平成十七年三月三十日(水曜日) 午前九時開議 出席委員 委員長 赤松 広隆君 理事 谷本 龍哉君 理事 中谷 元君 理事 渡辺 博道君 理事 大谷 信盛君 理事 首藤 信彦君 理事 増子 輝彦君 理事 丸谷 佳織君 宇野 治君 植竹 繁雄君 木村 隆秀君 高村 正彦君 佐藤 錬君 鈴木 淳司君 土屋 品子君 寺田 稔君 西銘恒三郎君 平沢 勝栄君 三ッ矢憲生君 宮下 一郎君 稲見 哲男君 今野 東君 鈴木 康友君 鳩山由紀夫君 藤村 修君 本多 平直君 村越 祐民君 赤羽 一嘉君 赤嶺 政賢君 東門美津子君 ………………………………… 外務大臣 町村 信孝君 外務副大臣 逢沢 一郎君 政府参考人 (警察庁警備局長) 瀬川 勝久君
DNA鑑定 政治に翻弄される科学者 (横田めぐみさん遺骨事件) この話題に関連して。 kaoruwのブクマ / 2006年07月02日 こんな妙な転職があったとは全然知らなかった。報道されなかったよなあ。そういやDNA鑑定が出た直後に村上龍が「なぜ第三国に依頼して説得力を高めないんだ」とえらく筋の通ったことを言ってたが。これはヤバイだろ。 産経新聞は2005年3月26日朝刊の社会面にて、遺骨を鑑定した帝京大学の吉井さんが警視庁へ引き抜かれた件について報じています。こういうことは、多い。→報道は不十分なのか(2005-08-18) 横田めぐみさんの鑑定人、警視庁へ 2005年03月26日 産経新聞 東京朝刊 社会面(Web-S ログイン必須) 北朝鮮が提出した「横田めぐみさんの遺骨」が偽物であったと日本国政府が発表したのは2004年12月8日午後の官房長官会見の場でした。新聞報道は翌9日朝刊
Filed under pop culture, psychology, secularism Posted on 2006/07/02 日曜日 - 07:31:57 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/143/trackback/ 69 Responses - “「無名のアルコール依存症者たち」のカルト的マインドコントロール” 次郎 Says: 2006/07/02 - 17:26:38 - なんだ、AAは効かないという科学的な結論があるわけですね。 最初っからそう言ってくれれば、余計な書き込みをする必要はなかったのにねぇ。 調査結果が間違っていないと仮定した場合、ほとんど効果がないという事であれば、macs
湯川さんがこれまで「ネットは新聞を殺すのかblog」で書いてこられたことなどをベースにしたもの。「ブログってはやってるよね」というタイプの人、「ブログって何?」というタイプの人、「ブログなんてジャーナリズムの名に値しない」というタイプの人、主にそういう人たちに向けて書かれたものと理解した。3部構成で、第1部、第2部は、ネットをめぐるメディア論、参加型ジャーナリズム論などに関して、ひととおりの情報をコンパクトに整理したうえで、これが単なるうわべだけの動き、一部だけの動きなんかではないことを説明している。読みやすい。こういう「一人よがりでない文章」は、媒体に関わらず文章を書く人なら参考にしたいところ。 第3部はブログ界隈で関心を呼ぶかもしれない。題して「ネットにやられてたまるか」。既存メディア側からの反撃か、と思った人は、読んでから反論しよう。ご自身のものを含む記者ブログ炎上の話が出てくるが、
最新モードも伝統衣装も、いったん身にまとわれると衣服は生活や文化の一部となり、ひいては社会や政治の問題となる。 98年の北朝鮮ミサイル実験、また最近では拉致問題などで、朝鮮学校の女子生徒たちがチマ・チョゴリ制服を切り裂かれるなどの被害にあっているという。チマ・チョゴリは国家の象徴に読み替えられ、卑劣な暴力の的となった。しかし、北朝鮮や韓国ではチマ・チョゴリという民族衣装を制服として着ることはない。ではなぜ在日の生徒たちだけがそれを着ているのか。 韓東賢の『チマ・チョゴリ制服の民族誌』(双風舎)は、衣服の背後にある隠された歴史に迫る興味深い本である。チマ・チョゴリは60年代前半、在日朝鮮人による「祖国志向」のナショナリズムが高まる中で学校に導入されていく。だがそれは在日コミュニティーや学校側が「上から」押し付けたのではなく、むしろ女性たちが自発的に着るようになったのが発端であった。彼女たちは
ぶくまのこれ⇒草日記 - 「現代の日本は物質的には豊かだが、精神的には…」みたいなことを言う人が実にたくさんいる件。 この問題はそう単純なこっちゃないのだと思うのだが。 ちょっと語ろうとするとテンプレ的な批判を受ける。 ⇒極東ブログ: 連休の感想 ⇒極東ブログ: 老人の風貌 こういうとなんだけど、明治生まれの日本人というのを見たことがない人が多くなったのだなと思う。 どの時代にも尊敬する人というのはあるのだろうが、日本の歴史が背負わせた倫理できちんと起立する人々がかつてはいたというかけっこう身近にもいた。 まあ、なんというか、先人を尊ぶということがわかりづらくなってしまったのだろう。 日本の古典を読んで、どうしてこんな貴重なものを先人は残してくれたのだろうかと、涙する、ってなことが日本人としてきちんと40くらいまで生きたらあると思うのだけどね。 Googleが無料でサービスをするとかいうけ
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