描写等に問題がございましたら、リンクやメールにてご指摘いただければ幸いです。適宜対応させていただきます。】 講演が新海誠氏(実作者)、司会が大塚英志氏(批評家・教育者)、コメントに川口典孝氏*2(事業家)、そして客席には、作品づくりに人生を賭けようとしている学生たち。 この配役(?)の緊張感が素晴らしかった。 単なる作品批評でも、単なるビジネス論でも、単なる「将来の夢」でもなく、いわば当事者どうしの真剣さの掛け合い。 ほぼ満員の聴衆がずっと聴き入

    居場所の文法 - Freezing Point
    AFCP
    AFCP 2009/07/06
    この文脈で行くなら、《批評=臨床》の枠組みではなく、《制作=臨床》ではないのかなあ。この一文の中でも混在しているようでもあるが。
  • 「体験を素材化すること」の周辺 - Freezing Point

    ★雑誌『ビッグイシュー』 第104号 発売中 斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は斎藤さんで、『私は降りることにします』です。 タイトルにあるとおり、次回の私の返信でこの往復書簡は終了です。 ここ数ヶ月のやり取りで、斎藤さんの何が問題なのか、いちばん核心的な部分は示せたと思います。 彼は反論で妙なことをいくつか言っており、検証素材として今後も参照価値があるはずですが、その検証をこそご一緒したかった。 中断されてしまったことが残念でなりません。 ただ今回のやり取りは、すべてが公の場に出ています。 その点で、むしろ安心できる。 当にやりきれないのは、寄ってたかって自分たちのトラブルを隠蔽しようとする業界関係者*1たちの状況です。 支援団体であれ自助グループであれ、ひきこもりの業界では、現状を体現するような重要なトラブルは、すべて水面下にある。 ひどい暴力で死亡者が

    「体験を素材化すること」の周辺 - Freezing Point
  • 政治的・法的にばかりでなく、臨床的な趣旨をもった《当事者化-論》 and back (メモ) - Freezing Point

    当事者論を標榜しながら私を非難してきた人たちと私との決定的違いは、「自分自身を対象化した当事者論になっているかどうか」だ。 相手を非難するのに自分を100%の正義に置ける幼児性に私は激怒している*1。 論じている自分を、相手との関係に置いて対象化していない。 「論じる側」=「見る側」が100%正義だという暴力。 論じているお前はどこにいるんだ。 生身の個人は、神ではない。 自分は常に間違いながら生きている。 何がどう間違っているかを100%決定できる地点を私は認めない(それが無神論だ)。 自分は弱者だから100%正しいとか、弱者の権利を代表しているから100%正しいとか言える馬鹿は、論じている自分が神だと考えている。 その絶対化=信仰を押しつける傲慢の暴力*2。 私は代わりに、場所としての自分を分節する作業を、そのプロセスにおいて絶対化している。 つねに新しく、ゼロから組み直される再検証。

    政治的・法的にばかりでなく、臨床的な趣旨をもった《当事者化-論》 and back (メモ) - Freezing Point
    AFCP
    AFCP 2008/10/03
    言いたいことはなんとなくわかる気がするけど、こんなめんどくさい人のいる領域を支援にいこうとは思わないなあ。「オレ(達)を助けにくるなら命綱なんてつけずに来い」ということですよねえ。
  • 2008-02-18

    朝起きるたびに、「順応するしかない」を思い出して吐きそうになる。 どこへ行っても、順応強迫のナルシシズムしかない。 「社会参加しなければならない」――着地点が先に決まっていて、あとはそれに合わせてできるかどうかだけが問題になっている。 課題だけが先に硬直して決まっていて、私はそれに合わせるしかない。 私の揺らぎより前に課題だけがある。 私はノイズでしかない。 だったら、生きている人間よりも課題だけが残ったほうがよい。 「生きなければならない」という課題だけがメタに先に決まっている。 《着手》こそが大事なのに。 取り組みのプロセスは徹底して置き去りにされる。 そこでこそ、支援者たちも自分の当事者性を忘れている。 だから追い詰めるばかりになる。 《着手》がなくて、《順応》の話ばかりになる。 「順応できた」の傲慢な自己顕示ばかり。 「生きなければならない」という課題だけを決めて後は人を特権化す

