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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (22)

  • @ProdigalSon_JPなる人物による韓西満と私とのやりとりに関するデマについて(下) | 私にも話させて

    3. 青瓢箪は「結局知人は謝罪したのですが、金はブログ記事を削除しませんでした。」と書いている。だが、上のやりとりから明らかなように、私は、韓にブログ記事の削除などそもそも約束していない。 しかも、謝罪すれば実名および関連個所を削除する、などという取引もしていない。韓のメールからも明らかなように、謝罪は韓が自発的に行なったものであり、そのことを韓は何度も強調している。また、私による韓の実名の削除も、「先ほど、当該記事の、貴殿の実名および関連個所は削除しましたが、これは、取引として応じたということではなく、これ以上のメールのやりとりがあまり生産的ではないと思ったからです。貴殿も、当該発言を削除しておいてください。」と書いているように、謝罪すれば実名および関連個所は削除するなどという約束なしに、韓の謝罪を受けて、私から自発的に行なったものである。 また、上の経過から明らかなように、大学時代の出

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    D_Amon
    D_Amon 2012/05/13
    「マイノリティ集団において、マジョリティに媚びて地位上昇を狙う人々は必ず存在する」「マジョリティは、都合のいいマイノリティの発言を持ち出すことで、容易に、マイノリティの権利を縮減することができる」
  • 「国民」の否定形としての「市民」 | 私にも話させて

    1. 昔から思っていることであるが、アカデミズムやマスコミ、(ネット)論壇周辺の在日朝鮮人(亜)インテリ、特に日社会に対して批判的(「反日」的)な在日朝鮮人は、個別の日人に対しては驚くほど無防備である。彼ら・彼女らの話を聞いたり言動を見たりしていると、日人は、「差別的な一般の悪い日人」と、「差別意識を持っているはずのない良心的日人」の二つに截然と分かれているようである。彼ら・彼女らには、そのような場とは無関係な、取り立てて「反日」的でない普通の在日朝鮮人が往々にして持っている「所詮日人だから・・・」という感覚・認識がない。 90年代以降に在日朝鮮人(亜)インテリがアカデミズムや(ネット)論壇周辺で消費されてきたのはなぜかというと、上のような認識を持っている在日朝鮮人(亜)インテリと付き合うことによって、「良心的日人」は日国民としての政治的責任、という問題系を回避できるからだ

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    D_Amon
    D_Amon 2011/08/08
  • 訴訟論理を通じた転向 | 私にも話させて

    少し前に書いたブログ記事「日の丸論議について(1)」に対して、読者から、「あなたは裁判上の「戦略」と反対論の論拠を取り違えている。日の丸・君が代強制に対して「思想・良心の自由」を論拠にして対抗するのは、あくまでも裁判上の「戦略」である。だから、あなたの批判は意味をなさない」という趣旨の批判をいただいた。 だが、事態はむしろ逆だと思う。私も対週刊新潮・佐藤優裁判で「思想・良心の自由」論を用いているように、訴訟上では「思想・良心の自由」論で闘うのは当然である。問題は、日の丸・君が代強制に対抗する上での、あくまでも訴訟上の論理として出されていたはずの「思想・良心の自由」論が、いつの間にか、訴訟とは基的には無関係のはずの言論領域でも反対論の主要な論理になってしまった点にある。時期的には1990年代か2000年代あたりであろう。だから、今や、新聞・出版メディアはもちろん、ネット上でも「思想・良心の

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    D_Amon
    D_Amon 2011/08/02
  • 「これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない」 | 私にも話させて

    厚生労働省が3月17日付で、放射能汚染された品のウランやプルトニウム許容量を設定したことが一部で話題になっている。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1301113622/ http://tokumei10.blogspot.com/2011/03/blog-post_499.html 広く知られているように(ただしテレビで言及されているのは見たことがないのだが)、福島第一原発の3号機はプルトニウムとウランの混合燃料(MOX燃料)を使用している。多分既にプルトニウムは漏れているのだろう。 ところで、偶然、友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を10数年ぶりに再読していたところだったのだが、以下の一節に目が釘付けになってしまった(強調は引用者)。 「日人が戦争中にあらゆる種類の事柄に関して述べた言葉が、比較文化研究者には

