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ブックマーク / deadletter.hmc5.com (17)

  • 「盛大に釣られる人々」について (Dead Letter Blog)

    こんな記事が話題になっている。 自民の首相経験者に頼めず…ポーランド国葬に江田議長(朝日新聞)政府は16日、政府専用機の墜落事故で亡くなったポーランドのカチンスキ大統領の国葬に、江田五月参院議長を代表として送ることを決めた。外国首脳の葬儀には、首相経験者らを送るのが通例だが、「自民党の人に頼むわけにもいかない」(首相周辺)。政権交代の余波に悩んだ末の前例のない人選となった。 (中略)衆参両院の広報課によると、議長が外国首脳の葬儀に参列した例はないという。 ポイントは「前例のない人選」「議長が外国首脳の葬儀に参列した例はない」というところ。ここを根拠に現政権の非礼さ・国際的な常識の欠如を言い立てる人々がネット上に盛大に湧いて出て来ている。というわけで僕なりにこの記事を検証してみることにする。 まず第一に今回のように「外国の元首が任期中に亡くなり葬儀が行われる」というのがかなりのレアケース

  • 「一意的な解」を僭称する人々 (Dead Letter Blog)

    前回のEntryの補足。 それほど注意深く読んでもらわなくても分かると思うのだけれども、別に僕はジェイコブスの「2つのカテゴリー論」を前提にしていない。僕は単に「普遍的な倫理」、もっと分かりやすく言えば、「あらゆる局面において適用しうるモラル」など「存在しない」ということを前提にしているだけなのだ。 ところで僕は先日、俳優の吉田栄作が「R25」のインタビューで興味深い逸話を披露しているのを見た。彼はまずインタビュアーに「自衛隊員にとって最も重要なスキルはなんだと思うか」と問いかけ、最新作の映画の役作りの為に入隊した自衛隊の部隊の上官が教えてくれたことを得意げに披露したのだ。ちなみに彼が言うには、それは「使命感」なのだそうだ。まず指令があって、ターゲットに向かっていく以上、それだけに貪欲であらねばならないまず使命感。体力も頭脳も思いやりも、それを全うするために必要なだけ。「劇中で、3年間行動

  • 「政治性」への感性について (Dead Letter Blog)

    天皇と中国政府の要人の会見の設定について各紙「天皇は政治的に中立であるべき」・「政治に巻き込むな」と猛反発をしている。それじゃ、天皇の政治利用の最たるものだった1992年の訪中時の社説を幾つか拾ってみよう。まずは読売新聞の社説。もちろん、天皇の政治的利用は憲法上も許されない。政治的権能のない象徴天皇の外国公式訪問は、国事行為に準じる公的行為として内閣の責任で行うべきものだが、国家間の“儀礼”と思ってよい。訪中も個々の政治問題を超越した友好親善訪問とすべきだ。結果として、日中の国民感情に一つの区切りがつき、アジアの安定につながるのは、望ましいことでこそあれ、政治利用ではない。招請に応じないことで日中関係を後退させてはなるまい。訪中での「お言葉」については、わが国は日中共同声明で「中国国民に重大な損害を与えた」責任を反省していることだし、国民感情を踏まえたお気持ちと平和な世界への願望を表明され

  • ある種の道徳感情について (Dead Letter Blog)

    「時効殺人」賠償が確定=除斥期間適用せず-26年後自首の加害男に・最高裁のコメント欄に蔓延する殺人を犯した男への溢れんばかりの憎悪の「巨塊」は壮観ですらある。 曰く賠償以上に、一生苦しめてほしい殺人犯に魂の安息など与えてはならないはず時効で捜査が終了しても罪は消えない仕組みになればいいのに時効によって警察に追われなくなったからといってこいつの罪が消えたわけじゃないもちろん人の命はお金ではかえられないけど、遺族は生きていることに望みをつないで30年間、苦しみ続けたことを思うと安すぎるよなこの男以前テレビに顔を隠して出てきたのを見たけどその時も反省の言葉は出なかったな。人を殺して何が上告だ。賠償責任は当然の事だetc. 殺害されてから26年も経ってから「謝罪と賠償を!」と息巻く遺族に対して同情的なコメントが圧倒的多数なのがなんとも実に皮肉である。特に先の戦争で被害にあった人たちが民事訴訟を起こ