    2008-02-18
    AFCP
    AFCP 2008/02/19
    言いたいことは分かる気がするけれど、それでは支援のコストがかかりすぎるのではないかとも思う。この水準を常に要求されるならば、僕ならひきこもりの臨床からは手を引くかなあ。
  • 2007-12-23

    少し時間が経ってしまいましたが、先日の「カテゴリー化」に頂いたレスポンスについて。 「二、三年心理療法受けたら治るんじゃね?」(hotsumaさん) 「精神医学が臨床的に有害というのはよく分からない話」(井出さん) 私が問題にしていたのは、既存の専門性をベタに信じ込むことのまずさです。とりわけそれは、「知的な」まずさというよりも、各主体が社会化されるときの、臨床上のまずさにあたる。 ここでは、専門性を主張するお二人の主体事情も問われます。専門性への没頭においてみずからの心理的・経済的マネジメントをやりくりしている人が、その私的事情をパブリックに押し付けていないかどうか。そのような押し付けが集団となって専門職の共同体を形作り、圧力団体のように機能していないかどうか。ひきこもりは、むしろそのような制度順応の事情をこそ問い直すモチーフだと思います。 個別ジャンルについて知る努力をしつつも、専門性

    2007-12-23
  • 2007-12-03

    【その2からのつづき】 「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) 今回の座談会は、自分の居る場所で自分がどのように組織され関係を維持しているかを分析しない3人が*1、静態的な観察対象としてひきこもりの話をしている。この方針は、「社会にはいろんな人がいたほうがいい」という発想に基づく点でたいへんいたわりのあるものだが、「それを問題にしている自分自身」が、その受容の態度において分析されないまま肯定されており、「ひきこもりを対象化する制度的目線」については、対象化=論点化されていない。目線を体現する自分の位置づけを、分析的に検討する知的作業がまったくない。その拒絶の方針自体が、ひきこもりに不都合な環境を作る。 *1:分析するということは、失態や誤魔化しも素材にするということだ。ディシプリンで居直るところに分析はない。 ここで補助的に

    2007-12-03
  • 2007-11-17

    「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) 書籍を含め、全文を通読されることをお勧めする。細かいデータや社会学的知見が参考になるし、仮にそれが誤っているとしても*1、その検証作業がまた有意義だろう。 私自身、講演会等で井出氏の情報を参考にさせていただいている。 私が書や上記座談会に言及するとしたら、その趣旨は斎藤環への批判趣旨(参照)と重なる。 つまりここでは、主体の危機がそれ自体として主題になっていない。 ――いや、実は語られている。 macska: たしかに多くの女性は「理想的な身体像」を内面化してダイエットしたりしますが、摂障害はそれとは別だと思います。その別の何かを、わたしはいつもコントロール感と言っているんですが。自分の体をコントロールすることで、不全感から逃れる。 chiki: なるほど 井出: コントロール感と

    2007-11-17
    AFCP
    AFCP 2007/11/23
    ↓久しぶりに小林隆児先生の本が読みたくなりました。
  • 2007-10-16

    ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ (シリーズCura) 作者: 斎藤環出版社/メーカー: 中央法規出版発売日: 2007/10/01メディア: 単行購入: 14人 クリック: 177回この商品を含むブログ (25件) を見る【その2】、 【その3】、 【その4】 「治る」ということを、私は「自由になること」と考えています。 (p.186) まずニート経済学的用語ですが、ひきこもりはどの分野の言葉か所属がいまだにあいまいです。精神学*1用語でもありませんし、心理学でも、社会学でも、教育学の用語でもない。ただの状態像を示す言葉ですから、いまだにはっきりとした帰属場所のない言葉のままなのかもしれません。もっとも私は、このあいまいさがあるからこそ、学際的な研究が可能になると考えています。 (p.39) 斎藤環の主張する「ひきこもりの治療論」は、学際的に人を自由にすることを目

