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哲学と*あとで読むに関するAriyosiのブックマーク (3)

  • 分類についてのあれこれ

    シノハラユウキ @sakstyle 先月は、ボカクリ感想から始まって、インタビューズでアイマスについて書いて、『ゴーストの条件』感想、音楽の哲学シンポ感想、筑波批評の原稿、(これは10月だけど)『キャラクター精神分析』感想と、やけに色々書いたような気がする。 tricken(Bluesky: @falettinsouls.info) @tricken こないだどっかのタイミングで死に舞さんが言ってた「ジャンル=タグ」がどんどん馴染み深くなっている。いわば、ソウル/ダブ/レゲエ/ジャズ/ゴスペル/ブルースなどのタグ群がある中で、[ファンク]というタグをどんどん掘ってるようなものなんだよなあ、自分の音楽の聴き方。 tricken(Bluesky: @falettinsouls.info) @tricken だから単一のミュージシャンのアルバム中一曲だけに[ファンク]というタグがつくことはある。

    分類についてのあれこれ
  • 煩悩(passion)と慈悲(compassion)と

    仏典のある英訳を見るに、「煩悩」をpassion、「慈悲」をcompassionとしている。 これによれば「慈悲」とは、つまり「共-煩悩」である。 compassionとは、接頭語と語幹を切り放せば、辞書の意のとおり「同com-+情passion」となる。 あまりの一致に明治以降の翻訳語かとも思えるが、「同情」は『史記』にも出てくる。 そのまんま「心情を同じくする」の意味だ。 「同情されるのは好きじゃない」「同情はやめてくれ」などと言うものがいるが、どうやら「同情」のなんたるかが分かっていない。 「同情」は、憐れみよりも「共感」である。 腕をもがれ血を流す人がいれば、少なからずそのことに引きずられる。 たとえでなく、痛みを〈感じる〉ことすらある。 これは好き嫌い以前の、否応なき事実であり、一種の法則である。 否、これこそ、「生相憐み、死相損つ」というところの「憐」であり、生きているもの同士

    煩悩(passion)と慈悲(compassion)と
  • ホッブズ『リヴァイアサン』を3分間で説明する

    ホッブズは『リヴァイアサン』というの中で、国家(やその権力や社会秩序)がどこから生まれるかという謎にひとつの答えを出した。 それも「神様のような人間以上のものがうまく設計したのだ」というご都合主義ではないやり方でだ。 原子論が「自然は運動する原子の集まりだ」と考えるように、ホッブスは社会を人間のあつまりだと考えた。 そして人間の性質からはじめて、人間の集まりで何が起こるか、人間と人間が関わりあうことから何が生まれるかを考えた。 どんな人間にもあてはまる性質は、「死にたくない」という欲望と、「おれが、おれの方が」という欲望を持っていることだ。 「おれが、おれの方が」という欲望は、死ぬまで無くならない。 だから、このままだと、いろんなものを取り合って、人間は死ぬまで争い、どんどん死んでいくことになるだろう。 だが人間には「死にたくない」という欲もあり、そして多少はものがわかる能力もある。 こ

    ホッブズ『リヴァイアサン』を3分間で説明する
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