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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (82)

  • ちょっとだけ - finalventの日記

    あるテロリスト集団とか市民社会の倫理と相容れないような思想集団とかがあるとする。 で、その構成員は地方選挙や国政選挙に投票者として参加できるか。当然できる。なぜなら、その時点で、彼/彼女は、一市民に抽象化されるからだ。 では、その集団が思想活動の一環として出版活動やブログができるか。当然できる。なぜなら思想・信条の自由があるからだ。 では、その団体の放送(公共財)を使った広告は可能か。その団体の内実によっては、アウト。なぜなら、公共域において「テロリスト集団とか市民社会の倫理と相容れないような思想集団」と市民社会は共存できないから。例えば、ナチズムと市民社会の共存はあり得ない。 では、その団体がロビー活動ができるか。その団体の内実によっては、アウト。なぜなら、市民社会は「テロリスト集団とか市民社会の倫理と相容れないような思想集団」と共存できないがゆえ、内実がそうであれば、その影響を排除した

    ちょっとだけ - finalventの日記
  • ざっくりとだけ - finalventの日記

    年明けからちょっと別件で思うことがあり、ついでにタントラ関係のものを読み、ついでにチベッタン・システムと美術関連のものを読みながら、つらつらAUMのことを思い出した。単的に言えば、彼らは教義とシステムを完成させていたか?という点だ。吉はこれを麻原に帰着させているようだが、そこがよくわからない。 昔ニフティのことだがAUMerはけっこううじゃうじゃいて奇妙な神秘学を語っていた。ただの独断というのはどうでもいい雑音なのでその雑音からどう教義を聞き取るか、あるは権威を聞き取るかが難しいし、彼らはあまり正確な仏教の知識というか史的な知識をもってなさそうなのでおよそ対話にはならないと思った(教義と学問の差が理解されてない)。ま、これは今でもそう思う。が、ある程度チベッタン・システムなどを知っているなら麻原の教義の出所や水準はわかる。チャクラ関係の教説は神智学を経由しておりインドやチベットのネイティ

    ざっくりとだけ - finalventの日記
  • 難しい問題 - finalventの日記

    あるAUM信者に対して、「テロをしたくてオウムに入信した人は居なかった」とは概ね言えるだろうと思う。 ただ、ここで難しい問題がある。あえてプラクティカルに問えば。 教義の結果が必然的にそうなる理路の可能性がなかったのか。 AUMが操られていた可能性は無かったのか。 直接的な市民社会への危害としてのAUMと各種の薬物(幻覚剤や毒物)の関係は解明されたのだろうか。 この難問は、AUM信者なら解けるというものでもないだろうと思う。また、恐らく、その問いがAUM信者に問われるというものでもないだろう。 個人的な印象では、すべての元信者に、林郁夫のようにあれ、とするのも違うように思う。 1については、大乗の乱や度脱、あるいはもう少し込み入った教義(悪の顕在化)との関連をどう考えるか。というか、この問いは、恐らく仏徒に問われている。 ⇒大乗の乱 - Wikipedia ⇒性と呪殺の密教 : 講談社BO

    難しい問題 - finalventの日記
  • 2007-02-12

    新しいパソコンには初めからビスタが搭載されるので、日メーカーも得意のAV機能を売り物にすれば、そうした新興市場にい込むチャンスがあるはずだ。経営者が内向き志向を転換し、もう一度、世界で勝負すれば道が開かれるのではないか。 泣いちゃっていいでつか。 嗚呼。執筆子は「天からの手紙」の由来を書かない。知らないわけもない。当たり前過ぎるのかもだがであれば標題には使わない。一言でも済む。執筆子の一種の意地悪であろうな。歳を取るとこうなるな。 私はもう少し若いというか、教え爺としてか。 ⇒中谷宇吉郎 - Wikipedia 雪は天からの手紙―中谷宇吉郎エッセイ集: 中谷 宇吉郎,池内 了 あまりに下手な作文で返って感動してしまった。 京都に行かずして久しい。以前嵐山にいる知人の外人を訪問したとき、嵐山ってこんなことになっておったのかと唖然とした。 山田邦子の店はその後どうなったのだろう。 なんなん