  • デマを指摘することの意味 (Dead Letter Blog)

    ここに一組の夫婦がいる。彼らは浮気をしてもいいということを暗黙の内に認め合っている。もしいきなり夫が、進行中の浮気について赤裸々に告白したら、当然ながらはパニックに陥るだろう。「もしただの浮気だったら、どうしてわざわざ私に話すの?ただの浮気じゃないんでしょ?」何かについて公に報告するという行為は、中立的ではありえない。(…中略…)秘密の情事についてたんに何も話さないことと、それについて何も話さないと公言することとの間には大きな違いがある(「いいかい、ぼくには人間関係すべてを洗いざらい君に話さない権利がある。ぼくの人生には、きみにはまったく関係のない部分があるんだから」)。後者の場合、暗黙の約束が明るみに出たとき、かならずやこの宣言そのものが更なる攻撃的なメッセージを発することになる。 学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言

  • 麻生太郎の経済観について (Dead Letter Blog)

    田中秀臣先生のこのEntryは非常に興味深い。 僕はいまの景気の減速がかなり深刻だと思っている。これはあとで追加して書くが、日銀行とFRBの政策の違いの究極的な理由にもなるのだが、日の政府は事実上、日銀行との政策協調に失敗している。もちろん当事者は失敗しているとは絶対に認めないだろう。しかし景気減速(しかも多くの政府関係者はお馴染みのレトリック「100年に一度」を使っているので相当深刻な意識をもっているのだろう。まあ、ただいってるだけ、という可能性もある)に対して、政府と日銀行は協調しては当に何もしていない。 例えば現状で、日政府と日銀行が政策について直接議論ができる場は、経済財政諮問会議しかない。久しぶりにこの会議の要旨をさきほどみて愕然とした。まったく日銀行の取り組みについて言及はないのだ。メインテーマは毎回、財政再建だけ! 「100年に一度」の不況がメインテーマになる

  • 「叩くこと」こそ目的? (Dead Letter Blog)

    インターネット上では「趣味・嗜好に少しでも支出する人間はその時点で支援を受ける資格がない」ということになっているらしい。 「派遣村 タバコ」・「派遣村・煙草」・「派遣村・酒」(Google ブログ検索より) さておそらくこの不況は、派遣社員のみならず、早晩正社員のクビきりという事態を生じさせるだろう。気をつけた方がいい。まさかとは思うが、いまあなたは煙草はもちろんのこと晩酌さえも当然控えていることだろう。そんなことをしていたら困った時に助けられる資格を失ってしまうのだから。 煙草や酒に費やす金と時間があったらいくらでも資格を取ることも住居を見つけることも貯金することも出来るらしい。ちなみに日人が平均で吸うタバコの数は約7/日なので(派遣村の人がその平均だとして)それで節約できるお金は約100円/日。3000円/月である。…なるほど。 …議論を進めよう。まさかあなたは普段晩御飯に肉や刺

  • 「ゲーム」に参加しないことの意味 (Dead Letter Blog)

    このEntryを御覧になる方は是非、以下もあわせて読んで頂きたい。 「被害者の人権」は普遍的か? 今朝のみのもんたの番組での下村健一のレポートのテーマは「被害者参加制度」だった。市井の人間が参加することになる裁判員制度が始まろうとする中で、さらに被害者遺族が当事者として加わるということの意味について問題提起するものだった。果たしてそこには某市で起きた母子殺害事件で有名になった被害者遺族のコメントが寄せられていた。その彼いわく「被害者が裁判に参加するのは当然」・「そもそも被害者を理解せずに刑を科すことなど出来る訳がない」。 彼は「裁判への被害者参加」が被害者にとって待ち望まれたものであって、被害者の癒しに繋がるものであることを露ほども疑っていないように見える。だが当にそうだろうか?というわけでここでは、彼の理想とするような司法制度がどのような帰結を齎しうるのかを考えてみたい(従って実際の「

  • 「イモ」こそが擁護されるべき。 (Dead Letter Blog)

