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2006年7月17日のブックマーク (3件)

  • マルクスとロングテール(その2) - 池田信夫 blog

    最近は、当ブログにも「アルファブロガー」からのTBがつくようになった。きょうは私の「マルクスとロングテール」に関して、R30氏から「悪夢のロングテール考」という批判をもらった。 しかし、その論旨がよくわからない。まず確認しておかなければならないのは、第1に、元の記事で紹介したクリス・アンダースンによるマルクス(というかエンゲルス)の引用は、ロングテールについての議論ではなく、"The Long Tail"というの中の「生産手段の民主化」に関する議論だということである(タイトルがミスリーディングだった)。したがって、ロングテールの「オプション価値」についてのR30氏の議論は、私の記事とは無関係である(*)。 第2に、引用部分は私の主張ではなく、マルクス・エンゲルスの分業論である。私は「ロングテールによって人間がネット上で適当な情報生産を行う『自由な時間』だけで暮らしていける」と主張して

    Ereni
    Ereni 2006/07/17
    マルクス ロングテール
  • 悪夢のロングテール考 - R30::マーケティング社会時評

    いつも興味深く読ませていただいている池田信夫氏のブログだが、一昨日にちょっと首肯しかねるエントリが上がったのでそれについて。 マルクスとロングテール(池田信夫Blog) 最近よく聞くのだが、どうもあちこちでロングテール論を悪用する人たちが増えているようで、ITの時代に入った途端に突然あらゆるところでパレート法則が無効になってしまったかのような物言いがされる。んなわきゃーない。ニハチの法則はいつまでたってもニハチなのだし、だいたいたまたま自分がニハチのニだからって偉そうに「キミたちもぜひハチでもロングテールに」とか言わないでくださいよお願いします。 池田氏のコラムについての反論は、山形浩生氏の「ネットワークのオプション価値」という、古い論文でも見ていただければ十分ではと思う。ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。山形

    悪夢のロングテール考 - R30::マーケティング社会時評
    Ereni
    Ereni 2006/07/17
    ロングテール
  • マルクスとロングテール - 池田信夫 blog

    ブログやWikiなどに代表される「イノベーションの民主化」の先には、どういう社会が見えてくるのだろうか。The Long Tail (p.62)によれば、それを最初に予告したのは、マルクスだったという。彼はエンゲルスとの共著『ドイツ・イデオロギー』で、未来のイメージを次のように描く(*):共産主義社会では、各人は排他的な活動領域というものをもたず、任意の諸部門で自分を磨くことができる。[・・・]朝は狩をし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして後には批判をする――猟師、漁夫、牧人あるいは批判家になることなく。(岩波文庫版、pp.66-7)マルクスは「分業と私的所有は同じことの表現である」と規定し、自然発生的な分業を止揚することを共産主義の目標とした。この一節は、若きマルクスのユートピア的な側面を示すものとして知られているが、実はこのモチーフは『資論』にも受け継がれている。自由の国は、

    Ereni
    Ereni 2006/07/17
    マルクス ロングテール