    2007-02-12
  • 女性蔑視についてメタ的に - finalventの日記

    私は女性を蔑視しているかと言われると、わからない。ただ、わかっていることがある。 ある種の女性が、私について、「あなたは女性蔑視している」と言われたら、その時、反論の余地はない。 まるでない。 有罪確定。 逃げろ、もし逃げられるなら。 そんだけ。 ネットをやっているとわかるようになる。例えば。 ある女性がセクシーなドレスアップで、犯罪率の高い場所で、レイプされた、とする。 それに対して、例えば、万一、いやちょっとした想定問答なんだけど、「あんな危険な地域にあんなセクシーな格好で行くのは……ぴぃぃぃぃ!」 これは女性蔑視なのである。 この手の問題については沈黙するのが吉。 あるいはこう言う、「それはまったく許せない問題だ。女性がどのような格好をするかは女性の自由の問題であって、それと犯罪行為とはまったく関係がない云々」。 っていうわけで、"正しい"物の言い方を学ぶこと。 地雷踏んだとか思わな

    女性蔑視についてメタ的に - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2007/02/02
    参ったちゃん。 「そんな事ないんじゃないの~」とかいうと、それ言った方も返す刀でやられる。 でも現実に露出度高い服着てると、マジで「危ないな」と思う時ありますよ。妙なのが寄って来る、明らかに。
  • だいたいわかった - finalventの日記

    昨日、なんつうか心の問題を見つめていて。 こんなのとか⇒finalventの日記 - 心の中の暗い核 それから瞑想っていうもんでもないが静かに考えるというか瞑想するというか、ま、だいたいわかった。 なんか新興宗教の教義というか不気味な精神分析みたいな話になるかもしれないし、真理とか真実とかはまるで関係ないが略、ま、メモ書きしておこう。もしかすると、人によっては危険な話かもしれないのであまり読むことをお勧めしない。 ココロの問題: 音楽: toutou,coita,キタムラタケシ,青山紳一郎,森山フラミンゴ,反す刀で,翠蓮,DJ TAKI-SHIT まず人の心の構造は、案外サエントロジーのエングラムのスキームでいいのではないかなとなんとなく思っていた。ただ、これはサイエントロジーが正しいというわけではない。 歴史を見てもそうだが、人というのは救済を求める。救済とはなにかというのは、曖昧で意味

    だいたいわかった - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2007/01/29
    これにコメントする行為というのがあれだが。違うところから同じ事を感じているような気もする。心のあり方が違うというのか。分からないけど
  • 心の中の暗い核 - finalventの日記

    まんこの上の赤い核だったらいいのに、失礼。 心の中に、どうも薄暗い、堅い、痛い、悲しみのような核のようなものがある。 なんなんでしょねと思う。 思い続けて50年でもある。 わからない。 私という感覚のコアでもあるようだし、なんかの欺瞞でもあるようだ。 というか、なんかの欺瞞というか隠蔽かもなとも思う。 精神分析学的に言えば、それに直面したくないトラウマというか、そのためにその防衛のためにできたのが私という自我というか。 まあ、なんというか、率直に言えば、こんなことを書いている中年のおっさんというのはそーとーに痛いわけですよ。2ちゃんねるに晒してあざ笑えるネタになるくらい痛いねぇこのオッサンである。 でもな、それが、事実ってもんだしな。 そしてそんなのあざ笑っているやつって、ま、ずばり言いましょう、人間の良心ってものがないよ。 ネタはさておき。 その核みたいのは、サイエントロジーとかがいうエ

  • 2007-01-14

    駄じゃれめくが、様々な意味で「甘い会社」だった。 はいはいお約束お約束。 いったい何のためだったのか。不可解、不見識というしかない。山崎拓前自民党副総裁の北朝鮮訪問である。二元外交の批判を承知で訪朝したが、具体的な成果はなかった。 成果がないわけないでしょ。 BBCみたいに国民投票でもやってみたらと放言。 ⇒英国放送協会 - Wikipedia ただ、TVライセンス制度は「欧州人権規約に反する人権侵害だ」として民事訴訟が起こった事例もある。しかし、TVライセンス制度には、5年毎にBBCを公共放送として存続させるかの国民投票が課せられており、イギリス国民の過半数がこの制度を不当だと考えれば、廃止できるので世論の支持を受けて存続していると言えよう。[要出典] というわけで、この[要出典]が問題。 「国民投票」ではなさげ。 Opinion Pollのようだが、このあたりの解説が見つからない。 教