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    D_Amon
    D_Amon 2011/03/29
  • プチ・李忠成ブームと姜尚中 | 私にも話させて

    1. 姜尚中がまた醜悪な発言をしている。ちょうど、「在日朝鮮人言説の変容について」の連載とも直接関わってくる内容なので、簡単に触れておこう。 姜は、『AERA』2011年2月28日号(21日発売)で、自身の連載「愛の作法」で、李忠成のサッカー・アジアカップ決勝戦での活躍に触れて、「鮮烈なボレーシュートが予言する未来」という表題の文章を書いている。そこには、以下のようにある(強調は引用者、以下同じ)。 「どうやら日の優勝を決めた李忠成選手は東京生まれの在日コリアン4世らしいですね。たまたま映像を見たらユニホームの背中にも「LEE」と書かれていました。今回の活躍で李選手の存在を初めて知ると同時に衝撃を受けた方も少なくなかったのではないでしょうか。数十年前では考えられなかった光景です。在日につきまとうステレオタイプな悲壮感あふれる演出ではなく、自らの完璧なボレーシュートの如く突き抜けた感じのス

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    D_Amon
    D_Amon 2011/03/09
  • イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて

    1. 最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て

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  • イデオロギーの終焉(中) | 私にも話させて

    3. この「イデオロギーの終焉」という事態においては、従来型の「右」か「左」か、という区分は、全く意味をなさない。ある意味で、全部が「右」になったとも言えるし、「右」と「左」が国益論の枠組みで再編された、という言い方もできるだろう。ここにおいては、従来の左派は、国民レベルではより平等主義的に、対外国人レベルではより排外主義的な傾向を強めると思う。 例えば、外国人労働者問題について考えてみよう。この場合、政策的には、一定流入させて単純労働力は阻止、という方針自体は左右ともに変わらない。だが、財界や保守派においては、対外関係への顧慮という要素があるのに比べて、左派は、「新自由主義」に反対するとの口実で、外国人労働者流入反対を公然と掲げるようになるだろう(既になっている)。 関連して、左派が、閉鎖経済への傾向を持っていることも指摘できよう。例えば、ポピュリズム系の護憲派の典型である『通販生活』を

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  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

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  • 『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて

    当に怖い中国人 (1)ウイグル暴動「女子大生の首を切り木に吊るした」 (2)あなたの隣の中国人「一気に刃物」の恐怖 ――ハローワーク職員襲撃だけじゃない」 記事を読むと、(2)は、日国内の中国人による犯罪事例を取り上げている。 約1年前に、このブログで、『週刊朝日』による韓国人へのレイシズムそのものの見出しを3回にわたって取り上げた際に、2回目で、以下のように述べた。 「右派メディアは、キャッチコピーにおいては、「韓国」は罵倒しても、「韓国人」一般に罵倒表現を使う事例はあまり見かけない。民族差別だと言われないよう警戒しているのだろう。「リベラル」であるはずの朝日の方が、警戒心がないからこそ、こうした差別感情が垂れ流されたキャッチコピーを使うわけである。 朝日が使ったのだから、右派メディアにも、こうした「韓国人」への罵倒表現は「解禁」されてしまったということだ。今後、「朝日ですらあそこ

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  • 私にも話させて : なぜ過去の罪を「天皇制」のせいにして「日本人」を救わなかったのか

    gskim2000@gmail.com   金光翔と申します。韓国国籍の在日朝鮮人三世です。1995年のマスコミ報道はオウム真理教一色だった。そのとき浪人生だった私が、報道の中で一番衝撃を受けたのは、当時読んだオウムの憲法案(だったと思う)に、「「日」という国号は、天皇統治と切り離せないため、国号を「真理国」と改める」(大意)という条文があったことである。 「日」という国号云々は網野善彦あたりの影響だろうが、私が驚いたのは、この「日」と呼ばれる「国」土の上で展開される運動で、「日」とは別の「くに」をつくることを志向する構想が存在しうるし、存在したことである。 さて、西尾幹二は、加害の罪に関する戦後ドイツ歴史認識について、「日では賞賛されているが、ドイツ人は過去の罪をヒトラーとナチスに押し付けて、自分たちを救おうとしているのだ」(大意)とよく語っている。『マンガ嫌韓流』にも、有名