    でも、イモも大事だよ。イモこそが、ここで擁護される権利そのもの 日国憲法が体現するリベラルデモクラシーとはまず第一に「個人が尊重される」ことを基底とする。ところで尊重されるべき個人とはなんだろうか?言い換えれば「どういう個人」を尊重すべきなのだろうか?ざっくりと答えを言ってしまえば「そのような内実規定はない」ということになるだろう。 僕もあなたもそれぞれお互いに容易には理解されない嗜好・価値観を持ちそれに耽溺している。そしてそれは基的にはどこまでも肯定されるべきだ。「親から受継いだ農地を守りたいという気持ち」、「みんなで楽しく芋掘りをしたい気持ち」全て、まず第一に考慮されなければならない大切な権利である。それを「取るに足らない」と切り捨てる社会は、結局「僕もあなたも取るに足らない」とすることに躊躇いを持たないだろう。 mojimojiさんが紹介されている「いしけりあそび」の2つのEnt

  • シニシズムの放棄について (Dead Letter Blog)

    mojimojiさんの一連のEntry周辺の議論。 排外主義者、あるいは日曜サヨク 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4 論点は2つ。 ・ネット右翼がなぜ中国のチベット支配を批判できるのか? ・中国のチベットへの抑圧を批判する為に左翼・人権派とネット右翼・保守派は共闘すべきか? 前者について。左翼・人権派がチベット問題を「ネット右翼が満足するようなかたちでは」取り上げていないこととチベット問題に類する人権問題に関してネット右翼がどのような態度を取ってきたかということは同列に並べられるべきではない。 仮に左翼や人権派のチベット問題への関心が相対的に低かったとしよう。しかし人間が有限的存在であって、あらゆる問題へコミットすることはできない以上、それは矛盾とまでは言えない。もしチベット問題について左翼・人権派がどの

  • それぞれに違うけれど「一つ」 (Dead Letter Blog)

    「ホワイトカラーエグゼンプション」提案時の2ちゃんねらーの反応 →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/892743.html →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1029469.html 行政の長の「超過勤務」を正当化する言い草に反論する職員への2ちゃんねらーの反応 →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1102983.html いや、興味深いです。かたや、「サービス残業に対する理解がまるでない」ことに非難が集中しているのに、かたや「サービス残業するのは能率が悪いから」ですか。もちろん同じ人が言っているわけではないのでしょうけど、同じ話なのに空気が「正反対」なのはどう理解したらいいのでしょうか。単に公務員が憎たらしい=叩ければ理屈は何でもいいとい

  • 「橋下徹の当選」の意味 (Dead Letter Blog)

    はてなブックマーク - ぼやきくっくり | なぜ大阪府民は橋下徹氏を選んだか はてなブックマーク - はてなブックマーク - ぼやきくっくり | なぜ大阪府民は橋下徹氏を選んだかあたりの議論に関して。 はてなブックマーク - 「ネガティブ・キャンペーンだ!」というネガティブ・キャンペーン - モジモジ君の日記。みたいな。 この中のD_Amonさんのコメントにあるように、橋下に投票するということは橋下の発言に見られる価値判断にコミットすることと事実上同等の意味を持つ。 「橋下氏の財政再建策に同意しただけで、核武装発言にはコミットしていない」とか、「買春は中国へのODA」という発言には同意していないとか、まあどのような意図で彼に投票したのか(支持を与えたのか)は人それぞれだろう。 が、ポイントは日において憲法で定められている「自由委任の原則」の下ではそのような「意図」はあまり意味がないとい

  • 「本当に困っている人」とは誰か (Dead Letter Blog)

    少し前の話題の蒸し返しで申し訳ないのだけれども。 インターネット上で「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、問題視された事例があった。重い心臓病で移植手術しか助かる見込みのない少女の親御さんたちやその友人らがその費用をまかなう為の寄附を募ったことに対して、彼らの公表する会計データに一部不透明なところがあるとして、それを「会計責任を果たしていない」、「詐欺同然」と糾弾する人たちが現れたのだ。 僕の興味を引いたのはこの問題の糾弾者たちが、「少女の命を救うなと主張したいのではなく、会計責任を果たしていないから批判するのだ」という論法を採っていたことだった。だがしかし一口に「会計責任」と言っても、お金を集める際の規模、目的等によって果たされるべき責任の程度は様々に異なる。仮に批判者達が言うような「厳格な会計責任」が求められるとするならば、それはどのような理由からなのか? 様々な理由らしきものが語られてはいたので