    2007-01-14
    Ereni
    Ereni 2007/01/15
    朝日社説『日本国内の道州制の枠組で出来る事としての大前提なのに、勝手に独立志向かのような説明を。主軸は自治政策議論の場の形成とその為の人材育成なのに、基地撤去なんて例えば論的に載せたおまけの部分を前面
  • 私の世代(S32)だと25歳くらいで結婚して - finalventの日記

    いたものだった。 高校の時の友達結婚するってんで、余興みたいなことを考えよと同級生が集まってみると、あー俺もそろそろってな話があった。80年代半ば。 あの時代の同い年の女性、当時はもちろん20代なのだが、なんかうまく思い出せなかったりビビッドに思い出せたりして奇妙なものだ。 20代後半にかかると仕事も少しつつ仕事らしくなり、遊び仲間みたいなものも、なんか変わっていく、ってか、片づいていくのが多くなって、さてみたいなものだった。 日でネットが始まったのは84年。 ふーんみたいに不思議な空間が広がりだした。あの不思議さはちょっとうまく言葉にならない。が、今Web2.0とかでぶいぶい言われているものいくつかはすでにあった。 私などはネットの空間が次第に大きくなりだしたが、それでいて、すでに90年代前半には引いていた。ニフってなじめないなぁみたいな。 最近どっかで、ネットで恋愛するっていう人マ

    私の世代(S32)だと25歳くらいで結婚して - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/12/18
    ご親戚
  • 毎日社説 脳脊髄液減少症 早期救済へ積極姿勢示せ - finalventの日記

    これはそうなのだが、類似の問題もいろいろある。 これもひどい言い方なのだが、直せない病気というものがある。もしそうならどうしたらいのか。 これがもっと読まれるべきかと思う。 ⇒「 認められぬ病―現代医療への根源的問い: 柳澤 桂子」

    毎日社説 脳脊髄液減少症 早期救済へ積極姿勢示せ - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/11/28
    「認められぬ病」
  • 微妙な問題 - finalventの日記

    green - 人の命の重さを知らない国 拉致問題が発覚した時、僕は衝撃のあまり一週間ほど寝込んでしまったが、直接、自分の身に起こったことではない、いわばニュースとしての情報にどうしてあれほどまで衝撃を受けたのだろうと考える。 たぶんあの事件が原理的には誰の身にも起こりえることで、事件が僕たちの国の歴史、社会、政治と密接に関わっていたのに、それを知らなかった、それを知らずに、知ろうともせずに、べて飲んで、笑って遊んでをしていた自分、それをしていたこの国の人たちのことをどう受け入れていいのか、処理が混乱したのだと思う。 反論とかではないよ。 拉致事件が発覚した時、という時はないと私は思っていた。いや、言い方が正確ではないが、どう正確に言えばいいのかよくわからない。私にしてみれば、拉致事件があることは昔から知っていた。ただ確証があるわけでもないし私には関係ないのでなにもできなかった。しかし

    微妙な問題 - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/11/28
    ブクマコメント消去。
  • まあ些細なブロガーのつぶやきだが - finalventの日記

    なにかと疲れていたり時間がなかったりとかするとエントリは書けない。ま、この日記みたいなのは書く部類に入らないともいえるが、じゃ、なんでも書けるかというとそうでもない。自分でもよくわからない。 ほいでも、ブログを見るというのは、たら〜っとしていられる。というか、なんか流れるように見る。 で? で、なんというか、空気というかニューマというか、今の話題はコレっ!みたいのに、つい取り込まれてしまう。それがいい悪いというのではないけど。 で、結果的にというか、ブログのエントリを起こすとき、それが、裁断される何かがある。ちょっと偉そうなこと言うと、ブログとか、それ以外のメディア情報でもそうだけど、自分はそういうのに流れていたくないからエントリ書いているようなところがある。 人の関心のありそうなことを書くこともあるけど、質的にはというか、自分の核たる孤独ひりひりみたいなところは通じない。ごく数名通じる