    2007-10-16
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 4 ひきこもりについて

    【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート3】 【上山・注】: 最後に、質問時間について。 ▼以下の記録の前に、男性と女性がそれぞれ1名ずつ長く質問され、かなり長時間のお返事があったのですが、当ブログのテーマである「ひきこもり」との関連が薄かったり、すでに繰り返し扱われた話題であったりするので、講演者の了承を得て割愛致しました。 ■質問(id:iDESさん) 「ひきこもり」の定義が、人によってちがう。 斎藤さんの定義では精神障害は除くとなっている。 厚生労働省の定義では発達障害も含むことになっている。 質問の一つ目は、斎藤さんの定義に発達障害に対する言及がない理由。 厚生労働省の定義に発達障害が含まれていることについての斎藤さんのご意見。 質問のもうひとつは、発達障害に対して精神分析ができることがあるとしたらどういうことか。 ■斎藤環氏の返事: 私はひきこもりの定義には発達

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 4 ひきこもりについて
    AFCP
    AFCP 2007/03/21
    発達障害について "私はひきこもりの中に発達障害の人はほとんど見たことがなくて" とのこと。
  • 2005-12-22

    一つはっきりした指針を得られたように思うので、備忘録的にメモしておく。 これはまだ最初の着手段階のメモ。 イベント「「人生にYesNo枕!」〜摂障害・ひきこもりニートの人間関係学〜」で同席した際、樋口明彦氏がおっしゃっていたこと(大意): 僕が抽象芸術が好きなのは、それが「非人間的」だからです。 その場では何も言わなかったが、実は横で聞いていてシビレていた。 三脇康生氏の発言で僕が最も感銘を受けたもの: 「分析の consistency」 この遂行は、人間的な《交流》と相容れず、それゆえ「人間味がない」「アタマがおかしいんじゃないか」などと非難されがち。 ▼《交流》が《交渉》より優先すると、抑圧が発生する。 斎藤環氏の臨床面接の方法: 「親切な宇宙人」 「味方のロボット」 ある教育社会学者*1(大意): 教育が、甘ったるいヒューマニズムばかりで語られる。 社会的な視点がない。 いわば「

    2005-12-22
    AFCP
    AFCP 2005/12/22
  • 2005-11-19

    19日、こちらのイベントに聴衆としてお邪魔した。イベント中もたいへん勉強になったが、今日いちばん印象的だったのは、終了後に聞いた次のお話(大意)。 むかしの釜ヶ崎の人間は、貧しくはあったが、精神的に健康だった。仕事が終わったら「ガハハハハ」、と笑いあう感じ*1。しかし最近では、釜ヶ崎にいる人間の半分以上が精神的にヤバくなってる。 なんだこれは。 「資主義が爛熟したからだ」などと言っても何も説明したことにならない。 昔は、「貧困問題」として考えていればことが済んだ。 今は、それでは事態の一部分しか考えられていない。 *1:即座に思い出したのは宮崎駿の世界観。 「共同体内における、労働者同士の哄笑」というモチーフ。(『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』など) 「ひきこもりは、その状態像に対する依存症的な状態である」と言ったとして、それは「答え」ではない。いわば「議論にアタリをつけてみた」とい

    2005-11-19
    AFCP
    AFCP 2005/11/20
    議論の出発点における文節価値。多くの精神疾患を診断する意味はここにあるのか。特に発達障害は。
  • 2005-07-12

    11日、福井県武生市の仁愛大学に、授業内講演などでお邪魔した。三脇康生氏のお招きだったのだが*1、「ストレス」に関する三脇氏の考察や、学生さんたちとの交流に非常に救われた。簡単にメモし、今後につなげたい。 これを引き金としつつ、今の自分にとって最もクリティカルな話題を書いてみる。 *1:仁愛大学だけですでに3回目。三脇さんには、当に感謝しています。 「アルバイト経験のある人は分かると思うが、トラブルのない仕事はない*1。ということは、《仕事を選ぶ》とは、《どのトラブルを選ぶか》ということだ。仕事を選ぶときは、やり甲斐などの肯定面より、《どのトラブルにだったら巻き込まれてもいいと思えるか》を考えるといいのではないか」 三脇氏の勧め*2で授業中に触れてみたのだが、学生さんの反応が最もよく、授業後の感想文でもいちばん多く触れられていたのが、この話だった。 【参照1】、【参照2】 *1:玄田有史

    2005-07-12
    AFCP
    AFCP 2005/07/13
    そもそもこれを必要とし、これで「治る」ならば狭義の患者ではない。
  • 1