  • Dead Letter Blog - 自爆と倫理性

    それから、これだけはいっておきたいが、アラブの自爆テロは絶対に我々の言う特攻隊ではない。特攻隊は決して無辜の人を狙ったのではない。特攻隊は狂信者じゃない。当に悩み、悲しみ、迷いながら、自分の親、兄弟を守るために死んでいったんだ。それでなければ納得できない。(1)一体どの程度まで「信仰に狂えば」、自らの命を犠牲にして敵を攻撃することが出来るようになるのだろうか?来ならば、そこが明らかになって初めて僕たちはその人を「狂信者」と名指すことが出来る(または逆に「狂信者ではない」と言及することが出来る)。けれども多くの場合人は、「自らの命を犠牲にして敵を攻撃する」人間を単に「狂信者」と呼んでいるだけである。自爆攻撃行うアラブ人も、特攻を行った日人も、第三者(例えばアメリカ)からすれば「狂信者」だと等しく括られている。それが「狂信者」という語に関する一般的な語用論的事実である。 一見、石原慎太郎

    D_Amon
    D_Amon 2007/06/11
    「「自分の命を賭けた攻撃で無辜の民を狙わなかった」という事実が存在する一方で、「自分の命が脅かされていない状態で無辜の民を殺した」事実が同時期に存在するわけである」
  • 「戦後」は捨てたものではない? (Dead Letter Blog)

    「核の傘は存在していない」とか「アメリカは自らリスクを負ってまで日を守ってくれない(日米安保は実は機能していない)」という事実認識を披瀝する人たちがいる(この記事や小林よしのりや、まあ、その他の保守系の政治家・文化人の議論でもたまに見かける)。 ということは、この国の戦後60年間の「平和」は、「核の傘」にも「日米安保」にも依存せずに保たれたことになるのではないだろうか。日が平和であるのは「憲法九条」と「日教組による洗脳教育」と東アジアに対する「土下座外交」のおかげかもしれない。「スピリチュアル」かつ「オーラ」な観点からすると、戦時指導者によって餓死させられた(=殺害された)多くの「英霊」がこの上なく寛大な御心であの世から見守り給もうたのかもしれない。 いずれにせよ上の事実認識を肯定する立場を採用すると、少なくとも日は「自主防衛」を成し遂げていることになる。日も捨てたものではないとい

  • 「みんなの責任」という無責任 (Dead Letter Blog)

    中国交正常化交渉において、(1)日側が「今次田中総理の訪中は、日国民全体を代表して、過去に対する反省の意を表明するものである。従つて、日が全体として戦争を反省している」(大平外相)とまさに、「日全体が悪かった」と平謝りしていること、(2)それに対して中国側が「中国は日の一部の軍国主義勢力と、大勢である一般の日国民とを区別して考えており、中国の考えは、むしろ日に好意的である」と助け舟を出している、ことは前回述べた。 被害者がわざわざある加害者グループの特定の部分に責任を限定してくれている(責任は主犯格にあるのであって、そうではない「あなた」には責任は無い)のに、「いや、みんなに責任があったのだから、その限定は受け入れられない」と言い出す加害者は、普通に考えればかなり「非合理的」な思考の持ち主であると言わざるを得ない。 またその論理に従えば「軍国主義者どころか日中戦争に従軍した

  • 君に幸あれ (Dead Letter Blog)

    昭和天皇の死因は膵臓ガンだった。 彼が最初に倒れたのは昭和62年9月。ガンの進行による腸閉塞を起こしたのだ。東大病院の関係者は一様に驚いたという。「こんなに末期的な症状になるもっと前になぜガンだと分からなかったのか」。天皇家に敷かれている医療体制はこの国で最高水準のものだと、考えていたからだ(これは当時も、今も誰しもが思うことだ)。が、その内実はお寒いもので、彼はその時までまともな検査をほとんどしたことがなかったそうだ。天皇の身体に触れることが「畏れ多いこと」、「不敬である」とさえ考えられていたからだ。 さらに彼は、ものが通るように腸のバイパス手術を行っただけで、まともなガン治療を受けられなかったという。抗癌剤治療や放射線治療を行うには当然、病名の告知が必要だが、「告知はできない」という理由でそれら一切が見送られたのだ。当時のマスメディアでも「慢性膵炎」と報じられた。 彼は1年後(昭和63

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