    まあ些細なブロガーのつぶやきだが - finalventの日記
  • ちとまいったかな - finalventの日記

    ⇒404 Blog Not Found:選民思想2.0または少衆主義 逆に最も唾棄すべきは、他の船が気にわないからといって沈めてしまうという行動であろう。これに比べればまだ選民思想というのは罪が軽い。しかし実際のところ、「民主」主義の動きにおいては、船を大きくする代わりに小舟を沈めるということが多々見られる。 その意味において、民主主義というのは時に選民思想以上に危険なのだということは、民主主義の旗をかかげる船に乗っている人は皆自覚しておく必要があるように思える。 こういうと嫌がられるかもしれないけど、「民主主義」というのがわかっているのだろうかとちと疑問に思う。 じゃ、民主主義ってなんなのさと、ウィキペディアを覗くと ⇒民主主義 - Wikipedia 民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、個人の人権(自由・平等・参政権など)を重んじながら、多数による意思をもって物事を決める原則をいう。法律

    ちとまいったかな - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/10/08
  • Web2.0的な民主主義的な何か - finalventの日記

    前のエントリでそれって話ズレてくねぽいので、補足というか。ま切り出しは、Web2.0的民主主義とか。 で、これが民主主義とはまるでといっていいと思うが関係ないのは、前提として「正しさ」と人々との関わりが含み込まれているためだろうと思う。一番違うのは国家が議論されてない点だがそんな話はつまらないし目下の課題ではない、と。 松永=佐々木系のと仮にまとめると、衆人から真理は生まれない、生まれるわけないじゃんか論となるだろうか。読み違っているかもしれないが、仮にそうモデルしておく。 で、問題設定が曖昧なのだが、経緯的には。 ⇒404 Blog Not Found:選民思想2.0または少衆主義 ⇒finalventの日記 - ちとまいったかな ⇒404 Blog Not Found:民主主義とかけてWeb2.0ととく というところで、民主主義談義は抜きとして。Danさんの、この。 率直に告白しよう。

    Web2.0的な民主主義的な何か - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/10/08
    ルール主義 はてな
  • そうなんだろうかというか - finalventの日記

    ITmedia アンカーデスク:検索エンジンが「ユーザーのその日の気分」を知る方法(中) (1/2) 細かいところや人間関係的なお楽しみ話題は捨象して。 <集合知=ソーシャル>から自分の必要な情報を得るという仕組みに限って考えてみると、その集合知の母集団がどのようなものかがかなり重要なテーマなのである。つまりはコミュニティーへの帰属の問題なのだ。 これが中心命題かな。 ほいで、ぶくまの場合に、そうしたコミュニティーへの帰属(はてな村)が問われている、ということか。 そういう側面はある。 で、問題の起点というか、佐々木俊尚にとって、ぶくまというのは、はてなブックマーク - 人気エントリーのことを指しているのだろう。 だが、はてなのなかにずぶずぶいる私や、ぶくまをもう長く日々使いこなしている、なんというのかドライブ感覚というか、そういうのからすると、あのですね、はてなブックマーク - 人気エ

    そうなんだろうかというか - finalventの日記
  • ネットと多数決というかなんというか - finalventの日記

    長くネットの世界にいて、若い頃は血気で無用ないざこざを起こしたものだし、いろいろいざこざを見ていきた。さすがに思うことがいくつかある。 ネットの中の口論というか罵倒の投げ合いとか、その勝敗は基的に沈黙の観覧者が自然に決めている。そして決まった結論というのは、明示された言葉になっては出てこない。ただ、月日が経つと、すでに勝敗は決したものとして別の話題のなかでなにげに参照される。 で、そういうなかで負け側の特徴だけも言い切れないのだが、勝敗の内側の問題は、いざこざの内部にいる人が、その沈黙の閲覧者をどう理解するかにかかっている。 ここで一番重要なことは、身の構えとでも言うべきことで、自己の正当性を主張しているとき、実は負けているということだ。このあたりはなんとも身の構えとでもいうようなちょっと微妙な感じ。武道でまず受けの構えと取るような感じ。攻撃の構え自体が弱点にしかならないような状況がある