    D_Amon
    D_Amon 2009/06/30
    ハーケンクロイツとバルカンクロイツのように国家の象徴の片方に罪を分離できなかったのは社会問題を複雑にする要因かもしれないとは思う。日の丸が日本版ネオナチによりハーケンクロイツ的意味を帯びるときとか特に
  • 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 1  日本は右傾化しているのか? | 私にも話させて

    我ながら大きく出たタイトルであるが、結局、<佐藤優現象>をはじめとして、私がこのブログで問題にしてきたテーマとそれへの(無)反応は、この問いに帰着するのではないかと思う。 もう少し問いを絞れば、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後、日は右傾化しているのか、しているとすればその支持層はどういったものなのか、ということだ。 多分、日リベラル・左派のかなりの部分は、音では、「右傾化していない」と認識していると思う。格差社会を是正しようという声は保守の間でも強まっており、一時期に比べ、改憲の声も弱まっている。首相の靖国神社公式参拝も控えられている。田母神問題で見られたように、「大東亜戦争」を肯定する人物が政治的な重職に就くべきではないという見解は、保守層も含めた日のコンセンサスになっている・・・といった具合だ。 だが、こうした認識は、以下のような問いに当然逢着する。それでは、昨年見

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  • 朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて

    1. 麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉

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    D_Amon
    D_Amon 2009/03/09
    こういう扱いが正当だというのなら、第二次世界大戦でのアメリカでの日系人の扱いも正当ということでいいのではと思う。私自身はどちらも不当と思うが。歴史に学ぶのが大好きな「みんな」が反発すべきこと。本来なら
  • 佐藤優のイスラエル擁護に嫌悪感を抱かないリベラル・左派の気持ち悪さ | 私にも話させて

    1 イスラエルの蛮行はエスカレートする一方であるが、ここで改めて、佐藤優のイスラエルに関する発言に注意を喚起しておこう。 佐藤は、柏原竜一による自身への批判に対して、以下のように書いている。 「佐藤は「すずめの学校」のようなところでインテリジェンスを勉強したことがないじゃないか、という指摘ですが、私、勉強してますよ、ちゃんと。それとわかるようにあちこちで書いているんですけれどね。残念ながら、それはロシアではないのです。イスラエルなんです。私のやり方は、基的にはイスラエル流です。それが間違いだとは思っていません。私のや論文を読んでそんなことすら読み取れない柏原氏の読解力は、ある意味で驚嘆に値します。」(佐藤優「『AERA』、『諸君!』、左右両翼からの佐藤優批判について」『月刊日』2007年6月号。強調は引用者、以下同じ) また、佐藤は、「言論封殺魔」(佐藤のこと)との戦争に脅える「大林

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  • 辺見庸の警告と<佐藤優現象>の2つの側面 | 私にも話させて

    1. Kojitaken氏のブログ「きまぐれな日々」で、自衛隊の前航空幕僚長・田母神俊雄による懸賞論文の件で話題になっている、アパグループの元谷外志雄会長の著書に、佐藤優が推薦文を書いていることが取り上げられている。これも佐藤優ファンのリベラル・左派は黙殺を決め込むのかな? http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-778.html#comment_head http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081106 さて、同じ「きまぐれな日々」で、kojitaken氏が、辺見庸の講演について書いていた。興味深いので、引用させてもらおう。 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-769.html 「ところで土曜日(25日)、大阪まで辺見庸の講演会を聴きに行ってきた。辺見さんは、病を得て体

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  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

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  • 「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について | 私にも話させて

    <1> 佐高信による佐藤優評価が180度変わり、それが正当化されていることが、ブログ「アンチナショナリズム宣言」2008年5月14日付記事で指摘されている。佐高の弁明に何ら説得力がないことは、そこで指摘されている通りであるが、私がここで取り上げたいのは、佐高の佐藤優評価の変容において、2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編の最も重要な特徴点の一つが、観察できることである。 『金曜日』2005年6月10日号「読んではいけない」欄で、佐高は佐藤の『国家の罠』を取り上げて、次のように述べている。 「小泉政権の誕生により、日人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。/国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有するこ

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  • 共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて

    最近発表された、菊池恵介「植民地支配の歴史の再審――フランスの「過去の克服」の現在」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社、2008年6月)所収)は、フランスにおける植民地主義の問い直しに向けた動きとそれへのバックラッシュの相克を描いた、大変有益な論文であるが、『週刊朝日』の「いい加減にしろ!韓国人」の見出しについて考える上でも、重要な示唆を与えてくれる。 菊池は、現代フランスにおけるマイノリティー排除の論理を、「共和主義的レイシズム」として分析する、ピエール・テヴァニアンの見解を紹介している。菊池の文章を引用しよう(強調は引用者)。 「(注・テヴァニアンは)国民共同体の文化的マジョリティーの側が、「共和国」対「共同体主義」という虚構の二項対立を作り出し、フランス共和制の礎となる普遍的理念の名において、マイノリティーの排除を正当化しているというのである。

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  • リベラル紙の新しい「バランス」感覚――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足 | 私にも話させて

    『週刊朝日』の見出しについて、「ここまで直球だと、『諸君!』、『正論』、『Will』ほかの並みいる右翼雑誌をすっ飛ばして、<マンガ嫌韓流>(しかも初期の)である」と書いたが、これは誤解を招く表現だった。『マンガ嫌韓流』の1巻のキャッチコピーは、「だから僕たちは韓国が嫌いだ」で、「韓国人が嫌い」とは言っていない。また、『週刊朝日』のように、大々的な吊革広告や新聞広告をしたわけでもないのだから。「いい加減にしろ!韓国人」の『週刊朝日』の方が、この文言だけ見る限り、『マンガ嫌韓流』より過激であり、悪質である。 右派メディアは、キャッチコピーにおいては、「韓国」は罵倒しても、「韓国人」一般に罵倒表現を使う事例はあまり見かけない。民族差別だと言われないよう警戒しているのだろう。「リベラル」であるはずの朝日の方が、警戒心がないからこそ、こうした差別感情が垂れ流されたキャッチコピーを使うわけである。 朝

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  • 『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」 | 私にも話させて

    昨日、『週刊朝日』の最新号(2008年8月1日号。7月22日売)の吊革広告を見て驚いた。「竹島問題 なんと80%が反日だと」という小見出しの後、以下の見出しがでかでかと書かれている。 「いい加減にしろ!韓国人」 ここまで直球だと、『諸君!』、『正論』、『Will』ほかの並みいる右翼雑誌をすっ飛ばして、<マンガ嫌韓流>(しかも初期の)である。「平和」や「人権」を口にするリベラル系のマスコミ業界人が、私的な場で平然と差別発言を行う光景は、これまで何度も見てきたから、『週刊朝日』編集部が人種差別に親和的な心性を共有していても別に驚かない。ただ、「リベラル」を標榜する朝日新聞系列のメディアが、こうした民族差別、レイシズムそのものの見出しにゴーサインを出したというのは、やはり一つの事件であろう。 なぜかその記事の実際のタイトルは、「いい加減にしろ!韓国人」ではなく、「なんと80%が「反日」・・・いま

    『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」 | 私にも話させて
    D_Amon
    D_Amon 2008/07/23
    なんというかこの数年の出版業界の流れを見るに、レイシズムや歴史修正主義に親和的な内容を扱った方が売れるので、商売においての生き残りのためにそういう方向に舵をきっているのではないかと思う。なんとなく。
  • 「読者より:イタリアの2008年4月上下院選挙結果について」 | 私にも話させて

    私の論文「<佐藤優現象>批判」を高く評価してくださっている、若いイタリア史研究者の方からいただいたメールが、非常に興味深い内容だったので、了解をいただいた上で、「資料庫」に掲載する。 「読者より:イタリアの2008年4月上下院選挙結果について」 日において、外国人労働者の流入・定住化が一層拡大することは自明だが、その意味で、イタリアの状況とそれに対するこの方の分析は、非常に示唆的である。私は論文で、 「「格差社会反対」は、リベラル・左派ではごく当たり前なことになっているが、私が呆れるのは、そこに、外国人労働者の問題、また、グローバリゼーションの下で先進国と第三世界の「格差」が拡大している問題が、ほとんど全く言及されない点である。リベラルからは、外国人労働者が流入すると排外主義が強まるから流入は望ましくないという言説をよく聞かされるが、言うまでもなく、この論理は、排外主義と戦わない、戦う気

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