    ネットと多数決というかなんというか - finalventの日記
  • 美味しい紅茶を入れる虚しい三条件 - finalventの日記

    虚しいというのは身も蓋もないっていうこと。 よい茶葉を使うこと(農園ブランドもの) 水は軟水(ブリタがよいです) 保熱が大切(湯は沸騰。コジーがなければタオルでも) あとできれば、カップはきちんとしたのを使うこと。 茶葉はしっかり管理(これができてない人が多い)。 ⇒極東ブログ: 紅茶の話 ⇒極東ブログ: ラプサンスーチョンという紅茶の話 ⇒極東ブログ: 氷砂糖など 追記 コジー(cozy)だけど なしの場合と、ありの場合で比べてごごらんなさいな。 ポットやカップ温めも忘れずに。特にポットを温めはコジーと同じくらい重要。 ついでに。 ペットボトルの水は使わないこと。 これは禁断の業なんだけど、カップに注ぐときにわざと泡立てる、がある。 いわゆるポットのジャンピングだけどセイロン茶とかアッサム茶でBOPとかの話。つまり、ジャンピングはあまり気にしなくていい。 ティーポットだがいわゆる英国風の

    美味しい紅茶を入れる虚しい三条件 - finalventの日記
    Ereni
    Ereni 2006/09/14
    紅茶の淹れ方
  • id:matsunagaさんに答える - finalventの日記

    ⇒id:finalvent氏に答える 備忘録ことのはインフォーマル きちんとした返答ありがとう。結論から先にいうとこの面での私の疑問は概ねクリアです。概ねというのは、表現が悪いのでちょっと気を悪くしないでくださいね、「松永さんがああ言うけど裏を取って了解したのかよ、最終弁当?」とか問われると、「いえ裏はとってません」としか言えません。なので、そういう意味でクリアではないということです。が、私の心証では十分クリアです。なぜかというと、私は松永さんのブログの、あまり熱心な読者ではないけど、長期間の読者であって、感性や考えかたのスジは自分なりに了解できることが多いからです。特に「ノミネートされたことも知らなかったし、選考過程も全然見ていない、というか、きっこ選ばれてたの?と今思った」という発言はには、素直にああそうかなと得心したものがありました。 松永さんを詰問したいわけではないのです。こうして

    id:matsunagaさんに答える - finalventの日記
  • ちょっとだけ連想で - finalventの日記

    ケロヤンとその愉快なお仲間たちで思い出したが。 いわゆる松永さん問題だけど、私の立場は、基的に、オウム残党の危険性をどうするか(どう社会が向き合うか)に尽きているので、市民派言論とかブログ・ジャーナリズム論にはそれほど関心はない(そこに介在してくるオウム的なものの危険性だけが問題)。もうちょっというと、ガ島さん批判とかオーマイニュース批判には関心はない。JANJANとかAMLとかを批判しても意味ないでしょ、勝手にやったら、くらい。ただ、オーマイニュースはネタの投下という点とその偉そうなわりに著作権はどうよのアウトローぶりが面白すぎ。さらにもうちょっというとジャーナリスト佐々木俊尚さんはオウム残党の危険性というリアルな問題をブログ・ジャーナリズム論みたいな問題に概念化(フラット化とか各種の装置)してしまうわけでそれは困ったことだと思う。繰り返すが、ジャーナリズムというのは、こうしたリアルな

    ちょっとだけ連想で - finalventの日記
  • 遠いかすかなリーチ - finalventの日記

    ⇒黒崎夜話: 道具とその弟子 例えば新聞の社説を並べ、やや引いた立場からコメントをつける。 それによって、ある種の知の形が網羅できるとする手法もあるが、畢竟これは高等床屋談義であるのだと、ご人も自覚されているかのようである。 批評する人生。 それによってナニをしたいかというと、それもすぐには見えてはこない。 何がしたい訳でもない。俺はここにいる。 ということを、今の技術を使って日々確認しているだけかも知れない。 このfinalventの日記がまさに「例えば新聞の社説を並べ、やや引いた立場からコメントをつける」なわけで、そして、「畢竟これは高等床屋談義であるのだと、ご人も自覚されている」も同。 で、「俺はここにいる」を私は言うがためにしているかといと、まあ、そう見られるにどうぞどうぞ。 私としては、遠いかすかなリーチを信じている。 小さく声をあげよう。 大きく声を上げるのではなく。もうち

    遠いかすかなリーチ - finalventの日記